8月 28 2024
外なるマカバと内なるマカバ
核質の力から逃れるためには。核質が生み出されている原因を辿らないといけない。ヌーソロジーの文脈では、その手始めが「無限遠点の発見」ということになる。
さっきの図では、無限遠点はマカバにおける八つの頂点として表現されている。つまり、まずは、この止核作用としての正8面体に外接する二つの正四面体の認識が生みださなくてはいけないわけだ。
正四面体の認識の出現のことをOCOT情報は「力の対化」と呼ぶ。だから、ここでは「力の対化」が二つ生まれるわけだ。
この二つの正四面体は、人間の意識に4次元認識が生まれ、角質として働いていた3次元を、自己と他者固有のSU(2)(3次元球面)に分割することを意味している。僕が常々「宇宙卵の卵割」と呼んでいた出来事だ。これは、自己と他者が、それぞれ固有の主観空間の存在に気づくことをいう。ヌルポッドへの乗船だ。
そして、正八面体からマカバ(二つの正四面体)への発芽のことをOCOT情報は「核散」と呼んでいる。これは、人間の意識が新たな次元生成の方向へと入ることを意味している。
ドゥルーズなんかが闘っていたのも、この核質が作る頑なな3次元認識だったと言い換えても構わないように思う。これは分かりやすく言うなら、世界を存在者(対象)だけで考えようとする思考や感覚のことだ。ドゥルーズは、表象=再現前化のシステムという。常に、同じものを反復する意識の回転運動。3次元認識の背後には、そのような高次の無意識のシステムが暗躍している。
⚫止核精神(光)としての外なるマカバ
止核を形成した無意識構造のもとで、精神は4次元空間(内在=内なるマカバ)と4次元時空(外在=外なるマカバ)の間を反復し続ける。この反復は持続と瞬間性の間の反復を意味しており、この反復によって生み出されるのが時間意識としての「流れる時間」の本性になっている。
私たちはまだ4次元空間(マカバが作る内包空間=持続)の方を認識できていないので、そちらに拠点に置くことができず、この反復を、漠然とした時間の流れのようにして感じ取っている。
先ほど言った表象化の働きも、この反復が生み出している。そして、この表象化の働きを作っている原因は、4次元と3次元の同一化——観測者が3次元に投げ込まれていること——にある。
こうした、4次元が見えていない精神の状態をOCOT情報は「止核精神」と呼んでいる。そのカタチが外なるマカバ(ケプラーの星型八面体)のことなのである。ヌーソロジーのいう調整質(思形と感性)を稼働させているものだ。
人間は外なるマカバの残響であり、まだ内なるマカバ(4次元空間が作るマカバ)の方が見えていない。
10月 16 2024
物の内部への侵入とは
物自体の世界は「物の内部」に息づいている。人間の意識は表象でしか世界を捉えることができないので、この「物の内部」に侵入することができない。物の内部へと認識が侵入するためには、表象から逃れて、物の内部の空間というものを発見する必要があるわけだ。
現代宇宙論でも示唆され始めているように、物の内部(内部空間)は時空から見れば高次の射影空間になっている。この射影の実質を、ヌーソロジーは私たちが知覚の現場として経験している「奥行き」と考える。数学的にはこの最も基礎的な部分は虚時間itとしての4次元に対応している。
つまり、「奥行き」は射影のもとにミクロに収縮しているということだ。一方、客観空間としての時空の方は延長として弛緩している。この対比は、ベルクソン=ドゥルーズの物質論が示唆している文脈でもあるのだが、ヌーソロジーもそこは同じ考え方をしている。
問題は「奥行き」が持ったこの高次の空間構造を私たちがどのようにして看取して行くことができるのか、その方法論にある。ヌーソロジーでは、その地図作成が現在、現代物理学によって行われていると考える。
たとえ、量子重力理論や超弦理論のような万物の統合理論が完成を見ようとも、その先に「次量子力学系」なるものが存在している。
それは、人間の知性による物の内部への侵入である。能動知性(ヌース)はそのような物質知の手続きを通して、人間の歴史の中に出現してくる。そのときに、まさに人間の歴史も終止符を打つのである。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: ドゥルーズ, ベルクソン, 奥行き