12月 17 2018
3次元意識はきっとカットできる
前回紹介したキットカット実験は、その名の通り「君も3次元意識をきっとカットできる」というメッセージでもある(笑)。知覚空間には反転した持続空間が含まれている。だから、単なる延長空間の中でイメージしてはいけない。それを無反省にやってるのが科学的な知覚解釈だと考えよう。
外界の物体に光が当たって、それが目に入って、視覚中枢を刺激して云々~というモデルじゃ、知覚の何たるかなんて絶対に分からないということ。宇宙のリアルに触れたいならば、そういう考え方は絶対にしちゃいけない。
ヌーソロジーが用いる円心概念の本質は「観測者の位置を無限遠点に置く」という考え方で成り立っている。つまり、3次元世界は4次元世界からの射影で成り立っていると考えるということだ。その意味で、3次元世界は「射影された空間」であり、射影しているものを何一つ持っていない。
そして、その射影している最初のものが奥行きなのだ。奥行きは実際、知覚上、点に縮んでいて、幅(実数直線)とは全く違う様相を呈しているのが分かる。それは数学的に言うなら、おそらく実数を切断するものでもあり、かつ、連続させているものにもなっている。連続即不連続の媒介になっているということだ。
射影しているものは、3次元には射影されたものとして現れる。その最初のものが素粒子のスピンと呼ばれているものに対応することになる。それは、収縮した奥行きとしての持続空間なのだ。つまり、僕らの精神そのものであるということ。
素粒子のスピンには右巻きと左巻きがあるという話を君たちも聞いたことがあると思う。これはヌーソロジーから解釈するなら、4次元からの射影の方向が互いに真逆なものがあるということを意味している(4次元空間の向き付けが逆ということ)。それが何かすぐに見当がつくのではないだろうか。そう、他者の奥行きだ。その意味で、素粒子の世界では、自他相互の精神(無意識)が互いに切っても切れない深い交流関係を形作っている。
ところが、時空に縛られた3次元意識では、この交流は全く見えない。致し方ない。時空という場所は持続からは疎外された、無人の砂漠地帯のような世界に等しいからだ。ただし、この物言いには「人間にとって」という但し書きが必要だ。射影する方にとっては、時空は、むしろ、自他間の愛に満ちた世界と言ってよいものになる。射影されたものと射影しているものでは時空を見る意識の方向がまったく逆になっている。
反転した世界―そこには反転した意識を持った、精神としての存在が生きている。彼らにとって、物質とは論理(知性)であると同時に、倫理(愛)でもあるのだ。その想像力を決して失わないこと。そして、それを信仰とするのではなく、自らの思考の中に出現させること。
3次元意識はきっとカットできる。僕たちが奥行きの空間に目覚めさえすれば。
どうでもいいけど、この写真、デカすぎるな。
12月 19 2018
世界を永遠化するにあたって
生物学的には人間はサルから進化したものと考えられているが、ヌーソロジーでは人間の誕生は時間・空間の発生と同じものとして考える。物理学的に言うなら、ビッグバンが人間の意識の発生そのものを反映していることになるわけだ。
科学的思考では、ありえへんトンデモだ(笑)。しかし、こと意識という観点で考えた場合、時間と空間というものは、カントが言ったように人間の意識が成り立つための絶対条件(感性の直観形式)であり、意識と時間・空間は切り離すことができない。
いつも言ってるように、人間は時間と空間の中で生きているのではなく、時間と空間として生きているということだ。物質で思考するから、あたかも何もかもが時間と空間の中で進行しているかのように見えるが、時間と空間、意識と物質を切り離して考えてはいけない。ほんとうは、すべてが連続して繋がっている。
では、ビッグバン以前の世界に何があったか―その世界こそが人間の起源というものになるのだが、その世界について考えるための一つの仮説として、あのホーキングなんかが提唱した虚時間宇宙論というのがある。
虚時間宇宙とは時間tが虚数化して「it(アイ・ティー)」になった世界のことだ(「i t」はドイツ語では「es」。これが無意識を意味するエスとなるのが面白い)。
これは4次元の対称性が復活した世界と考えるといい。そこでは、時間と空間の区別はない。つまり、シュタイナーがいう時間の空間化が起こるわけだ。
最近は11次元とか、10次元などが流行りだが、この虚時間宇宙を「たかだか4次元」と言って舐めちゃいけない。数学的には4次元空間というのは無限の微分構造を持っているとされている。そういう次元は4次元だけだ。ハイデガー風にいうなら、この世界は「無底」だということ。おそらく、この無底性の中に存在そのものの本性が隠されている。ヌーソロジーではこの無底の空間のことを「元止揚空間」と呼んでいる。
自然界の万物は、この無底世界におけるヌースの流動が、時間と空間の発生とともに射影されたものではないかと思われる。そこにおいては、時間と空間の発生も結果でしかない。いや、もっと言うなら、一つのプロセスにすぎない。
この無底の世界に人間の思考が侵入を開始する時期が来ているように思える。そして、この転回もまた存在における一つのプロセスだと言えよう。その意味で言うなら、ヌーソロジーがいう調整期と覚醒期という概念は、この無底なる存在における呼気と吸気のようなものなのだ。
この地平で思考することが、世界の永遠化の条件と言える。この反復が考慮されなければ、自然の何たるかは決して理解することはできない。似た立ち位置で自然を思考している哲学はハイデガーとドゥルーズぐらい。特にハイデガーは『寄与論考』の238~242でこうした存在のビジョンを端的にまとめている。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 1 • Tags: カント, シュタイナー, ハイデガー, ビッグバン