5月 29 2018
沈黙の響きを震わせるカタチの世界へ
ヌーソロジーの分かりにくさは「あるもの=客体」や「いるもの=主体」で世界を考えないというところにある。じゃあ、何を通して世界について思考しようというのか。それは―「なるもの」を通して―ということになるだろう。
「あるもの」とは結果の世界。「いるもの」とは「あるもの」がその原因へと方向づけられたところに生まれるもの。「なるもの」とは原因の世界。そして、この「なるもの」から「あらしめるもの」と「いらしめるもの」が生じ、それらの働きによって、「あるもの」と「いるもの」が送り出されてくる。
空間的に言うなら、「あるもの」とは幅の世界。「いるもの」とは幅化した奥行きの世界。「なるもの」とは幅を拭い去った純粋な奥行きの世界。奥行きは自然が精神化していくためのポータル(入口)である。カッコ悪い写真だが、気持ちは伝わるだろう(笑)
「なること」としての奥行きは、散乱した光を拾い集めていく。この光の回収作業によって言葉は砕け散る。ハイデガーが言うように、与えられた言葉を沈黙の中に砕け散らせること。そこに、「なること」としての別の生き物が立ち現れる。そうやって、空間にカタチが生まれ出る。
このカタチについては、思想史の中で実体形相や共通本性など、いろいろな言われ方をしてきた。いずれにせよ、空間が精神化するときには、時間は結晶化しなければならない。
※下写真はそれぞれ覚醒期”レムリア”シンポジウム 『記憶』でのショット。参加者の天海ヒロ氏と稲田明子さんによる撮影です。
6月 26 2018
ヌーソロジーはハイデガー哲学とも似ている?
ヌーソロジーには本来的歴史性の構造として、26,000年を下のような6,500年の四段階に区分する考え方がある。
1.付帯質の外面
2.付帯質の内面
3.精神の内面方向
4.精神の内面
これと似たようなことを考えた哲学者がいないかと探していたら、ハイデガーが同じような考えを持っているのが分かった。
ハイデガーの場合は、この本来的歴史性をプラトンの「洞窟の比喩」との関連性で語っている。
1.地下の洞窟における人間の状態
2.洞窟の内部における人間の解放
3.根源的な光への人間の本来的な解放
4.洞窟への自由な者の帰還
ハイデガーにおいては、この歴史的変遷は存在の取り戻しを意味する。
つまり、ハイデガーは、洞窟の外と内を往還する「解放者」の在り方を、本来的時間における歴史と捉えているわけだ。ただし、ハイデガーには、この段階の切り替わりが6,500年云々~といった話はない。
とにかく、人間を被造物の枠に幽閉している一神教の精神から逃れることが重要。この精神が「付帯質の外面(あるものの世界)」のガードを強固に固め、存在を隠蔽している。人間は物体的な存在でもなければ、生物学的な存在でもない。「付帯質の内面(なるものの世界)」が開けば、それは見えてくる。
※付帯質の外面から付帯質の内面の移行とは、いつも言っている「幅認識」から「奥行き認識」の世界への移行と同じ意味です。
By kohsen • 01_ヌーソロジー, ハイデガー関連 • 0 • Tags: ハイデガー, プラトン, 付帯質