5月 7 2019
『奥行きの子供たち』レビュー
○ フリーエディター&ライターの岡崎直子さんの解説
岡崎直子さんが、ヌースの新刊本『奥行きの子供たち』について素晴らしい解説をしてくれています。『奥行きの子供たち』を読まれた方も、まだ読まれていない方も是非、ご覧になってみて下さい。岡崎さん、ありがとうございます!!
https://www.facebook.com/CrossingNaokoOkazaki/
○ Ricardo氏による躍動感あふれるレビュー
以前、東京でヌーソロジーのオフ会などもされていたRicardo氏が、今回の『奥行きの子供たち』のレビューを書いてくれています。今回の本のコンセプトをすっかり見透かされて、悔しいような、嬉しいような、読んでて、元気づけられるありがたいレビューです。
Ricardoさん、ありがとう!!
https://www.facebook.com/tommy.ricardo.988/posts/2360751037503882
○ 共著者・星乃さんのレビュー
『奥行きの子供たち』共著者の星乃さんが、メールで届いたレビューの紹介をしながら、執筆中のウラ話を紹介してくれています。
5月 9 2019
受動的な光と能動的な光
永遠のもとに世界を見るとき、
わたしたちは「物」になる。
「物」は永遠を孕んでいる。
それは科学的には素粒子として表現されている。
「物」が素粒子からできていることを常識とするなら、
「物」が永遠によって作られているということも、そろそろ常識になってもいい頃だ。
光は物を見るためだけに存在しているわけじゃない。
光は、本来、君が「いる」ことの証でもある。
だから、光は必ずしも物理的なものとは言えない。
光が精神的なものだからこそ、光速度では時間は止まり、空間も消え去るのだと考えないといけない。
見える光ではなく、見ること、そして「いること」としての光へ。
奥行きに永遠を見る、奥行きに自分の根拠としての永遠を感じ取る、ということはそうした光の能動性を意味する。
拡大するのではなく、縮むこと。
自分の居場所を物の外ではなく、
物の中へと移動させること。
創造=生成は、そのようにして開く。
僕たちに決定的に欠けている感覚は、
二つの永遠が出会ったとき、
そこに時間と空間が生まれてくるということ。
そして、その時間と空間が、
その出会いを物質として表現するということ。
物そのものが本来、僕と君との共同体なのだ。
宇宙はそのようにして生きている。
人間が宇宙から疎外されている、
ということの意味もここにある。
物は本来、対象ではないし、
ましてや所有されるものでもない。
この屈折した認識を是正しない限り、
宇宙はやがて人間から離れ去っていく。
僕らが今の文明に直感的に感じている危惧は、
この宇宙の離れ去りにあると、
僕なんかは思うのだけどね。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0