反転意識に見えてくる最初の風景

粒子と反粒子が衝突すると光子になるというのは多くの人が知識として知っていると思うんだけど、これは人間が自己と他者をツルツルの水平面上で並列的に見ている意識状態がミクロで表されてるものなんだよね。一者的なもの(重力)と単一化した世界(光)はウラとオモテのような関係にあるってことなんだけど。
 
この領域を「同一性の檻」って呼んでいいわけだけど、こんな状況だと宇宙には何も生まれてこないってのがすぐに分かるよね。
 
世界に自己と他者は一対一で現れていないよね。なぜか一対多として現れている。一と多はどう考えたって別のもの。だから、同一平面上に置いちゃいけない。僕らの社会がうまくいかないのも、自他に関する捉え方が根底から間違っているからだと思うといいよ。
 
素粒子でいうとね、自他の関係はクォークとレプトンのような関係にあるんだよね。つまり、似てはいるんだけど全く種類が違う者。此岸と彼岸の関係で互いに睨めっこしながらぐるぐると回りあっているような存在。ヌーソロジーはそれを下次元と上次元と呼んでいる。
 
クォークには第一世代としてu.dがあるよね。同じく、レプトンにも第一世代として電子とニュートリノってのがある。これらは重なり合う関係になっていて、見つめられたものと見つめるものの関係になっている。この両者の関係を繋ぐ間に自己意識というものが立ち上がってきているんだ。つまり、自己意識というのは自己分裂、自己崩壊の結果の産物だということ。
 
だから、見つめられたものとして生じた自己が本当の自分を発見するためには、この見つめられているものが見つめているものの位相にまで到達しない難しい。その到達が自己側、他者側双方から同等に起こったとき、そこに黄金比的連結が起こり、僕らは今までとは全く違った自己-他者関係というものを作り出すことができる。そこに自分とは何かを知った宇宙的自己というものが立ち上がってくるんだね。
 
それを、本当の意味での「宇宙の晴れ上がり」というんだと思うといいよ。(ちなみに通常の宇宙物理的な意味での「宇宙の晴れ上がり」とは、自由電子が核子と結合し、光子の進行を妨げることを止め、光子が真っ直ぐ進めるようになることを言います)
 
あっ、くれぐれも言っておくけど、これは反転認識で素粒子を見るとどのようなものに見えるか、という話だからね。宇宙を裏返しにして見たときの初めの部分の風景のイメージと思っておくといいです。

同一性の檻