4月 22 2011
「ヌースと原発問題」を語り合う
福岡のヌースレクチャーに参加してくれていた有馬さんが、ミニヌース合宿を臨時に企画してくれましたので、その開催要項を取り急ぎお伝えしておきます。
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【「ヌースと原発問題」を語り合う ヌース合宿in博多】
3月11日の東北関東大震災から一ヶ月が過ぎました。
被災を受けられた方々には心よりお悔やみを申し上げます。
この震災は日本全体に、そして世界に大きな衝撃を与えました。
特に、原発や放射能の問題が私たちの意識の中に大きく浮き上がってきました。
東電と経産省そしてマスコミの癒着、情報の隠蔽等の問題は海外からも批判を受けています。
そのような実態を知れば知るほど、やりきれない思いがします。
これらの問題をどのように整理したらいいか、ヌースを学ぶ人たちで、語り合いたいと思いました。
そこで、5月14日の佐藤さんの物理学教室にあわせて、久しぶりの「ヌース合宿」を企画しました。
コウセンさんを中心に「ヌースと原発問題」をテーマに皆さんでたっぷりと熱く語り合いたいと思います。
詳細は以下です。ふるってご参加ください。
●日時:2011年5月14日(土曜日)午後6時から翌朝まで、(部屋の使用は夕方までOKです)
※午後1時〜4時 ヌースコーポレーションで、佐藤さんの「物理学教室」が行われます。
物理学教室に参加される方は、終了後、車で会場まで移動します。車の方ご協力お願いします。
合宿のみ参加の方は5時30分にJR香椎駅に集合してください。
●会場:福岡市東区香椎4丁目7−17
※30人宿泊できる(部屋数12、風呂2、トイレ3)一軒家を確保しました。
JR香椎駅から徒歩10分ほど。希望者には地図を送ります。駐車場10台可。
●参加費: 宿泊する人 3,500円 宿泊しない人 2,000円
※前日から宿泊希望(2泊)の方、4,500円。
食事と飲み物は準備いたします。おつまみ持込歓迎!
●申し込み方法:申し込みは有馬まで
メールもしくは電話にて メールアドレスはこちらに記載→ヌース合宿企画しました
電話 090−5925−0785
宿泊日、名前、性別、佐藤さんの物理学教室参加の有無 をお知らせください。
準備スタッフ募集します。
●申し込み締め切り 2011年5月2日(月)迄。 30名で締め切ります。
以上です。
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ちなみに当日、昼間に行われる佐藤さんの物理学教室の開催要項は以下の通りです。
【ヌーソロジー理解のための物理学教室 第3回 量子力学入門(予定)】
●日時:2011年5月14日(土曜日)午後1時〜4時
●場所 : ヌースコーポレーション2Fラウンジ
●参加費 : 1.000円
●連絡先 ツイッターメッセージ @satohakase (佐藤)
皆さんのこぞってのご参加をお待ちしています。
4月 28 2011
圧倒的な暴力の彼方に
「二度あることは三度ある」とはフクシマのために用意された言葉なのだろうか。スリーマイル、チェルノブイリ、そしてフクシマ——。このフクシマが「三度の目の正直」ならば、事態はおそらく予想通りの展開を見せていくことになるだろう。それが最善のシナリオなのか最悪のシナリオなのかそんなことは問題ではない。事態はとにかく予想通りの展開を辿り、いい意味でも悪い意味でも人間の歴史はこのフクシマを不連続点として別の時間軸へと移行していくはずである。なぜなら、現在、フクシマから進行している地球規模の放射能汚染とは存在の裂け目の地上への降臨にほかならないからだ。
核分裂がウラニウムから生起するということの意味について考えてみるといい。ウラニウムとは自然界が生み出した最終的な元素である。「上にあるが如く下にかくあり」というヘルメス知を持ってこのウラニウムの正体を探るならば、それは存在世界自体を支える全精神体の影のようなものと言える。核分裂とは文字通りこの全精神体を分裂させようとする力の介入である。それは存在の引き裂きと言い換えてもいいだろう。存在の裂け目が開くとき、そこには深淵が顔を覗かせる。ポストフクシマというこれからの時間において人間の先に待っているのはまさにこの深淵なのである。
全精神体の引き裂きとそこで流される夥しい量の精神の血を直視すること。われわれは今まさに殺害されつつある神を目撃しているのだ。刺客は他ならぬわれわれ人間自身が持った物質的欲望である。言うまでもないことだが、神の活力が死に至らしめられれば生命の秩序は木っ端みじんに解体されていく。事実、核分裂がもたらす放射能の暴力がいかに圧倒的なものであるかをわれわれはすでに知っている。連中には空間も時間も関係ない。連中は音も光も熱も発することなく、ただただ冷徹に地球が長年にわたって育て上げてきた生命の調和をその根底から切り裂いていく。その冷血さの中にプリンス・オブ・ダークネスの姿を見るのは容易い。
放射能が虚無の嫡子であるのであれば、歴史の中で行使されてきた最良の精神たちに対するすべての暴力、すべての陵辱は、今、フクシマで起きているできごとの中に集約されていると考えることもできる。できごとにおいては無意識の潜在的な構造がその症状を繰り返し現実の中に表現してくるのであり、その意味において歴史上で行使されてきたありとあらゆる暴力はすべて同じ暴力なのである。なぜなら、存在の裂け目が神の傷であるならば、それは常に一つなのだから。傷はどこからやって来るというものでもなく、神と同じく「ありてあるもの」なのであり、歴史の終わりに当たって、それは神の出現と共に露になるべきものだからである。
われわれはこれから出現してくるであろう深淵において、この圧倒的な暴力の正体を自らの意思によってあばかなければいけない。この暴力の由来をあばくことによって、われわれはまた歴史上で行使されてきたすべての暴力をあばくことができるのだ。さて、結果が最善のシナリオとなるか最悪のシナリオとなるのか、そんなことは問題ではない。事態はとにかく予想通りの展開になるだろう。これは最終戦争なのである。
By kohsen • 10_その他 • 5 • Tags: 原発問題