9月 11 2019
電子の二重スリット実験についてのヌーソロジー的見解
意識物理学研究所の佐藤氏からの提案で「ヌース物理部」なるものが活動を開始している。
(ぬーす・ぶ・つ・り・ぶ………いかにも佐藤氏らしい命名 笑)
参加者は佐藤氏、砂子氏、船木氏と僕を含めた4名。僕以外はいずれも物理学の猛者たちだ。(果たしてついていけるのだろうか?)
そこで、ヌーソロジーからの意見をしっかりと言えるように、量子の基本的なところから自分なりに整理し始めた。
まずは、量子の粒子性と波動性。ボーアが相補性と名付けた量子独特の存在様式について簡単にまとめてツイッターでつぶやいた。
………………………………………
電子の二重スリット実験。
素粒子は観察されるものではなくて、観察させているもの。
観察させているものを対象として考えるからワケが分からなくなる。
ここが発射位置だよね。
ここにスリットが二つあるよね。
観測者にそのように認識させている力が下図のような波紋を作っていると思えばいい。
●電子の二重スリット実験に対するヌース的解釈の補足。
1.電子を波だと考えて観測を行うと、波の性質は消え、粒子として観測される。これはなぜか。
観測とは対象化=実数化のことでもあり、位置認識を瞬間性として時空に落とすことを意味する。時空に落とせば、持続空間側の支え(波)は排除される。
2.粒子概念は点のイメージだか、では量子が持つ波動性とは何なのか。
その点位置を意識に与えている持続空間(精神)が時空的に表現されたもの。
3.なぜ、この波動性は確率を意味するように見えてしまうのか(量子力学では波動関数は確率波の意味合いを持つとされる)。
点位置が周縁からの観察(円)によって支えられているものだという認識がわたしたちにないから。
4.観測が行われると、粒子が発見された場所以外では波の痕跡を見つけることができないのはなぜか。
観測者が位置認識を持続状態から、時空の一点に落としたから。
………………………………………
ヌーソロジーの量子に対する基本的な考え方がこれで何となく分かってもらえるのではないだろうか。
物理学者が「量子とは何か」という問いにアプローチするとき、そこで物理学者たちが前提としている概念の成り立ちをヌーソロジーは問うている。つまり、位置なら位置、観測なら観測という概念を成り立たせているものとは何かについて考えている、ということ。
言い換えるなら、世界には、世界が人間の前にいかに開示されているかを規定している、「何らかの先行する非時空的なアプリオリ」があり、量子はその構造自体を示しているということだ。
これが素粒子全体のシステムとしては人間の無意識構造に結びつき、観察子概念を規定する構造にもなっている(と考えるのがヌーソロジーの基本)。
ヌース物理部の活動はかなり専門的なところまで、量子力学と意識の関係を掘り下げられるのではないかと期待している。
いずれ、活動結果を一冊の本に仕上げられるといいなぁ。
9月 24 2019
可能的なものを思考する時代は終わった
位置の交換。
位置の等化。
位置の中和。
位置の変換。
位置の転換。
位置の等換。
位置の融和。
位置の統一化。
位置の同一化。
これらはいずれもOCOT情報が1990年ごろに送ってきたシリウス言語だ。OCOT情報に寄れば、これらのプロセスを通して人間は意識の変容を遂げていくという。
最初はまったく何も分からなかった。それこそ、宗教、神秘学、哲学、物理学、世俗的なオカルトと、いろんなジャンルの知識を漁りながらの約30年に及ぶ解読作業だった。
その甲斐あってか、ようやくこれらの諸概念の輪郭や、それぞれの言葉の意味が分かってきた。
結論だけ言うなら、これらは可塑的な原理としてセットされた超越論的原理の各審級の名称だ。
この時代、超越論的なものの存在など、哲学者でさえ信じちゃいない。だけど、それは存在している。それがあるからこそ、僕たちは人間としての経験を送ることができている。
その正体が素粒子なのだ。
この時代、可能的なものはもう程々でいい。
今こそ、思考を潜在的なものの方向にリープさせよう。ものすごい世界が存在している。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: OCOT情報, 素粒子