9月 12 2024
4次元知覚の芽生え
3次元のどこを見ようが前は前。
このことが意味することを図で示しておきます。
わかりにくいかもしれませんが、
皆さんも考えてみてください。
ヌーソロジーが「奥行き」と呼んでいるものは、
このような4次元としての「前」のことです。
この図で示したような球空間が、
小さく縮んで3次元空間にくっついているとしたら、
それは3次元からは何に見えますか?
たぶん、ミクロ世界にある小さな粒のようなもの見えるでしょう。
「それが素粒子だよ」と言ってるわけです。
⚫巨人の撤退
今つぶやいた内容が、すぐに理解できないということは、皆さんの意識から、主観空間が消えているということです。
なぜ?
他者が見ている空間を、自分に被せているからです。それはまさに、神話でいう巨人の空間です。
目には見えないところで、この二つの空間が抗争を続けています。ほとんどの場合、他者が見ている空間の方に軍配が上がります。人間の歴史もそのようにして発展してきました。
しかし、これからは違います。「前」が目覚めてくれば、この巨人は撤退を開始します。だからこそ、「前」の目覚めが何よりも望まれるのです。
10月 16 2024
物の内部への侵入とは
物自体の世界は「物の内部」に息づいている。人間の意識は表象でしか世界を捉えることができないので、この「物の内部」に侵入することができない。物の内部へと認識が侵入するためには、表象から逃れて、物の内部の空間というものを発見する必要があるわけだ。
現代宇宙論でも示唆され始めているように、物の内部(内部空間)は時空から見れば高次の射影空間になっている。この射影の実質を、ヌーソロジーは私たちが知覚の現場として経験している「奥行き」と考える。数学的にはこの最も基礎的な部分は虚時間itとしての4次元に対応している。
つまり、「奥行き」は射影のもとにミクロに収縮しているということだ。一方、客観空間としての時空の方は延長として弛緩している。この対比は、ベルクソン=ドゥルーズの物質論が示唆している文脈でもあるのだが、ヌーソロジーもそこは同じ考え方をしている。
問題は「奥行き」が持ったこの高次の空間構造を私たちがどのようにして看取して行くことができるのか、その方法論にある。ヌーソロジーでは、その地図作成が現在、現代物理学によって行われていると考える。
たとえ、量子重力理論や超弦理論のような万物の統合理論が完成を見ようとも、その先に「次量子力学系」なるものが存在している。
それは、人間の知性による物の内部への侵入である。能動知性(ヌース)はそのような物質知の手続きを通して、人間の歴史の中に出現してくる。そのときに、まさに人間の歴史も終止符を打つのである。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: ドゥルーズ, ベルクソン, 奥行き