8月 5 2016
ゾンビ化から逆ゾンビ化へ
さぁ、8月。これから2ケ月はヌースの物理学月間。浮気をせず物理学とヌーソロジーの関係だけについてひたすら考える。構造的にはここはキモなので何度も思考を反芻しながらヌースの諸概念と物理学が見ている量子世界の構造形式がピッタリとハマるかどうかを一つ一つ丁寧に確認していかなくてはならない。
ただ、苦しいのはワシが物理学の知識に今一つ不慣れなこと。京大で理論物理学でも修めておくべきだった(笑)。まぁ、しかし、ヌース側からの空間構造はほとんど見えているので、ズポズポと当てはまっていくことだろう。形式をマスターしてあとはそこにヌースの概念を受胎させていけばそれでいい。楽観的だ(笑)
これはヌーソロジーのBABYMETAL化とは対極の作業になるがBABYMETALのウラに神パンドの超越技巧や三姫の血のにじむようなトレーニングが隠されているように、ヌーソロジーを上質のエンターテインメントとして多くの人に提供していくためにはそれこそ地を這うような地道な思考努力が必要なのだ。負けんよ。ソイヤ、ソイヤ(笑)
さて、「物理学は形式だけで概念がない」といつも喚いているわけだが、形式が概念を持つとはどういことか?―物理学の形式だってちゃんとした概念だぞ、このトンデモ野郎!!という人たちもいるだろう。そういう人たちには、「いや、それは概念ではない」と言い返しておこう。ここで言っている概念とは「孕むこと」、つまりconcieveすることを言っている。concieveとはコンセプト(=概念)の語源だ。この言葉には「妊娠する」という意味がある。
これは本来、概念には「ロゴスがコーラを捕獲すること」、つまり、神の精子が神の子宮に受胎を起こすということの意味が重ねられていると思っていい。もちろん、ロゴスとは理性、コーラとは人間の無意識構造(魂)のことを言っている。
現在の一流の物理学者たちは量子が物質ではなく、それが理念的な存在であることをすでに知っている。つまり、観念の射影物であるということを百も承知しているということだ。しかし、どう観念の射影物となっているかまでは考えない。誰も分からないというのもあるし、量子が理論通り予測でき制御できるのであれば、従来通り物質的対象として扱っても何の支障もないと考えるからだ。
しかし、量子は物質という概念でくくれるものではない。その意味で量子はまだ概念化されていないのだ。
量子を概念化するということは、言い換えれば量子を自らの身体性の中に溶け込ませることと言い換えてもいいだろう。物理学者が数学的形式として理解している複素空間に「奥行き」や「持続」といった身体性を持ち込むヌーソロジーの手法も、その量子の身体化を目指しているからにほかならない。
しかし、たったそれだけのことでも、素粒子の世界は全く違う姿に変貌する。それは描像が生まれるという意味でもあるので、霧が晴れたような風景がそこに広がってくるのだ。物理学は数学的形式が精緻に構成されているだけに、そこにはとてつもない精神力のポテンシャルが存在している。このポテンシャルが概念化の通路に流れ込むとき、そこには信じがたい魂の解放力が生まれる。
今まで物質概念に抑圧され、暗闇の中を盲目的に彷徨っていた魂の力が堰を切ったように自らのいるべき場所に再配置されていくような感覚を得られるのだ。澄み渡る無意識空間。それによって宇宙は錯視、転倒を是正し、本来の正常な自分自身の姿を取り戻してくる。この感覚は「悟り」などといった薄らぼけた東洋的感覚とは大違いの何かだ。
世間ではポケモンGOが大流行りだが、ヌースのゲームが完成すれば、世界自体の中に隠れている本物のピカチュウ探しの遊びが一部の人たちの間で始まるのではないかと予感している。ゾンビならぬ逆ゾンビの世界の出現だ。ウヒヒヒ………。こうした逆ゾンビ輩出ゲームの完成を目指して、このクソ暑い中、しばらく物理の数式とのにらめっこの日々が続きそうだ。史上最高のゲームに仕上がる予定なので、首を長くして待っておくように。ただし、発売日は未定(笑)
※下画像はhttp://bokete.jpからお借りしました。
9月 5 2016
『QJKJQ』はタイトル自体がミステリー
先日紹介した『QJKJQ』を一気に読了。読む人を選ぶ作品だが、本当に意欲的な作品だ。選考委員の有栖川有栖氏が「これは平成の『ドグラ・マグラ』である」と帯に書いているが、僕にはそう感じなかった。
『ドグラ・マグラ』は時代がまだ追いついていなかったために、狂気で閉じている。しかし、この『QJKJQ』は狂気では閉じない。今という時代の”正気”を描いている。倒錯に対する視点が確信犯的に真逆になっているのだ。そこにヌースとの接点もあるのだが(笑)。
佐藤氏が好きな作家はニーチェ、バタイユ、フーコー。そこにマリリン・マンソン風のサウンドが加わり、全盛期のデビット・フィンチャー風の映像感覚が畳み掛ける。膨大な量のシミュレーションを行い、丁寧にシーンを切り貼りし、まるで設計技師のような手つきで物語の輪郭を作画していく。すべてが計算され尽くされている。実に彼らしい作品だ。
小説はここ20年ぐらい読んていないので、現在のミステリー小説のシーンに関しては全く知らないのだが、このようなテーマをミステリーに持ち込み、かつ、それで日本最高峰の賞を獲るという彼の筆力はハンパない。BABYMETALやシン・ゴジラ旋風とも共通するのだろうが、「平成」の終焉を感じさせる力作だ。
タイトルの『QJKJQ』。ほんとうにイカしてる。相変わらずセンスいいよなぁ。作中に何度か顔出を出す「国家には窓がない」という謎めいたフレーズも気がかりだ。このフレーズがこの作品のすべてを象徴していると言っても過言ではないような気がする。今のような時代だからこそ、日本人はこの言葉に秘められた真意を探る必要がある。
―国家という密室の中で何が起こっているのか。そして、犯人は誰か。。
※下写真は裏表紙です。
By kohsen • 06_書籍・雑誌 • 2 • Tags: BABYMETAL, ゴジラ, バタイユ