5月 19 2017
正四面体のイデアについて
奥行きを第四の次元としてみると、「前」は純正の奥行きであり、それは物体の内部に収縮している。一方、「後ろ(対象の手前方向を含む)」は時間となり、延長世界を作り出す。この構成を支えているのが正四面体とそれに内接する球体のイデアだと考えるといい。縮んだ「前」はスピノル(物質粒子のスピン)でもある。
この図からも見ることが起こっている場所と見られることが起こっている場所が全く違う場所にあることが少しはイメージできるのではないかと思う。こうした正四面体が二組カップリングし、赤-赤の組み合わせで世界を構成しているのが人間の意識だね。青-青の方は無意識の中でまどろんでいる。
inscribed(内接)空間で世界を見ると、僕らは対象の外部にいるのではなく、内部にいることになる。それが「いる」という存在感覚だと思うといいよ。時間が活動する外部側が「ある」だね。そして、この構造の発見が「なる」。「なる」の世界は主客一体。
奥行きに持続を感覚化する者は、すでに対象の内部にいるということ。こうした新しい空間を開いていくことが必要だと思う。プラトン立体とは僕ら自身。
なみに、OCOT情報はこの図の赤線と青線のことを「垂質の対化」と呼んでいた。文字通り、世界に対する方向性を垂直方向に二分する重要なラインであることが分かる。この対化を等化しているのが陽子pで、その反映としての中和が中性子nというストーリーになっている。
3月 19 2018
天と地とを結ぶ約束の絆
ヌーソロジーの作業目的は空間に対する感受性をその根底から変えることにあります。そのためには、まず他者の眼差しを一旦エポケーし、自らの眼差しの中に息づく純粋な奥行きの中に入り込み、そこに自分自身の本性として息づく持続(根源的時間)を直観しなくてはいけません。
現象学的アプローチに近いように思われるかもしれませんが、奥行きから幅を取り除いているという意味で全く違います。現象学的還元はまだ奥行きに幅が入り込んでおり、他者構造から逃れていないのです。脱-表象化ができていないということですね。
他者構造によって構成される時空は開いています。無限の彼方が何なのか分からないわけですね。このことは、自己の精神の位置が消息不明になっていることと同意です。ですから、時空ベースで思考することは、人間が本来の自分を見失っていることでもあるのです。
この消息不明になった自己の精神の位置というのが無限遠点です。直線的世界に無限遠点がつけ加えられると、開いた空間は消え去り、円環的世界が出現してきます。それが、精神の空間だと考えるといいでしょう。
純粋な奥行きはその意味で円です。遥か前方向には自分の後頭部があるわけですね。「後ろの正面とは、実は自分であった」ということに気づくということです。
こうして、空間が精神の媒体に見え出すと、次元観というものも自然に変わっていきます。つまり、そこには直線的次元はもはや存在しないも同然ですから、従来のような、点、線、面、立体、時間、といったような次元観は、精神の営みを無視した極めて暴力的な次元観に感じてくるのです。
ヌーソロジーのいう「次元」とは、空間そのものを精神と見なすわけですから、精神の秩序を構成するための差異の系列のようなものになります。それらはすべて円環をベースに構成されていきますから、必然的に球空間で構成されていく構造を持ちます。その基礎はイデアとしてのプラトン立体から構成されています。ヌーソロジーがヘキサチューブルと呼ぶものですね(下図参照)。
ただし、次元はすべて双対的(自他の相互反転関係を意味する)に拡張していくので、その合間合間で、双対的なものが変質を起こし、直線的場を作り出してきたりもします。この直線的な場の方が、結果的に、現在、人間が時空と呼んでいるものになって現れているものと考えるといいでしょう。
つまり、本来、時空というものは精神に従属して産み出されてきているものだということです。ヌーソロジーが「時空は結果にすぎない」といつも言ってるのも、そのような意味からだと思って下さい。
時空とは、精神の対化が自分たちの活動を物質として表現するために生み出した「無」の場所なのです。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: プラトン立体, ヘキサチューブル