7月 19 2024
主客一致の世界観に科学側からアプローチすることが重要
ヌーソロジーが提唱する「素粒子とは人間の無意識構造の時空への投影である」という考え方は、量子力学における根本的な問いに対し全く新しい視角を提供するものです。この考え方は、以下のような特徴を持っています。
1.主観性と客観性の統合
ヌーソロジーは、観測者の内的な精神構造と外部の物理的世界との繋がりを探求しています。これは、従来の物理学が採用してきた客観的な現象理解のアプローチとは根底から異なります。
2.精神と物質の相関
ヌーソロジーの枠組みは、人間の無意識構造が物理現象、特に量子現象にどのように影響を及ぼすか、また、逆に影響を受けるかについて、その相互関係を空間を媒介にして考えます。
3.量子力学の新解釈
量子の謎を探るに当たって、まずは「波動関数とは何か」という問題を新入口にして、ヌーソロジーはこの問題に対して主観的な次元からの解釈を提供することで、従来の量子力学に対する理解を拡張しようとしています。
4.哲学的・形而上学的アプローチ
ヌーソロジーは、物理学だけでなく哲学や形而上学の視点から量子現象を探求することにより、科学と哲学の融合を図っています。
こうしたアプローチは科学を否定しようとするものではなく、科学の境界を拡張し、新しい宇宙理解や人間理解の道を切り開く可能性を求めるものです。
下のイラストは例によってジピが描いたものですが、4次元認識を説明するのに、とてもいい構図になっています。
映画館に一人ポツンといる観客を物理学者だとしましょう。彼は今、素粒子世界を実験などを通して、物理的対象として思考し、数式などを使ってそれなりのイメージを持っています。そのイメージは、ここではスクリーンに映し出された像としてシンボライズされています。
もちろん、現代の物理学者たちは、そこで自分たちがイメージしている素粒子世界が何らかの高次元の影のようなものであるということは知っています。ただ、何の影なのかは知りません。
この影を映しているものは、このイラストでは映写機として描かれています。映写機からの投影が、そのまま物理学者が見ている素粒子となって現れているわけです。
映写機は科学者の背後にあり、この映写機の位置からは、科学者も対象として見えるのが分かります。つまり、この映写機は、3次元世界そのものを見ている無限遠点の位置がシンボライズされているものと考えるといいと思います。
無限遠点は4次元と接続しているので、この映写機は4次元を通してスクリーンに自らの影を映しているということになります。
この無限遠点が物理学者自身の意識の位置だとしたらどうなりますか?
こういう考え方をすると、物理学者は自分自身の視線を観察されている素粒子世界の中に目撃することになるというのが分かるのではないかと思います。
ヌーソロジーでは、状態ベクトルやスピンといった量子力学に登場してくる物理概念は、こうした物理学者自身が持った4次元からの観察の志向性が3次元に射影されたものと考えます。
「奥行きはミクロに反映される」というのも、こうした内容を意味しています。
7月 23 2024
物質粒子はなぜ3世代に分かれているのか
人間の身体空間を対象の空間と同一視することによって、身体固有の空間としての前後・左右・上下という主観的な空間の次元は姿を消す。
意識の台座が身体にあるにもかかわらず、こうした空間の次元が完全に無視されていることが、意識に対する私たちの理解を阻んでいる。
ヌーソロジーの場合、まずは奥行きを持続(虚軸)として考え、時空から差異化させる。そして、前後軸の関係に強アイソスピンのSU(2)を見て、物質粒子としてのuクォークとdクォークに対応させる。
当然、左右・上下にも同様な空間構造が隠されていることだろう。必然的に、それらはsクォークとcクォーク、tクォークとbクォークというように、第二世代、第三世代のクォークに対応させて考えることになる。
クォークとレプトンの違いは、対象極側でのSU(2)の構成か、自我極側でのSU(2)の構成かの違いだろう。
右巻き、左巻きは、自己側から見ているか、他者側から見ているかの違いである。
自己と他者は対等な関係なので、結果的に自己の無意識構造と他者の無意識構造は、正粒子と反粒子の関係として現れることになる。
消えた反粒子の世界——それは他者の意識世界のことなのだ。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: アイソスピン, クォーク, レプトン