10月 9 2018
ヌーソロジーにおける正四面体の意味合いについて
今回は少しだけカタチの話。
ヌーソロジーがカタチと呼ぶものはイデアとしてのプラトン立体のことを指している。
プラトン立体を綿棒やボール紙で作ったことがある人たちも多いことだろう。そこには息を呑むような美しい幾何学的秩序がたくさん隠されている。もちろん、こうした秩序を数的比率などを通して感じ取ることも大事だが、ヌーソロジーの視点からすれば、プラトン立体はわたしたちの意識の成り立ちそのものの秘密をも隠し持っている。どういうことか―。
ヌーソロジーではプラトン立体を高次元の空間的秩序が延長性の中で表現されたものだと考える。高次なのだから、つまり、その本質は不可視の持続空間の中にあるということだ。
プラトン立体の基本は正四面体だが、正四面体は持続空間の最もベーシックな次元を構成している。わたしたちの延長認識(3次元意識)においては、これは4次元空間と呼ばれているもののカタチに他ならない。正四面体は4次元のカタチなのだ。
持続空間における幾何学は決して対象ではない。その中に観測者自身が含まれて始めて意味を持つものだ。その意味で、観測者自身自らの実存に帰る位置は4次元にあり、その位置が見えてこそ、初めて正四面体という形態の正しい理解に至ることができる。
4次元は3次元空間自体を観察しているものの位置の方向として開かれる。3次元人間が、2次元の円の内部と外部をいとも容易く出入りできるのと同じように、4次元人間にとっては球面で遮蔽された3次元の内部と外部を自由に出入りできる。こうした4次元方向の自由度を持って活動してるのが、いつも話している「奥行き」のことだと考えるといい。
ヌーソロジーにとって奥行きは持続空間そのものなので、持続空間として成立している「わたしの実存」は、本当は物の内部にいるということだ。そして、それが素粒子の世界と繋がっている。
結論から話しておこう。正四面体とは時空のイデアである。
正四面体の頂点の位置を観察位置と考えるといい。観測者がそこから世界を見ているにもかかわらず、その4次元方向の位置が見えず、3次元(x,y,z)と同一化している状態が正四面体の頂点から他の三つの頂点へ引かれている稜線の意味(中和)だ。
当然、その逆方向が等化に当たる。これは、無限遠点が観察の位置だということを知るということ。それによって、眼差し自体(奥行き)の方向が「人間の外面」として覚醒を起こし、時間軸は方向を反転させ、第四の空間次元(これが持続空間だ)として物の内部に入り込むことになる。
こうした中和状態における正四面体のことをOCOT情報は「止核精神(シカクセイシン)」と呼んでいる。そして、観察位置が無限遠点だと知り、等化が見出されることを「核散(カクサン)」と呼び、この「核散」が3次元意識(表象意識=人間型ゲシュタルト)の解体の契機となり、人間の意識に高次元知覚が発現してくるというシナリオになっている。
持続空間の概念によって裏づけされたこのような正四面体が正六面体、正八面体、ベクトル平衡体、菱形12面体、正十二面体、正二十面体というように発展していく幾何学領域というものが存在している。それがヌーソロジーが「次元」と呼ぶものであり、この「次元」が人間の無意識構造(アプリオリ)をフレーミングしており、わたしたち人間の自我意識を構成する元になっている。
悲しいかな、現在の人間の経験的意識においては、こうした持続空間のカタチは中和状態である客観的時空(幅認識支配の延長空間)のもとにすべて融解している。意識が物質的な同一性の中に幽閉され、奥行きが形作っている精神空間が何一つ見えなくなっているわけだ。
この失われたカタチに対する視力を取り戻すことが、ヌーソロジーの一つの目標でもある。
10月 10 2018
「止核精神」としての正四面体のイメージについて
前回紹介した「止核精神」としての正四面体のイメージについて、もう少しだけ説明しておこう。
人間は空間が3次元であることを知っている。では、その当の3次元を観察している位置はどこにあるのか。2次元(平面)の観察が3次元(高さ方向)からしか行えないように、実は、3次元の観察も4次元方向からしか行えない。その方向にわたしたちの実存としての精神が息づいている。
実際、互いに直交する3本の座標軸を観察している方向を見出すのは簡単だ。目の前に正八面体の形をイメージし、3次元座標の軸(x,z,z)が「水」の字形を描くようにセットしさえすればいい。このとき、その三軸を見ている奥行き方向が4次元になっていることが容易に理解できるはずだ(下図上)。
そのように考えれば、4次元の視点の位置は正八面体に外接する正六面体の一つの頂点tの位置にあるとの予想が立つ。というのも、3次元を規定する正八面体をいくら膨張させようが、「そこに外接する」という条件がある限り、この正八面体の頂点を正六面体の頂点の領域に到達させることはできないからだ(下図中)。
つまり、その意味で観察位置tは3次元空間にとっては無限遠点(無限にたどり着けない位置) として規定されているわけだ。つまり、この外接/内接関係には3次元と4次元の絶対的差異が表現されているということだ。
さて、このように本当は観察位置が無限遠点にあるからこそ3次元を認識できているにもかかわらず、現在のわたしたちは3次元空間の果てに何があるのかを全く理解できないでいる。それが潜在的な等化と、それに反映された中和の関係だと考えるといい。
3次元の認識はできているのだけど、それを認識している自分の位置には気づけていない、ということだ。その双方の役割の調整を果たしているのが正四面体というカタチだと考えるといい。
ちなみに、向き付けが逆の正四面体が他者側の止核精神となる。二つの正四面体の双方の交差は星型八面体というカタチを作り出すが、この等化(回転)が物理学に言うローレンツ変換のブースト部分に当たる。参考までに図ではその三つの回転面をレッドで塗りつぶして表しておいた(下図下)。
ここに表現した外接方向の正六面体は「有機質(ユウキシツ)」とも呼ばれており、有機体の集性を形作る場とされる。早い話、わたしたちの外在世界の土台である。
無限遠点を観察の位置として思考を開始すれば、空間は精神の空間へと変貌し、奥行きが時間の収縮体に見えてくる。それによってわたしたちの認識は持続空間の領域へと侵入し、世界全体をその根底から裏返した全く別の世界へと侵入していくことになる。それが「付帯質の内面」と呼ばれる領域だ。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0