11月 13 2020
イエスの復活(あえて煽り気味のタイトルにしました)
自分を中心に広がる空間。そして、そこに散在する対象化された物たち―おそらく私たちのほとんどがこの認識のカタチの中に幽閉されている。これが付帯質(ψ6)のカタチだ。このデフォルトの体制はほんとに強力で、一度、反転が見えて、この位置に戻ると息がつまりそうになるくらいの圧を感じる。
この圧は間違いなく言葉の圧だろう。普通は気づかないが、言葉は身体の中に奥深くのめり込んでいる。言葉が生まれているところが人間の肉体の生成場だとしたら、当然そうなる。この圧が強くなりすぎると、精神(人間の外面)への変換力が弱まり意識は病む。神経症や鬱病はこの系統だ。
ψ6のカタチをψ5へと反転させるだけでも、体にかかる圧はかなり軽減される。持続感覚を自意識に上げ、自意識の重心を肉体側から物側へと移動させるのだ。付帯質によって見えなくさせられていた本来の主体の位置である絶対的中心がそこに顔を出してくる。下図では円Aから円Bへの反転。
人間は円Aのイメージの方はすぐに作れるが、円Bの方がおそらくまったく作れない。中和が先行しているために等化側が無意識化してしまっている。ψ5がΨ6以上の強度を持って浮上してくれば、精神が先行する世界の風景が前景化してくる。図からも分かるように、それが「もの」自体の世界である。
延長空間をベースに世界を見る意識の勢力は抑え目にして、持続空間で世界を見る意識をゆっくりと目覚めさせていくこと。生きているのはそちらだからね。
死とともに精神の生が始まるとヘーゲルは言う。
死が権能するとき、人間が始まる。存在があるためには、存在を欠如せねばならない。by M・ブランショ
イエスの復活やね。
3月 10 2021
そろそろ、主体と客体の位置のイメージを変え始めてもいい頃
下に示した最初の図は、以前も取り上げた図。フッサールの現象学を説明するために描かれた図だったと思う。
ヌーソロジーの観点からすれば、主観と客観のイメージをこういう図でしか描けないこと自体が現在の人間の空間認識の歪みを象徴している。ヌース通の人なら、問題がこの図が描かれている視点にあることはすぐに分かるんじゃなかろうか。空間把握が延長(内面)しか持たないからこういう構図になってしまうんだね。
この図に、ヌーソロジーでいう人間の外面(持続)の空間を付け加えてみよう(青ぼかしで示す)(下二番目の図)。
人間の外面とは実際に観測者がリンゴを見ている空間のことで、そこにおいてリンゴは空間そのものによって認識(虚想)されている。外面としてのその持続空間は内面側の空間(客観世界側)からは回転しているように見える。これが量子力学が波動関数Ψ(x,t))と呼んでいるものだ。
持続空間はリンゴを外から包んでいるように見えるが、これは複素空間が異次元として時空にレイヤーのように重なっているためで、この異次元は時空においてはプランクスケールレベルに射影され、ミクロ領域に収縮したものとして把握されている。
つまり、リンゴの観察はリンゴの内部において行われているのであり、そこでは主体と客体は一致しているわけだ。量子論の観測問題なども、量子が持続空間そのものの射影だからだ。こうした持続を通した新しい空間認識が、人間の意識を物自体の世界へと誘っていく。
ここから、波動関数Ψは回転の群の次元を多層化させ、複素5次元領域(大統一場)で人間の自我システムを構造化している。物の発生と人間の意識の発生は同時発生だということ。
このように、人間は物の内部へと方向づけられることにより意識を持つことができるのであり、この方向づけのことをOCOT情報は「付帯質の内面への変換作用」という(「付帯質の内面」とは物の内部といったような意味)。
ヌーソロジーが現在、追いかけているのは、この付帯質の内面における具体的な空間構造だ。2039年辺りになれば、ある一定数の者たちが、この空間構造を見る視力を持つようになるだろう。これは、「ヒト」の次元領域が開いてくるということでもある。
holism(ホーリズム), hiper-real(超現実), heterogeneity(異質性)という、ヌーソロジーが提供する新しい存在感覚。まだまだ先は長いが、物質と精神を統合的に見ることのできる形而上学的ファンタジーとして、これからたくましい成長を見せていくことだろう。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: OCOT情報, フッサール, 付帯質