6月 2 2017
新しい場所論を!!―無頭人たちが生きる場所
目の前の奥行きには、「収縮としての奥行き」と「弛緩としての奥行き」が重なり合って存在させられています。例のバイスペイシアル認識というやつですね。前者が虚軸で、ベルクソンの言葉でいうなら純粋持続(無意思的記憶)の役割を担っており、後者が実軸で、こちらは純粋知覚(瞬間的知覚)の役割として働いています。
今のわたしたちは、前者について全く無自覚で、後者だけで世界を見ているということが分かります。虚軸が真横にずらされて、奥行き方向に実軸=幅しか感じ取ることしかしていません。「他者視点から世界を見る」という他者-構造に空間認識が支配されて、自己のアイデンティティを保証している持続空間が見えなくなって、無自覚のまま無意識的に働いているわけです。
これからの時代、この是正が始まっていくと思います。世界の土台への沈み込み=巻き込みの方に意識が方向性を変えていくということですね。この反転は、人間をマクロ空間に生きる物質的生き物から、ミクロ空間に生きる霊的生き物へと変態させ、物質世界を内部側から見る知覚(正確には超感覚的知覚)を発現させてきます。
幅認識で世界を構成している意識の組織化が経験的自我で、奥行き認識で世界を構成している意識の組織化が超越論的自我と考えるといいでしょう。後者の組織化が認識に浮上することにより、意識は相関主義が形作る円環から逃れその外部へと出て行きます。それがドゥルーズがいうところの「差異化」です。
もちろん、こうしたバイスぺイシアルな空間認識を達成することがすべてというわけではありません。重要なことは空間認識がそのような変化を見せ始めたときに、この差異化していく空間思考にどのような新しい空間感情が伝播してくるのか―。思考者はその共振に常に注意を払っていくことが重要です。
この世界認識の型(ヌーソロジーでは「トランスフォーマー型ゲシュタルト」と呼んでいますが)は、シュタイナー風にいうならば、イマジネーション認識の土台となるもののように思えます。人間の経験的自我が生み出すほとんどの意識的内容物が、時間と空間という感性における直観形式を土台にした培養物として生まれているように、この新しい世界認識の型は霊我(シュタイナーのいう高次の自我)における直観形式を決定づけ、その形式に合わせた新しい超感覚的な知覚的内容物を用意してくるのではないかと思っています。
その意味で言えば、トランスフォーマー型ゲシュタルトとは今までの時間と空間に変えて、無時間世界(持続空間)の中において、新しいトキとトコロを用意する場所論のようなものとも言えるのではないかと思っています。
素粒子とは、このトキトコロの場所が「響き(霊引き)」として存在させられているものであり、この「響き」を聞き取るところにわたしたちの意識が発生しているとも言えます。
そして、そのトキトコロの響きを追って、そこに響きの起源となっている「響かせているもの」の空間形態をトレースしていく純粋思考の力がそのまま元素体の生成へと繋がる仕組みになっているようです。そのトレースをケイ素体まで導くのが、OCOT情報がいうところの「シリウス」です。14のイデア空間です。
かなり、ブっ飛んだ話をしている自覚はあります(笑)。しかし、奥行きが見えてくれば、この話は単なるトンデモだけでは片付けられない、「ありうる」「ありうべき」話として聞こえてくるのではないかとも思っています。未だ誰も超越論的なものの在り処について明確に指し示した人はいないわけですから。
無頭人(アセフェル)のゲシュタルトが目撃する新しい場所。それを作れ、そうすれば、彼はやって来る―。フィールド・オブ・ドリームスのアレですね。
7月 3 2017
シュタイナー思想とヌーソロジー ——物質と精神をつなぐ思考を求めて
ヌーソロジーのシュタイナーとのコラボ本、Amazonで予約を開始したようだ。長かった。もともと、この本の企画は、2013年の夏に観音企画の影山氏が神戸でシュタイナーVSヌーソロジーの対談イベントを行ったことが起点になっている。
その後、東京でも似たイベントを行い、そのとき、たまたま参加してくれていた江口氏なる怪しげな人物(笑)が、内容に痛く関心を示してくれて、書籍化の話を持ち込んできてくれた。
いきなりの話で、最初は一体、何者かと思ったが、この江口氏なる人物、元々は音楽関係の方で、あの知る人ぞ知る伝説のバンド「たま」のプロデューサーだった。「たま」の最大のヒット曲は「さよなら人類」。〜今日、人類が初めて木星に着いたよ♫〜。というあの名曲だ。
「たま」?「さよなら人類」?「木星に着いた」?……こりゃ、やるっきゃないだろ(笑)、ということで、イベントに参加してくれた福田、大野の両氏も快諾。そこから、神戸、東京での話の内容のテープ起こし原稿をベースに、書籍化の作業が始まった。
神戸ではシュタイナー研究家の福田氏、東京ではそこに医学博士でシュタイナーにも詳しい大野氏の参戦。時と場所も違えば、メンツも話の内容も違う。この二つのイベントをミックスするわけだから、これは当然、ありもしなかった、もしくは、ありえたかもしれないコンサートのライブ盤を作るような作業になる。
江口氏の編集作業はたぶん地獄のような様相だったに違いない(笑)。壮大すぎて、底の見えないシュタイナーの思想と、未だ海のものとも山のものとも得体の知れないヌーソロジー。その二つを合体させていく作業なのだ。
本のためのミーティングも四人で何度か持った。書き起こし原稿だけでは貧弱だったので、そこに加筆分が、断続的に堆積していく。江口氏は、そのつど、そのつど、三人から送られてくる原稿を、齟齬をきたさないように、元原稿に組み込んでは架空のイベントを演出していく。離れ業だ。
まさに、時系列を無視した持続空間での講演本+鼎談本ということになる(笑)。ほんでもって、気がついたら、1000ページば遥かに越しとるやんけ〜!!!という、掟破りの体裁に。この暴挙に目を瞑っていただいた出版元のヒカルランドの石井社長にも頭を下げたい。
こんな作り方の本は、僕も初めてなので、実際に手に取ったときの感触が楽しみではある。ジャケット(装丁)もヌースのイベントにちょくちょく顔を出してくれる画家のマシマ氏の作品をベースに天海氏がCG処理を施したものが採用された。発火するエーテル体のイメージだろう。二人ともヌーソロジーとシュタイナーの何たるかを知っている人物なので、本の内容にもバッチリ、マッチしている。お二人の協力に心から感謝!!
初版印刷部数1000部、おまけに1200ページ近い分量、ということで、致し方なく高価な本になっているけど、そのへんの本を4〜5冊買うより、遥かに強烈な意識体験が味わえると思うので、そんなに損はないと思います。ヌーソロジーに関心がある方のみならず、シュタイナーを学んでいる方も是非。
ということで、Amazonページ、紹介しておきます。
『シュタイナー思想とヌーソロジー ——物質と精神をつなぐ思考を求めて』
』
By kohsen • 01_ヌーソロジー, 06_書籍・雑誌, シュタイナー関連 • 0 • Tags: シュタイナー, シュタイナー思想とヌーソロジー