11月 29 2021
自己自身を内に向けて開こう
OCOT情報によれば、今年2021年は「位置の等換=Ψ9」の顕在化の年ということなので、執拗に、このΨ9の顕在化ということについて考えている。寝ても覚めてもΨ9(笑)
ヌーソロジーのいう(次元観察子)Ψ9とは、端的に言えば”時間”に対応している。”時間”が顕在化するって、一体OCOTは何を言ってるのか?
いろいろとその意味について考えてみたが、結局、一番近い答えはハイデガーの哲学にあった。ハイデガーは20世紀に一番読まれた哲学者なのではないかと思うけど、たぶんほとんど理解されていない。自己の、自己への到来。そこにハイデガー言うところの現存在の「現」の意味があるのだが、ハイデガー曰く、この「現」が開示するとき、世界は時熟と共に真の現象として現れる。
ここでいう真の現象とは、私たちが受け取っている自然のことではなく、自ら自己として湧き出でる自然のことである。ハイデガーの哲学においては、現象を湧き出させているのも自己なら、それを受け取っているものも自己であり、自己は死(永遠)へと打ち砕かれつつ、再び自己のもとに瞬間として到来し、そこに帰来する「現」に自己を見るのである。
このハイデガー言うところの「現存在」の回路を空間認識として与えようとしているのが、OCOT情報が「位置の等換」と呼んでいるものだということがようやく分かったという感じか。
この空間認識の力は、その名の通り、”現”として現れる世界に物となってやってくる。最初の周回は”現”に客観と主観の座を用意するが、同時にそこに陽子と中性子を現象として運んでくるという筋書きだ。ほんと、よくできている。主客一致の思考を持つ者たちの世界がそこから始まるわけだ。
この感覚が日常化し、自然界全体をそのような循環の地層として見ているものが、おそらく「ヒト」という存在なのだろう。2039年には、その方向へと人類の意識が転回を起こすと言うのだが、多分、行って数千名程度じゃね?という感じもする(笑)
「位置の等換」を行った人間たちが無数いる社会ってどんな感じろう? なんかすごくないか。異星系の文明っぽい(笑)。それこそ自然と共に生きる知性体といった感じだ。外に際限なく開き、外でみんなが繋がることを夢見て進んできた私たちの文明だが、「それはない」ということが誰の目にも明らかになってきたのでは?
これからは「内に開かれた世界」について考えること。そのためには、まずは自己自身を内に向けて開かないといけないね。
12月 8 2021
時空の脱自態の地平へ―時空のスイングバイが始まっている
久々にKAZEさんの記事より。
ここに書かれてあることのすべてに同意します。
このKAZEさんの記事を取り上げたのには理由があって、たまたま下のようなツイートをTwitterに連投していたから。
以下、Twitterより―
本来的時間への時熟が起こると、世界はうちへと向けて自らのうちに開く。ハイデガーはこうした”開き”のことを「脱自態の地平」と呼ぶが、具体的にそれがどのような世界なのかについては語っていない。ヌーソロジーからすれば、それは人間が自然の始原(素粒子)に位置する霊的自然のことに他ならない。
OCOT情報では、この「世界はうちへと向けて自らのうちに開く」ことを「対化の方向性が変わる」と表現する。例の「時間に負の方向性が生まれる」というお馴染みの表現も、このハイデガーのいう「脱自態の地平」に対応していると考えていいように思う。
ヌーソロジーの空間構造のみならず、哲学や物理学の知識がないと、ここは何をどうイメージしていいのかサッパリなところかもしれない。大雑把に言えば、”持続を挟んで時間の方向性がひっくり返される”のだとイメージすればいい。
このひっくり返りによって、自然界は持続(永遠)から現出してきているものに見え出す。そして、その時の持続とは自己自身のことでもある。一方、今の私たちは現出を知覚してそれを持続の中に記憶している。つまり、時間の負の方向では、継起する瞬間性と持続の関係が逆になっているのだ。
ベルクソンの持続の存在論とハイデガーの時熟の存在論のを統合させて思考したのドゥルーズだと思うが、ドゥルーズの場合、そこに登場する新たな主体のビジョンがあまりに超絶すぎるという問題がある(笑)。この主体イメージはもっと思考可能なものとして描かれる必要がある。
生成空間という新しい地平の上に本来的自己と非本来的自己のハイブリッドとして立つ「ヒト」において、時間はどのように見え、また物質はどう見えるのか。そのイマージュを確立させていくことが、OCOT情報のいう次元の顕在化という概念とつながっている。
位置の等換の年とされる今年(笑)、朧げにも浮上しているビジョンは時間と持続の循環が確かに意識内に存在しているという感覚だ。ベルクソンの場合はこの循環を例の逆円錐モデルで描いているが、あれだと、反復のイメージは持てても循環のイメージはひ弱い。つまり、反復するその理由が見えない。
通常の存在感覚で言うなら、瞬間性の継起を迎え入れるところに客観認識が生じ、それが持続へと戻されるときに記憶、つまり主観性が生じ、その主観を支える持続が持続の向こう側へと回り込むことによって、瞬間性の継起を非本来的自己の前に立ち上げるといった循環イメージだ。
このような時間イメージを強固なものとするためには、主体は自ら自身の位置を持続におかなければならない。かつ、その持続からいかにして瞬間性を立ち上げることが可能になるのか、そのイマージュを明確なものとしないといけない。
そのシステムを支えているイデアが例の3+1→2×2→3+1という、時空のスイングバイを行う、複素二成分スピノルのテンソル積に表現されていると考えるのがヌーソロジーなのである。このスイングバイはハイデガーの言葉を借りるなら、時空自体の脱自態を表現する式と言えるのではないかと思う。
この時空のスイングバイの達成によって、時空と原子核は見分けがつかないものとなる。つまり、ミクロがマクロを包むという逆モナド化の世界がそこに開き、時空自体が襞のように重なりを何重にも持ち、物質の内部のあの多様性の世界が、そのまま物質の外部とイコールになるような多様性の時空が花開いてくるわけだ。ブラボー!!
それによって、ここではドゥルーズの言うように、差異は肯定的なものとして現れ、新たな差異の生産がそのまま、二元性の統合という運動に置き換わりながら、時空をよりふくよかなものへとしていく。ヌーソロジーにおいてはその運動は等化(精神)のセリー(連続的系列)として現れ、これが”ヌース(能動的知性の流動性)”の意味するところとなる。
結論から言うなら、このような世界の裏返しは可能である。と言うか、その裏返しが反-実現化しているからこそ、この今の私たちの世界の存在があると考えないといけない。今、あちこちで現れている表の世界の行き詰まりは、そろそろ裏へと回りんしゃいという、存在からのサインだと思うのだが。。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: OCOT情報, ドゥルーズ, ハイデガー, ベルクソン, 素粒子