7月 6 2018
IHMでの講演会を終えて――波動技術とは何なのか
先週の週末から久々に東京に行ってきた。
土曜日はIHMの招きで、数霊理論を研究されている吉野内聖一郎氏とのジョイント講演会。僕に振られたお題は「NC-cubeの開発の経緯とそのコンセプト」。
事の発端は、吉野内氏が開発した数霊理論を使った波動デバイス(KTS-PRO)にNC-cubeをかませて作動させたところ、何でも性能が格段にアップするということで、そこから技術提携の話がとんとん拍子に進み、KTS-PRO後続機器のKTS-MINI専用のNC-cube(NC-cube plus)が出来上がったことにある。
そこで、IHMの方から、NC-cubeがどんな機械なのか、IHMの波動機器のユーザーの皆さんにも説明して欲しいという依頼があり、今回の講演会が企画された。
1.IHMの故江本勝氏
IHMという会社は、日本のスピリチュアル業界に「波動」という言葉を広めた故江本勝氏が作った会社だ。江本氏は80年代後半にドイツからMRA(Magnetic Resonance Analyzer)という波動測定器を持ち込み、ゼロ年代に入って『水は答えを知っている』という本が話題を呼び、世界でも知られるようになった。
Wikiで「波動」について調べると次のようにある。
オカルトや代替医療における波動は、英語の Vibration の訳語であり、日本語では「振動」と翻訳すべきところを、科学的な表現である「波動」や「エネルギー」などと訳されている。肯定的に評価しても仮説であり、疑似科学であると批判されることもある。波動という用語から、科学的・物理学的な裏付けがあるように考えられがちだが、物理学での波動 (wave)とは異なる。「波動」という言葉は、代替医療を標榜する悪徳商法でも使われることも少なからずある——。
「意識とは波動である」という考え方は、当然、既存の科学から見ればトンデモと言っていい。江本氏も閉じたマーケットの中で細々とやっている時はよかったのだが、水の結晶写真を題材にした『水は何でも知っている』という本が国内の小学校の道徳や総合学習の授業で教材として使われ始めたことで、一部の科学者たちからのバッシングがひどくなり、かなりの批判や攻撃を受けたらしい。
「意識とは波動である」というときの、この波動という概念。果たして、これは、Wikiが言うように、物理学でいう波動と異なるものなのだろうか。ヌーソロジーの観点から言うなら、仮説としては十分に成り立つ。ヌーソロジーにとって「波動」とは素粒子の波動を意味するが、これは、素粒子が空間と時間の中では波の関数となって表現されることに由来している。いわゆる「波動関数」と呼ばれているものだ。
この波動関数は、物理学では粒子の存在確率を表すものだと解釈されている。だから、それが「意識」と関係しているなんて言うと、「素人がデタラメなこと言うな」と厳しく批判されてしまうわけだ。基本、意識と物質を別物として見るのが科学の信条でもあるわけだから、素粒子の波動が意識の波動なんかであるはずがない――と考えるのは、科学からしてみれば当然の話になる。
2.「意識とは波動」はトンデモなのか?
波動関数の確率解釈というのは、あくまでも波動関数ψをψ*ψ(複素共役/波動関数の絶対値の自乗)という形にして、実数化させたときに成り立つ解釈である。大元の関数ψは複素数の関数なので、それ自体は確率の変化を表す波では決してない。
じゃあ、複素数の波って何よ?ということになるのだが、ヌーソロジーでは、複素空間は人間の意識の活動母体となる持続空間として考えるので、素粒子の波動を意識の波動と考えるのはむしろ自然な結論となる。ましてや、量子の世界では波束の収縮を通した観測問題(観測すると観測値に対応する状態に変化する)や非局所的相関の問題など、通常の時空認識では答えが出せないものが多く、実際、意識との相関を考えないと論理的な整合性が取れない世界でもある。だから、「意識=波動」という考え方を批判する方の根拠も確かなものではないということ。
「意識=波動」説はトンデモと一蹴するよりも、「そういう可能性も有りうる」と考えるのが正しい科学的態度ではないかと思う。何しろ、量子の本質については、科学的には何も分かっていないわけだから。
波動に対するこうした考え方を分かりやすく話して、後半はNC-cubeの原理について解説していった。
3.NC-cubeとは「量子同調」のテクノロジー
1.波動技術とは「量子同調」を促す技術として確立されてくる。
2.「量子同調」は量子のカタチを量子自身に共鳴させるところに生じる。
3.その本質は人間の意識が自己の精神のカタチを知覚するところにある。
4.NC-cubeは電子のカタチを電子自身に与えることによって、「量子同調」を促す場を発生させている。
最近、スピリチュアルの世界でもクォンタム・ヒーリングやクォンタム・エントレインメントという言葉が流行し始めている。こうした表現も自己意識と量子のつながりの発見を要請する時代精神の直感から来ていると思われる。
量子同調には大きく分けて二つのアプローチが考えられる。
一つは、複素空間認識によって、電子のスピン構造を持続空間の中に構成する方法。もう一つは、電子を電子のスピンが発生している空間のカタチに共鳴させる方法。NC-cubeが取っている方法は後者だ。
ヌーソロジーは、量子をもはや対象ではなく、観測者自身の無意識の構造として考える。そして、それは、カタチとしてはプラトン立体を基盤とした幾何学構造として表現されてくる。重要なことは、この幾何学が構成されている空間が、物理的空間(時空)ではなく、持続空間(時間が流れない世界)であるということだ。だから、量子同調を共鳴技術として引っ張り出すためには、製作者自身の空間認識が、まずはその空間にアクセスできていることが絶対条件になってくる。
