7月 18 2018
最近、ハイデガーを読みだした
ハイデガーを嫌っていた。
今までに読んだ本と言えば『存在と時間』だけだったけど、とにかくハイデガーを嫌っていた。
理由は単純。
僕の好きな哲学者であるドゥルーズがハイデガーを煙たがっていたから。
ひどい理由だ。ヌーソロジストにあるまじき態度だと我ながら思う(笑)。
フランスとドイツの間には、ちょうど朝鮮半島と日本のような歴史的しがらみがある。
フランス人のドゥルーズが、ナチスに加担した履歴のあるドイツ人のハイデガーを素直に読むのは無理だ。
おそらく、そのせいだろう。ドゥルーズはハイデガーに多大な影響を受けているにもかかわらず、ハイデガーを隠す。そして、そして批判側に回る。
そのようなドゥルーズの波動に感化され、ドゥルーズの本を10冊以上丹念に読んできた僕は、ハイデガーを嫌っていたというわけだ。
しかし、ハイデガーを読み直してみると、やはりすごい哲学者だと思わざるをえない。
古代哲学に対するその博識さや近代哲学史家としての論理の分厚さは当たり前として、ハイデガー哲学には、それ以外に何かただならぬ妖気が漂っている。ドイツ語の言霊的分析からの独自の用語や言い回しが多用されるせいもあるだろうが、ぶっちゃけて言うなら、ゲルマン民族の霊の叫びのようなものをそこかしこに感じるのだ。
音楽(ギター)で言うなら、大御所のブルースマンに似た何か。
ドゥルーズは、その辺はフュージョンである。
どうしても、フランス風の流麗さが残る。
だから、情念をそれほど濃く感じることはない。
本物のブルースマンはクロスロードに立たなくてはならない。伝説のブルース・マン、ロバート・ジョンソンが「十字路で悪魔に魂を売り渡して、その引き換えにテクニックを身につけた」のと同様に、ハイデガーもまた悪魔に魂を売り渡す覚悟で哲学を奏でている。その「先駆的覚悟性」が読んでいてひしひしと伝わってくる。
残念ながら、今の僕のメンタリティーはそれほど強靭ではない。ハイデガーに魅かれるところがあるとするなら、その覚悟性だろうか。早い話、彼には何かが憑いている。
これから、ハイデガーの話がちょくちょく出てくるかもしれない。
「量子論、ドゥルーズと来て、ハイデガーかよ。半田氏、勘弁してよ。」
ただでさえ、難解呼ばわりされているヌーソロジーが、なおさら難解と言われるようになるかもしれない。
しかし、自分の欲望はヌーソロジーを分かりやすく啓蒙することだけに向いているわけじゃない。もっと、深みのある思想に磨き上げていく必要があると強く感じている。
そのためには、ハイデガーに感じるそのクロスロード感覚を吸収する必要がある。
かつ、これが大事なことなのだが、古代の民族的な霊に振り回されないようにするためにも、ここはハイデガーの思念をヌーソロジーの機械群を使って、徹底して追跡する必要がありそうだ。
それによって、ハイデガーの哲学が民族の歴史性へと回収されてしまった理由も明らかになるかもしれない。
7月 25 2018
個数演算子を眺めながら・・・
個数演算子は場の量子論に登場する演算子のことで、簡単に言うと、波動化した場を粒子として表現する数学的手法のようなものだ。
個数演算子には粒子を生成させる演算子である生成演算子と、粒子を消滅させる演算子である消滅演算子という二種類の演算子がある。先日話したヒルベルト空間で構成される場|Ψ>にこれらの演算子を作用させることによって、粒子を作り出したり、消したりすることができる―とされている。
興味がある方はネットなどで調べてみればいいと思うが、ヌーソロジーの複素空間認識の思考で、この生成消滅演算子の本質的な意味をイメージしていくと、これはすごく単純なことを言っているのではないかと思われてくる。つまり・・・。
「意識が後ろ=a†で世界を構成してしまうと、前=aが粒子になって現れるよ」と言ってるように聞こえる。
もう少し説明してみよう。
「わたし」がグルっと周囲を見回したとき、普通それは時空の広がりとして現れるよね。これは、いつも言ってるように、他者に「見られる」ことによって生まれている空間だから、肉体的自我に囚われた我執の空間と言ってもよいものなのね。しかし、そのとき同時に、「見る」ことが起こっている奥行きそのものの空間もグルって回ってる。こちらは、昨日説明したように、ヒルベルト空間として「前」で丸まってる。このヒルベルト空間が一個の物質粒子に当たると思うといい。
要は、「後ろ」によって支配されたマクロの空間認識の中で、「前」は人知れずミクロとして沈み込んでいるというわけだ。ハイデガー風に言うなら、これは隠蔽された「存在」と言っていいものになる。流れる時間のその瞬間の隙間に本来的時間である純粋持続=永遠が入り込んでるってわけ。
物理学や哲学に不慣れな人には、やたら難しいことをこねくりまわしているように見えるかもしれないけど、ヌーソロジーはこの隠蔽のヴェールを取り去る作業(霊の顕現)を人間の理性に了解可能な形で行っていると考えてほしい。
この作業が成功すれば、すべての素粒子は消滅演算子(本来的自己の覚醒を意味する)のもとにその姿を消していくことになるんじゃないかな。
この数式からは、そうしたニオイがプンプン漂ってる。
By kohsen • 01_ヌーソロジー, ハイデガー関連 • 2 • Tags: ハイデガー, 素粒子, 量子論