12月 27 2018
ψのケイブコンパスの全体像の大まかな解説
春井さんの話でケイブコンパスの全体像が出てきたので、ついでに言っておくと、次元観察子ψ10~9(ψ8~7含む)とψ12~11の間には断層があり、歴史意識的にはψ12~11は近代以降の意識に当たる。面白いことに、OCOT情報はこのψ12~11の領域を正確な意味で「人間」と呼んでいる。つまり、ψ10~9の段階では「人間」はまだ存在していなかったということだ。
これはよく言われてることだけど、人間とは近代の発明品のようなものと考えた方がいい。その意味で、人間は今後、僕らの想像を超えるような変化を見せていくことになる可能性を秘めている。現在の近現代が作りあげた人間観に固執する必要はどこにもない。人間について知ってる人間なんてどこにもいやしないのだから。人間は神と同じくらい神秘的な存在なのだ。
ということで、ついでにケイブコンパスについて、簡単に説明を入れておきます。
近現代の意識地層は破線で囲んだ場所に当たる。ψ10~9までは内在的視線は2次元(前後・左右)で水平的だけど、ψ12~11では4次元(前後・左右・上下・統合)となって、それが複素次元ではSU(4)(複素4次元の回転)に関係してくると考えられる。
ドゥルーズ=ガタリのいう「逃走線」はψ11後半の自己意識の完成の部分に当たる。ここは外面領域なので人間の意識がスキゾ化していて、理性が理性自身の解体を目論んでいる場所でもあるということだね。ψ12後半とψ11後半は資本主義における領土化と脱-領土化の反復回路のようなものと考えると分かりやすいかも。
で、問題は一番上の「最終構成」というやつ。これは個の意識発達においては「死」の領域を意味してる。歴史意識としては近現代的主体の死。OCOT情報では1989年からこの最終構成の領域に入っているとしてる。これは何かというと、ψ1~12までの構成をまるまる反転させる領域のことで、要は他者精神の世界。
人間の意識はノス(赤)が先手を取って動いているので、放っておくと、そのまま惰性でψ*2の流れの中に入って行ってしまう。それが今の僕たちの状況と考えるといい。これは、自己意識の基盤となっていた真の主体としてのψ5の位置を喪失するという意味だ。このような状況をOCOT情報は「人間の精神の中和」と呼んでいる。
つまり、精神が消え去ってしまうということ。決定的カオスだ。今の世界の状況、自分の心の状況を見れば、それは薄々と直感できるのではないかと思う。ニーチェ風に価値基盤の全崩壊、受動的ニヒリズムの蔓延化と言っていいかもしれない。
ただ、困ったことに、今の僕たちは現在の歴史発展の方向以外、人間の文明の進化のベクトルというものを想像することができないでいる。このままいくと、精神なき全きカオスが到来してくることになるわけだ。それを好む人はいいけど、好まない人もいるはずだ。だから、一つここらでオルタナティブを作らないといけないんじゃね?と、ヌーソロジーは言ってるわけだ。
それは、ドゥルーズ=ガタリが予見したように、ψ11後半のスキゾ化の方向が示唆している。最終構成において、ψ*2の方向へと侵入していくのではなく、そこで方向を捻って、自己意識の基盤であったψ5を奪回するために、ψ1→ψ3→ψ5の方向にある精神の位置を見つけ出すこと。これがヌーソロジーのいう「顕在化」の作業だと考えるといい。
これは、従来の意識の裏貼り側へと回りこむような意識の創造だ。哲学的に言うなら、超越論的なもの(人間の経験的意識を作り出していた無意識)の側へと、意識を反転させることを意味している。生がもたらす死ではなく、生をもたらす死を経験の俎上に上げていくということと言い換えてもいいだろう。
そして、この思考作業が同時に物質の秘密を明かしていく。ヌーソロジーではそういうシナリオになっている。
12月 28 2018
「次元の交替化」って何よ?
OCOT情報で一番衝撃を受けたのは「次元の交替化」という概念だった。
OCOTの言う「次元」とは普通僕らが使う3次元や4次元といった次元概念とは全く違う。哲学がいう「超越論的なもの」の場所のことだ。表には所与としての人間の経験的な意識あり、その裏にこの所与を与えるところの「次元」がある。
そして、面白いのは、この「次元」もまた対化としてあるということ。超越論的なものが二つある・・・?
そんな話は既存のどんな哲学にも出てこない。つまり、OCOTの宇宙論理は徹底して例の「キアスム(交差配列)」で貫かれていて、経験的なものと超越論的なものの関係もまた例外ではないということだ。
そして、OCOT情報はこの存在論的とも言えるキアスム構造の中に、人間が自己と他者と呼んでいるものの関係の本質があると言う。要するに、自他間においては、本当は経験的な意識と超越論的な意識の関係が真逆になっていると言うのだ。へっ・・・? それこそレヴィナスも真っ青になる他者論ではないか(笑)。
そして、太古の時代にはこのキアスムを自明なものとしてメタ知覚していた意識が存在したのだと言う。それがOCOTのいう「ヒト」という存在だ。そして、ヒトはこの二組の陰陽(次元の対化)の対称性を作り出すための準備段階として、互いが互いに関与する期間を設ける。それが「調整期」と呼ばれる。
人間の意識活動は、その調整期なるものにおいて出現している次元の状態であり、調整が終了すれば、そこから、ヒトは、人間の自他それぞれの意識において経験的なものと超越論的なものとして働いていた場所を丸ごと入れ替えていく作業に入る―簡単に言えば、自他の意識の場所を取っ替えるということ。これが「次元の交替化」のあらましだ。
いきなり、こんな話を聞かされた日には、ハンマーで頭を殴られた感じ、どころか、首がちぎれる(笑)。
まぁ、如是我聞タイプの話なので適当に聞き流してもらってOKだが、とにかく、この「次元の交替化」というビジョン、古代宗教や神秘学、哲学や物理学の中にいろいろとその痕跡を探してきたのだが、単なるトンデモで片付けるには実に惜しい。ハイデガーの言うように、存在は隠れたり、現れ出たりして、営々と流転しているように感じる。
ヌーソロジーが展開している幅(他者)と奥行き(自己)の空間論は、そうした流転する「次元」の風景の地平を何とか自分の意識に顕在化させたいがために建築しているようなものだ。
この建築は再生に近いものだが、「夜の時代にあってすでに立ち去り、いまだ還らない神々を回想する」ための思索の作業とも言えるだろう。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: OCOT情報