今回は、その空間がどのような空間なのかについて説明し(先日紹介したψ5~6の球空間認識)、その球空間に外接する正六面体が、NCキューブの回路が象っている正六面体に対応しているのだという話をした。ヌーソロジーの考え方では、この正六面体における立体対角線が電子のスピンに相当してくることになる。
4.波動技術が公に認められる時代がいずれやってくる
会場には、NC-cubeのデモ機も置かれていて、ほとんどの皆さんが、NC-cubeが作り出す量子同調の「波動」をじかに感じとられていたようだ。また、すでに購入済みの方も数名いらしていて、体験談などもいろいろと聞かせていただいた。
まだまだ、科学的証明(直接的な実現象の生起)という段階にまでは至っていないが、NC-cubeに限らず、いずれ、いろいろなところから量子同調の技術が出現してきて、様々な分野に応用されていくのではないかと思っている。これは言ってみれば、次量子力学系の技術とも呼べるものなので、何とか、その理論的背景と哲学的背景だけでも、ヌーソロジーを通して強靭なものにしていければと思っている。
素粒子を物質と見なして技術化する方向と、人間の無意識空間の空間構造として技術化していく方向。これからの人間の未来において、どちらが「是」とされるものであるかは、ヌーソロジーを少しでも知ってる人であれば、ある程度は察しがつくのではないかと思う。
参加していただいた皆さん、どうもありがとうございました。それから、IHMの江本社長はじめスタッフの皆さん、そして、ヌーソロジーともオーバーラップするような数霊理論の話をして下さった吉野内さんにも、この場を借りて、深謝いたします。
※下の会場写真は吉野内氏のHPからお借りしました。
10月 9 2018
ヌーソロジーにおける正四面体の意味合いについて
今回は少しだけカタチの話。
ヌーソロジーがカタチと呼ぶものはイデアとしてのプラトン立体のことを指している。
プラトン立体を綿棒やボール紙で作ったことがある人たちも多いことだろう。そこには息を呑むような美しい幾何学的秩序がたくさん隠されている。もちろん、こうした秩序を数的比率などを通して感じ取ることも大事だが、ヌーソロジーの視点からすれば、プラトン立体はわたしたちの意識の成り立ちそのものの秘密をも隠し持っている。どういうことか―。
ヌーソロジーではプラトン立体を高次元の空間的秩序が延長性の中で表現されたものだと考える。高次なのだから、つまり、その本質は不可視の持続空間の中にあるということだ。
プラトン立体の基本は正四面体だが、正四面体は持続空間の最もベーシックな次元を構成している。わたしたちの延長認識(3次元意識)においては、これは4次元空間と呼ばれているもののカタチに他ならない。正四面体は4次元のカタチなのだ。
持続空間における幾何学は決して対象ではない。その中に観測者自身が含まれて始めて意味を持つものだ。その意味で、観測者自身自らの実存に帰る位置は4次元にあり、その位置が見えてこそ、初めて正四面体という形態の正しい理解に至ることができる。
4次元は3次元空間自体を観察しているものの位置の方向として開かれる。3次元人間が、2次元の円の内部と外部をいとも容易く出入りできるのと同じように、4次元人間にとっては球面で遮蔽された3次元の内部と外部を自由に出入りできる。こうした4次元方向の自由度を持って活動してるのが、いつも話している「奥行き」のことだと考えるといい。
ヌーソロジーにとって奥行きは持続空間そのものなので、持続空間として成立している「わたしの実存」は、本当は物の内部にいるということだ。そして、それが素粒子の世界と繋がっている。
結論から話しておこう。正四面体とは時空のイデアである。
正四面体の頂点の位置を観察位置と考えるといい。観測者がそこから世界を見ているにもかかわらず、その4次元方向の位置が見えず、3次元(x,y,z)と同一化している状態が正四面体の頂点から他の三つの頂点へ引かれている稜線の意味(中和)だ。
当然、その逆方向が等化に当たる。これは、無限遠点が観察の位置だということを知るということ。それによって、眼差し自体(奥行き)の方向が「人間の外面」として覚醒を起こし、時間軸は方向を反転させ、第四の空間次元(これが持続空間だ)として物の内部に入り込むことになる。
こうした中和状態における正四面体のことをOCOT情報は「止核精神(シカクセイシン)」と呼んでいる。そして、観察位置が無限遠点だと知り、等化が見出されることを「核散(カクサン)」と呼び、この「核散」が3次元意識(表象意識=人間型ゲシュタルト)の解体の契機となり、人間の意識に高次元知覚が発現してくるというシナリオになっている。
持続空間の概念によって裏づけされたこのような正四面体が正六面体、正八面体、ベクトル平衡体、菱形12面体、正十二面体、正二十面体というように発展していく幾何学領域というものが存在している。それがヌーソロジーが「次元」と呼ぶものであり、この「次元」が人間の無意識構造(アプリオリ)をフレーミングしており、わたしたち人間の自我意識を構成する元になっている。
悲しいかな、現在の人間の経験的意識においては、こうした持続空間のカタチは中和状態である客観的時空(幅認識支配の延長空間)のもとにすべて融解している。意識が物質的な同一性の中に幽閉され、奥行きが形作っている精神空間が何一つ見えなくなっているわけだ。
この失われたカタチに対する視力を取り戻すことが、ヌーソロジーの一つの目標でもある。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: OCOT情報, プラトン立体, 人間型ゲシュタルト, 素粒子