5月 14 2021
4次元について―素粒子の中へと入って行こう
内在空間というのは、文字通り外在空間が内へと反転した空間です。外在空間を4次元の時空だと考えるなら、内在空間は4次元の空間です。この第4の空間軸は空間というよりも時間に関係し(虚時間)、ヌーソロジーが、4次元空間を延長ではなく、持続空間として見るのもそのためです。
外が内に反転するということは、外のあらゆる位置が一点に重なり合うことを意味します。持続空間の特徴はこのように、原点を一つしか持たないというところにあります。それによって、持続空間では「私はまったく動いていない」という感覚が生じてくるのです。
このことは平たくいえば、身体の内部の空間に入ることを意味します。身体の内部と言っても、内臓のような外から見た身体の内部のことではなく、内から見た身体の内部のことです。そこに精神が活動する空間があります。これは持続空間なのですから「記憶の器」と言い換えてもいいでしょう。ヌーソロジーでいう次元観察子Ψ5の位置です(下図上参照)。
この図で、Ψ5が先手を取って、Ψ5→Ψ6と働いているのが無意識です。一方、人間の意識はΨ6側が先手を取っているために、Ψ6→Ψ5というように、Ψ5が反映としてしか働いていません。そのためΨ5のカタチが見えません。記憶はΨ5の空間にあるにもかかわらず、それは脳の中にある―と考えてしまうのも、そのためです。
Ψ5の空間は奥行きを直径に持っているので長さを持ちません。物理学はこれを虚軸として表現しています。その意味で、反映側のΨ6から見ると、無意識のΨ5→Ψ6の対化は下図下のように空間上に小さく小さく縮んだものとして見えてしまいます。それを私たちは物質粒子(クォークであればuとd)と呼んでいます。
「素粒子は対象ではない」とヌーソロジーが言っている意味が、この図からも少しは直観できるのではないかと思います。言い換えるなら、素粒子を対象として思考している限り、私たちは自我意識から出ることができません。素粒子とは私たち自身なのです。
このような認識が生まれてきたとき、わたしたちの認識は物を外部から見る世界から、物を内部から見る世界へと侵入していきます。このような意識変容のことを「付帯質の外面」から「付帯質の内面」への反転といいます。これを皮切りに、無意識のシステムとしての素粒子知覚に入っていくということです。
素粒子物理学が何やら暗号のような複雑な数式表現になってしまっているのは、時空上から私たちの無意識構造を対象化し、それこそ精緻に彫塑しようとしているからだと思って下さい。素粒子の内部から見れば時空は結果です。結果の世界からその原因と結果を記述しているために、混雑化しているのです。
9月 9 2021
流れない時間の場所
以前のオンライン講演会で、奥行きが流れない時間としての持続の場所になっていることを分かりやすく図にして説明してみました。一応、ここでは時間の流れを左から右方向で示していますが、これは3次元意識での時間感覚と思ってください。4次元が見えてくると時間は持続の時間で示した矢印の逆方向になります。
このような配置で時間と持続の関係をイメージできるようになると現在と過去が共存している感覚がクリアに意識化されてきます。この現在における過去との共存がヌーソロジーが「いる」感覚と呼んでいるものです。これは、持続に触れていること。つまり、存在(生命)に触れているということを意味します。
ここから一歩進んで持続空間の中に分け入り、その内部がどういう構造になっているかを思考し、それを感覚に上げていこうとしているのがヌーソロジーです。それは具体的には、ヌーソロジーが次元観察子と呼んでいるもので表現されて行きます。
結果的に、そこに生み出されている世界が「なる」の世界へとなって行くとヌーソロジーでは考えています。「モノ」の本性、物自体の世界ですね。
奥行きに持続の位置があることを人間の意識が知ることを、OCOT情報では「方向覚醒」と呼んでいます。これは、精神が奥行きを通して外化し始めるということを意味します。この「方向覚醒」によって、精神と物質が一致した世界風景が徐々に意識に出現し始めるということです。「意識の位置」が見出されるということでもあります。
「位置」というと、普通私たちは空間的な点をイメージしますが、位置とは本来3次元空間上にポツンと打たれた点のようなものではなく、対象を見ることの中に潜む奥行き自身のことを言うのです。私たちは空間に点を見るのではありません。見ること自体が点だということです。そして、それは持続の働きのことでもあるわけですから、そのイマジネーションだけでも、そこでは見るものと見られるものの分離が消滅していることがわかります。
こうした持続としての異空における無時間の力は、時計的な時間と延長的な空間しか知らない物理学の中では運動の関数として記述されるしかありません。持続が時間と空間をベースに記述されている状態と言ってもいいでしょう。それが量子を記述する波動関数Ψの正体と見るのがヌーソロジーです。
そういうわけですから、主客を分離させた認識では量子の正体は永遠につかむことができません。その意味では、量子とは奥行きに潜んでいるひとつの先験的原理であって、科学的、経験的な概念では決してないのです。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: OCOT情報, 奥行き, 次元観察子, 量子