4月 1 2019
「わたし」が存在しない地球
―世界には「物」しか存在しないのだとしたら
人間の内面とは、物が客体化するところ。
人間の外面とは、物が主体化するところ。
人間の外面はまだまったく無意識の状態にある。
人間の外面は人間の内面から見ると、物のなかに入っている。
つまり、人間の外面は主客一致状態にある。
主客一致は素粒子において起こっている。
素粒子が複素空間でしか記述できないのも、
複素空間が主客一致の空間の形式を表現しているからだ。
虚軸が主体(持続)、実軸が客体(想像)。
互いの直交性は「観察」を意味している。
この複素空間のシステムは、
まずは人間に一つの物を認識させる。
次に無数の物を認識させ、そこに主体を作る。
次に無数の主体を合流させ、そこに鏡の原理を持ち込み、
人間に自己意識を発生させる役割を担っている。
複素空間のシステムは階層化されている。
それがヌーソロジーが「次元」と呼ぶものだ。
この「次元」をメタ知覚していくことが、
ヌーソロジーにおける無意識の顕在化を意味している。
ヌース的「超越論的経験論」と言い換えてもいいだろう。
素粒子知覚はそのベースが「タイムレス=永遠」なので、
これは死のパースペクティブを提供するものになってくる。
つまり、無意識の顕在化とは、自らの死のイメージをイマージュしていくことにほかならない。
死が生を裏支えしている生の本性だということがわかってくれば、
生と死の境界線は自ずと薄らいでいき、
人間も多少は姑息な生き物ではなくなるかもしれない。
もっとも、そこに「人間」という概念が残ればの話だが。
4月 3 2019
ヌースレクチャー2019、いよいよ始動!!
ヌースアカデメイアから、ヌースレクチャー2019のスケジュールが発表されました。参加を希望される方は、今のうちに日程を確認されておくといいと思います。
今回のシリーズは肩の力を抜いていきます(笑)よろしくお願いします!!
まだ具体的なプログラムは決めていませんが、この2年間の間に出版した『シュタイナー思想とヌーソロジー』と『奥行きの子供たち』の内容をミックスしながら、リラックスモードでやって行きたいですね。
ヌーソロジーに関心がある方は、是非、おいでください。
By kohsen • 01_ヌーソロジー, 02_イベント・レクチャー • 0 • Tags: シュタイナー思想とヌーソロジー, 奥行きの子供たち