6月 21 2017
外に内部を感じとるために
外部=内部、内部=外部。世界はメビウスの帯のように内と外が捻れている。自己と他者の知覚の位置関係もまた同じ。だから、自他の意識的結合をはかりたいのなら、内に見えるものが外に、また外に見えるものが内に見えるような知覚を作り出さないといけない。
逆に言えば、そうした知覚の実現が、初めて自他というものに”出会い”の可能性を与える。
時空上で世界を見ることは、外部と内部を絶対的に隔絶することに等しい。科学者はそこに出現している物質の本性を探ろうと、物質の内部へと探索を進めていったわけだけど、結局のところ、そこには内部などといったものは存在していなくて、広大な外部に「非局所」という形で溶け込んでいく物質の姿を発見した。
この科学的現実に僕らは知覚をアジャストさせなくてはいけない。内部は外部であり、外部は内部なのだ。そうした知覚が生まれて、初めて「君は僕で、僕は君」という言葉が嘘っぽい響きを無くしてくる。
もちろん、今まで多くの人がこの内部と外部の対称性について語ってきたわけだけど、そのほとんどが空間的にしか思考していなので、ポイントを外してしまっている。この知覚達成のキーは空間というよりも、むしろ時間にあるんだ。つまり、物質の内部が外部に見えたときには時間が止まる―そう考えないといけない。
これを、カッコをつけて、「アイオーン(永遠)」と呼んでもいいわけだけど、そういった詩的な言い当てからも、僕らはそろそろ卒業してもいい頃だ。君が見ている外部には元から時間なんてものは存在していなかったし、元から非局所でもあった。それに気づけばいいだけなんだよ。つまり、目の前の世界は最初っから物質の内部だったということ。
ほらね。外部は内部という感覚が分かってきただろ?
この外部=内部という漠然とした感覚に、明確な方位とかたちを与えているものが素粒子の構造だと思うといいよ。その意味で、物理学者たちが今まで行ってきた作業はとても重要なものだったんだ。
今はまだ、その世界は男性的な難解な数式や言葉で領土化されているわけだけど、このかさぶたを僕達はゆっくりと剥ぎ取っていく必要がある。それによって、角質化した古い皮膚は姿を消して、真新しいすべすべとした魂の皮膚が現れてくる。そういう筋書きなんだね。
「女なるもの」の肌は美しいよね、きっと。
6月 23 2017
外部に反転を見るとはどういうことか
観測者の周囲にはいわゆる時空が広がっています。ここで観測者の位置を観点a、対象化される時空上の位置を「見られる点」という意味で「視点n」と呼ぶことにしましょう。このとき一つの観点の周囲に無数の視点が散在していることになります。これがわたしたちの外部世界に対する通常の捉え方です。→下図上
反転認識とはこの構図が下図下のように変わることをいいます。僕がいつも「観点の球面化」と呼んでいるものですね。
反転認識が形作られることによって、視点nの位置はすべて視点Sで統一されることが分かります。本当は、こうした認識が「健全な空間認識」というものなんですが、今の世界ではそれが忘れ去られている。
反転を単に延長空間の中でイメージしても意味を持ちません。空間認識の反転とは、延長的な空間認識から持続的な空間認識へと認識の形態を変えることなのです。ですから、これは「時間の空間化」と言っていいでしょう。そこでは、時間は流れを止めて、持続空間として空間化してきます。下右図における点Sはそのときに感覚化されてくる持続中心を意味しています。
反転感覚が目覚めてくると、目の前に何らかの対象を見るとき、そこには反転した持続空間が常に重なり合っていることが意識化されてきます。
このことは、そこに抱かれている無数の記憶も同時に一緒に知覚化されてくることを意味しています。このことは誰にも否定できませんよね。
一人暮らしのワンルームマンションの中。彼女からプレゼントされたコーヒーカップがぽつんと食器棚の中に入ってる。そこから、追憶されていくあの幸せだった日々………くそっ!!こんなもの叩き割ったるわい!! うぅ、でもでけへん。。。なんてことになってくる(笑)
目の前のコーヒーカップですら、その人の人生の全記憶を伴ってそこにある、ということなんですね。プルーストの世界です。
反転のカタチが理解できたら、まずは、そういう感覚を養っていくことが重要です。そうすれば、局所=非局所の本当の意味が、明確な輪郭のもとに実感として湧き上がってくることでしょう。
ちなみに、下図下で示した反転円(の回転)は物理学の言葉に直すと、物質粒子ψの局所的U(1)変換(複素平面上の回転)という表現になります。その反映として元の円を見た場合、その回転は電磁場のU(1)変換です。
実際に存在しているにもかかわらず、未だカタチになりきれていないわたしたちの持続のカタチに明確な輪郭を与え、永遠世界を確かな地図をもとに、見えるものへと彫塑していくこと。それがヌーソロジーがいうトランスフォーマーの作業ということになります。
ヌーソロジーの言葉では左の円の領域を次元観察子ψ5、右の円の領域を次元観察子ψ6、と言います。人間の自我の構造を少なくとも空間的に理解するためには、ψ13~14までの観察子が必要になります。それが素粒子のシステムの全体性と一致するというのが、目下のところの予想です。
ψ6は自己中心化した想像的自我の拠点です。自我構造が見えてくることによって、少なくともこの強固な拠点は脱中心化していき、主体は対象世界の内部に新しい拠点を形作り始めます。そこは作られたものと作るものが一致した世界、つまり、存在者と存在の区別がない世界です。
こうした認識の創造作業に興味がある方は是非、ヌーソロジーで遊んでください。面白いですよ。
ただし、社会的現実はしっかり押さえた上で、というのが絶対条件です。それができていない人は立ち入り禁止区域です(笑)。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: プルースト, 時間の空間化, 観点の球面化