11月 22 2017
「等化する」ということのイマージュ
ヌーソロジーでは精神を「等化」の力として定義し、その形態を空間的には円、時間的には回転として見る。このとき、位相は無数の差異を意味している。差異の中で最大のものは普通「対立」と呼ばれるが、対立関係は円の直径部分に現れる。ヌーソロジーではこれを「対化」と呼ぶ。(図1参照)
この「等化」を単なる無機質な回転としてイメージしてはダメだよ。たとえば、色彩の世界で対化のところに補色関係にある赤と青緑を置くとしよう。すると、等化は色彩の多様性(色環)そのものを意味することになる。(図2参照)
量子力学的な空間では、この円は波動関数の元となる回転を表す。対化として表される直径部分は実軸であり、それは現象の立ち現れ、つまりは、粒子の世界への出現を表すと考えるといい。精神の働きは物理学では確率密度(ψψ*で確率となる)として解釈される。(図3参照)
ヌーソロジーが「潜在的なもの」と呼んでいる領域の入り口は、この「確率密度」に当たる部分だと言えるわけだが、この本性はいつも言っているように、ピカソら、キュビストたちが直観した例の「泣く女」の空間にある。何のことはない。無意識は対象をあらゆる角度から見ている、というモノの真の在り方だと考えるといい。(図4)
こうした空間が背景にあってこそ、それは「モノ」なのだが、実空間認識はそれを全く意識できない。持続が考慮されていないからだ。持続が活動する「潜在的なもの」の領域においては、こうした空間が層をなして、無意識の次元を形作っている。そこに素粒子たちの活動の本性がある。ヌーソロジーではその構造をヘキサチューブルという層空間で表現する。(図5)
こうした実空間への切り取りは、およそ出来事と呼ばれることのあらゆる領域で起こっている。北朝鮮がミサイルを発射した、という出来事においてもそうだ。ドゥルーズ風に言うなら、ミサイル発射を指令した金正恩と、指令しなかった金正恩。したか/しなかったか——という二者択一。(図6)
そこには発射の指令をためらった金正恩もいれば、発射の指令をそそのかされた金正恩もいる。そのイマージュをあらゆる出来事の生起のウラに感受することが必要だ。そこに潜在的なものの活動領域がある。
ある/ない、生/死、肯定/否定。。何でもいい。人間は常に、二元的に思考することを余儀なくされている。こういう思考をコンピュータに準えて、ビット思考と呼んでいい。要は、0か1でしか判断しない、というか、それが判断だと考えているということだ。
量子コンピュータはなぜ出てきたかというと、この「潜在的なもの」を人間が付帯質の中で活用し始めたからだと考えるといい。人間の思考の在り方も古典情報(ビット)処理から量子情報(量子ビット)処理に変えていかないといけない。潜在的なものの顕在化とはそういう意味。それによって、内と外がどう繋がっているかが見えてくる。
AI(Artificial Intelligence)を反転させて、君もIA(Identity Aisle)=自己証明(個体化)の通路を作れ!!
11月 28 2017
倫理のトポスとしてのSU(2)
あらゆる事物がその内に理念の活動を秘めている。言い換えれば、あらゆるものが、その内で思考しているということ。そして、その思考がそれぞれの事物を事物として発生させている。鉱物であれ、植物であれ、動物であれ、人間の肉体であれ例外はない。その思考(存在)にどうやって触れていくか。それが、これからの時代に生きる人間の課題だと思ってる。
おそらく、あらゆる事物の発生プロセスの原-理念はSU(2)にある。これが思考されなくてはならない。ドゥルーズ風に言うなら、この空間構造が巻き込みと繰り広げの原器になっている。ヌーソロジーでいう「人間の元止揚(ψ1〜8)」と「人間の調整質(ψ9〜10)」の関係だ。(下図1)
時間と空間は人間の意識の発生に対応する。そこにSU(2)で構成されたものが事物として立ち現れる。その意味で言うなら、一切の事物は時間と空間の中で活動しているのではなく、SU(2)内部の理念的な活動が、その都度その都度、時間と空間の発生とともに立ち現れていると言った方が正しい。
ドゥルーズのいう〈出来事〉という概念もそのような意味だ。
bi-spacial認識が生まれてくれば、SU(2)は自他相互の奥行き(持続空間)の交わりによって構成されている空間でもあるので、かつての内在/外在という区別は、自然に消え去っていく。要は「外」という超越を抹消させて世界イメージを作っていくことができるということ。
これは、スピノザ的な「すべてが内在」となった倫理的な世界の土台が浮上してくるということでもある。
反転した世界認識に最初に訪れてくる世界感覚だ。次世代が育て上げていくべき世界感情とも言ってもいいだろう。
SU(2)は持続空間が時間と空間上に事物を表現していくに当たっての自己-他者間の絆のようなものだ。倫理的なもののトポスと言い換えてもいい。この相互扶助的な持続の活動は数学的には複素共役として表現され、そこでの虚軸の結合の在り方の違いが時間と空間となって出現してくる。(下図2)
時間と空間、そして、そこに立ち現れる物質。すべては愛の賜物であるということになってくるわけだが、この愛は無意識の愛であって、自我が語る現行の愛ではないので、このあたりは混同なきよう。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: SU(2), スピノザ, ドゥルーズ