9月 12 2016
太陽の中にある太陽
以前Twitterで「宇宙には太陽系しかない」とつぶやいたら久々にたくさんのハートマークが来た。たぶん、ハートをくれた人は占星術をやってる人や伝統的な霊知に詳しい人がほとんどだと思うけど、一方で科学的宇宙観をそれなりに信じている人にとっては、このオジサンかなりイっちゃってる、と思われたかもね。事実、イっちゃてるから、まぁ、いいんだけど(笑)
でも、この発言は反転した空間における思考がもたらしているもので、別に霊感であてずっぽに言ってるわけじゃないんだ。奥行きの空間で世界を見だすと意識の場は時空から素粒子の場に移る。太陽というのはその素粒子の全体性が組織化されていくプロセスになってるんだよね。そして、この組織化がアートマン(個体原理)としての人間の無意識構造になっている。
人間という生き物(特に男性)はどうしても世界を客観的に見たがるよね。いつも言ってる「世界を幅で覆っちゃう」ってやつなんだけど。でも、そういう見方だと人間は絶対に宇宙とは調和を持てない。自分の意識を特権化して、つねに、〈われ-それ〉の関係で世界に触れようとするから。理性の横暴がここにある。
今の常識的なマクロに対する宇宙観って、全部その見方からきてるものだよ。それをまずはしっかりと確認してほしいんだ。つながってないよね、見てる自分と。何も。
でも、僕らが世界と関わっている空間を幅(延長)ではなく、奥行き(持続)そのものに取り替えて、そこに物理学が使用している虚軸の概念を添えると、僕らは物質の内部の場所に一気にワープし、宇宙の内部とつながることができる。そこから、宇宙を考え直す時期がきてる、と言ってるわけ。
僕はもうその思考を25年以上やってる。さっきの太陽の話も、その結果として見えてきたものなんだ。つまり、太陽を太陽の中から見て言っているってこと。外から見た太陽じゃないよ。宇宙を裏返して認識していくことは可能なんだ。空間を奥行きの空間へと模様替えしさえすればね。
そろそろ〈われ-それ〉の関係から出ようよ。裏返った宇宙にはそれこそブーバーが言うように〈永遠の我と汝〉しかいないよ。そこでは「それ」なんてものは存在していないんだ。
10月 3 2016
瞬間の中にある永遠が開く時期が迫っている
意識は能動的なものと受動的なものの関係性が作り出している。だから意識の秘密を探るためには能動的なものが活動している場所と受動的なもののそれとをまずは見い出さないと無理。哲学的には持続と延長がその関係になってるのだけど、物理学ではそれが内部空間と時空の関係として表現されている。
人間が能動的なもの(持続)に無頓着なのは、記憶の重要性についてまだ気づいていないからだね。記憶こそ空間の非局所的性質がもたらしているものだよ。かつてのあそこも今ここに同時にある。記憶ってそういうものでしょ。それに対して外的知覚なんてものは一瞬で消え去ってる。ここんとこよく考えて。
外的知覚は幅化した奥行きの空間を通して入ってくるんだけど、それを記憶として保持しているのは持続としての奥行きの空間なんだ。だから、記憶は常に目の前で再現されてくるわけ。目の前に異次元が重なっているんだよ。この異次元がなけりゃ、外界なんて瞬間だけなんだからないも同然でしょ。違う?
そして、この異次元がダイレクトに素粒子と直結しているとしたら、自然界に出現しているすべての物質は実は外界に存在しているものではなく、持続体の運動のもとに段階的に組織化されている精神の歴史の瞬間的幻影ということになるね。鉱物も、植物も、動物も、そして他者も実はそういうものなのさ。
それらを時空上の存在物と見る思考は持続の力を無視した全くの虚構と言っていいんじゃないのかね? 科学的唯物論(素朴実在論)の胡散臭さはまさにそこにあるわけだね。だから、そんなのを常識にしていてはダメ。持続空間を思考していくための影絵のようなものとしてみないとね。
こんな当たり前のことを言うのに、哲学的にいろいろな言い回しを駆使しなくちゃいけないほど、僕らの思考は本当の宇宙的現実からズレているわけ。正気じゃないんだよ。誰もが空間を幅で覆っちゃって、奥行きを見てないから。奥行きこそが僕らの生命が働いている場所だよ。
つまりさ、瞬間の中に畳み込まれている永遠、それが僕らなんだ。これについては過去の神秘家や、宗教者や、哲学者たちがすでに多くを語っている。しかし、まだ僕らはこのパラドックス的共在を知性の域にまで上げれていない。だから人間は死に怯えることになる。死と重複して生きているにもかかわらず、だ。
死を開くためには力強い知性がいる。死を見えるものへと変えていく必要があるのだ。死とは生を経験可能なものにしている永遠の部分だ。そして、この永遠は永遠という別の時間の中で生きている。もちろんそれを魂と呼んでもいいのだが、そう呼んでしまうとその分かりやすさゆえに死は生から遠ざかる。
今までとは全く違った方法でこの死の空間を召喚すること。「奥行き」において空間を思考し世界をそこから再構成していくということは、死の視点から世界を描き直すことに等しい。地図はもうほぼ出来上がっている。あとは、奥行きを虚軸と見なす物理学者たちの決断だけなのだろうと思っている。
おそらく数十年後には現在、素粒子物理が展開しているゲージ対称性の世界は人間の魂の構造として理解される世の中になっているだろう。それが人間世界のすべてを変えていく。それが「次元の方向性がすべて見えるようになる」というOCOT予言の意味でもある。成就の年は2039年とされている。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 2 • Tags: OCOT情報, 奥行き, 素粒子