6月 16 2017
反転意識に見えてくる最初の風景
粒子と反粒子が衝突すると光子になるというのは多くの人が知識として知っていると思うんだけど、これは人間が自己と他者をツルツルの水平面上で並列的に見ている意識状態がミクロで表されてるものなんだよね。一者的なもの(重力)と単一化した世界(光)はウラとオモテのような関係にあるってことなんだけど。
この領域を「同一性の檻」って呼んでいいわけだけど、こんな状況だと宇宙には何も生まれてこないってのがすぐに分かるよね。
世界に自己と他者は一対一で現れていないよね。なぜか一対多として現れている。一と多はどう考えたって別のもの。だから、同一平面上に置いちゃいけない。僕らの社会がうまくいかないのも、自他に関する捉え方が根底から間違っているからだと思うといいよ。
素粒子でいうとね、自他の関係はクォークとレプトンのような関係にあるんだよね。つまり、似てはいるんだけど全く種類が違う者。此岸と彼岸の関係で互いに睨めっこしながらぐるぐると回りあっているような存在。ヌーソロジーはそれを下次元と上次元と呼んでいる。
クォークには第一世代としてu.dがあるよね。同じく、レプトンにも第一世代として電子とニュートリノってのがある。これらは重なり合う関係になっていて、見つめられたものと見つめるものの関係になっている。この両者の関係を繋ぐ間に自己意識というものが立ち上がってきているんだ。つまり、自己意識というのは自己分裂、自己崩壊の結果の産物だということ。
だから、見つめられたものとして生じた自己が本当の自分を発見するためには、この見つめられているものが見つめているものの位相にまで到達しない難しい。その到達が自己側、他者側双方から同等に起こったとき、そこに黄金比的連結が起こり、僕らは今までとは全く違った自己-他者関係というものを作り出すことができる。そこに自分とは何かを知った宇宙的自己というものが立ち上がってくるんだね。
それを、本当の意味での「宇宙の晴れ上がり」というんだと思うといいよ。(ちなみに通常の宇宙物理的な意味での「宇宙の晴れ上がり」とは、自由電子が核子と結合し、光子の進行を妨げることを止め、光子が真っ直ぐ進めるようになることを言います)
あっ、くれぐれも言っておくけど、これは反転認識で素粒子を見るとどのようなものに見えるか、という話だからね。宇宙を裏返しにして見たときの初めの部分の風景のイメージと思っておくといいです。
6月 26 2017
原子力時代に止めを刺そう!!
素粒子と時空の関係を比喩として表現するとこんな感じ(下写真上)。直線の上を転がっていると見ているのが外延としての物質意識(時空並進)。直線を巻き込んでいると見るのが内包としての持続意識。前者は動くけど、後者は不動。巻尺中心から転がりを見たときが波動。そんな感じだね。
波動関数ψを位置や時間で微分するというのは、円の中のグルグル巻きをこうして直線として引っ張り出すという意味。回転の角度を直線的空間や直線的時間に翻訳するということだね。
ちなみに位置xで微分すると運動量pxというのが出てきて、時間tで微分するとエネルギーEというのが出てくる。空間をどれだけ進んだか、時間がどれだけ進んだか、ということ。
このイメージからすると、目の前で流れていくように感じられている時間は本当は自分の周囲にグルグルと巻きついている。そして、その巻きつき円を昨日の話のように反転させると、時間は目の前の一点で停止し、そこにすべての時間が固定されてある、というイメージが生まれてくる。それが持続中心。
モナド(精神実体)としての原点だよ。
これは、過去が実在として保存されている場所の原点と言っていいね。それが物質粒子(おそらくuクォーク、上次元ではニュートリノ)の本性。
この対応からすれば、時間が自分の周りをグルグル取り巻いている円の方がdクォーク(上次元では電子)ということになるね。
こうした関係が見えていないとき、つまり、時空認識が先行しているときは自分を取り巻いている円は電磁場(電磁ポテンシャル)になっている。
そして、この電磁ポテンシャルが目の前の瞬間と持続中心を一致させようと常に働いている。移りゆく瞬間と永遠を常に繋ぎ合せようとしているんだね。
つまり、記憶は光が運んでいると言えるのかもしれない。局所と非局所をつなぐ橋になっているんだね。それが物理学として表現されたものが局所的U(1)ゲージ変換というやつだと思う。モナドの回転(時空並進)が常に現在でも感じ取られるようにしている機構。
で、精神はそこから他者の知覚領域、自己と他者のそれが合一した領域、そして、自己や他者というものを本来成り立たせている領域へと持続の軸を増やしていく。それがSU(2)→SU(3)→SU(4)というように複素空間の回転次元を上げていく様子として表現されている。でも、同時に、それらは必ず瞬間としての現在と応答し合っている。
これが物理学が局所的ゲージ対称性と呼んでいるものの本質だと考えてる。ここまで話せば、素粒子が無意識の構造というのが、それほどトンデモ話とは聞こえなくなってきたんじゃなかろうか。物理学がこっちの方向に向かえば、僕らの宇宙観はあっという間に内在方向に移動を開始するんだけどね。
数学的裏付けがまだまだ不十分なので、頑張って勉強しなくちゃいけないけど、素粒子とは何かという究極の設問は、いずれにしろ、素粒子とは誰か、という設問に変わっていくと思うよ。そうなったとき、ようやく原子力時代は「なんじゃ、こりゃあ~!!?」と言って、断末魔の雄叫びを上げながら息絶え、物質は我に帰ることができる。
※下写真下は川瀬氏の作品です。ここ最近で一番笑った写真(笑)
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: SU(2), クォーク, モナド, 波動関数, 素粒子