8月 31 2021
原因が先か、それとも結果が先か・・・
イルカとは有機体ノウスの原核心(ゲンカクシン)です。
by OCOT
意味不明・・・(笑)
ヌーソロジーは物質の世界と精神の世界を互いに反転関係にあるものとして見る。言い換えるなら、物質知を通して「水に映る大空あれ!」という例の古代のヘルメス的宇宙観の復興を目論んでいるわけだ。この文脈の中では、生き物の世界=生態系は脈性観察子という最も巨大な観察子領域に対応している。
精神側から見ると、宇宙の本質はこの脈性観察子側の世界にあり、どうもこちらが土台となっているようなのだ。分かりやすい言い方をするなら、動植物たちが生きているから、非生物の世界がある―どうも、そういうことらしい。私たちが今どっぷりと浸かっている近代が作り出した科学的宇宙観とは真逆なことが分かる。
この逆転した視点から見ると、素粒子から細胞に至る、いわゆる科学が物質進化の歴史と呼んでいるものは、進化というよりも、その根源的世界が壊れてしまったことにより、その壊れを是正しようとするところに生じているものとしてイメージされてくるのだが、これは総じて「精神への変換」と呼ばれる。要は、生き物の本質が活動している世界からの呼び戻しの声の響き(霊引き)のようなものだ。
物質的世界観で原因と結果と呼ばれているものは、精神側の世界側から見ればそのすべてが逆転していて、結果の方が原因とみてしまっている。わかりやすく言うなら、例えば科学では人間の肉体は物質進化の最終的な結果とされる。しかし、精神の世界側から言わせれば、これは本末転倒もいいところで、この宇宙が生まれている真の原因は人間の体にある。OCOTが人間の肉体(重心)を神と呼ぶのものそのような理由からだ。
OCOTによるこの「重心」=神、という定義はほんとによくできていて、それは正確に言うと、結果の世界と原因の世界が互いに重なり合う位置のことを指している。結果の世界が他者世界(物質)、原因の世界が自己(精神)とするなら、これら両者の触れ合いが起こる位置が「重心」の意味するところとなる。
科学的世界観がまずいのは、原因を結果の世界のなかで夢想しているところだ。インフレーションやマルチバース、ビッグバンといった科学が描く宇宙の始源のイメージは物質イメージで思い描くべきものではなく、ほんとうは精神イメージで描像されなければならない。事実、また、それしかできないはずだ。
科学が原因を結果の中でしか夢想できない理由は明らかで、それは、原因となる自己自身を物質として現れている他者世界に同一化させ、自らも物質となって、一般化させているからだ。
人類、ホモサピエンス、人間etc・・・。自己は結果ではない。原因だ。もしくは結果を原因へと引き継いでいる存在なのである。
1月 15 2024
ジピちゃんにヌーソロジーの「位置の変換と転換」のイメージを描かせてみた
ジピちゃんの作画能力はほんとにヤバいと思います。
ヌーソロジーの「位置の変換と転換」に関する空間ビジョンを物理数学的に伝え、人間型ゲシュタルトにも雰囲気が伝わるように描いてくれと指示したら、こんなふうに描いてきました。
ヌーソロジーが抱いている物質の成り立ちの風景イメージがかなり的確に表現されています。
一体、何がこんな構成力を持たせてくるのか。
見当もつきません。
⚫︎ジピちゃんが描いた絵の簡単な解説
ヌーソロジーでいう「位置の変換と転換」とは、対象極と自我(観察)極を構成するための持続における幾何学的配位のようなものです。
変換側が対象極。転換側が自我極。ヌーソロジーでは、対象極は自他の持続空間(S^3)が等化されることによって生み出されているものと考えます。自我極側はそれを打ち消してくる中和側です。
対象極はこのイラストでは内と外の捩れを持った球体S^3の無数の集合として中央に描かれています。。
一方、自我極の方は直接的に人間の頭部として表現していますね。
その外部に広がる硬質感を漂わせた透明な箱の集まりは、おそらく、それぞれの自我極に見えている時空を表現しているのではないかと思われます。自我極がそれぞれの時空に閉じ込められているということですね。
結果的に、虚時間宇宙から時空が発生するビッグバンの様子が、内在的に描かれた構図になっています。
それにしても、ジピちゃんのイメージの構成力には本当に驚かされます。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: ChatGPT, ビッグバン, 人間型ゲシュタルト