11月 28 2017
倫理のトポスとしてのSU(2)
あらゆる事物がその内に理念の活動を秘めている。言い換えれば、あらゆるものが、その内で思考しているということ。そして、その思考がそれぞれの事物を事物として発生させている。鉱物であれ、植物であれ、動物であれ、人間の肉体であれ例外はない。その思考(存在)にどうやって触れていくか。それが、これからの時代に生きる人間の課題だと思ってる。
おそらく、あらゆる事物の発生プロセスの原-理念はSU(2)にある。これが思考されなくてはならない。ドゥルーズ風に言うなら、この空間構造が巻き込みと繰り広げの原器になっている。ヌーソロジーでいう「人間の元止揚(ψ1〜8)」と「人間の調整質(ψ9〜10)」の関係だ。(下図1)
時間と空間は人間の意識の発生に対応する。そこにSU(2)で構成されたものが事物として立ち現れる。その意味で言うなら、一切の事物は時間と空間の中で活動しているのではなく、SU(2)内部の理念的な活動が、その都度その都度、時間と空間の発生とともに立ち現れていると言った方が正しい。
ドゥルーズのいう〈出来事〉という概念もそのような意味だ。
bi-spacial認識が生まれてくれば、SU(2)は自他相互の奥行き(持続空間)の交わりによって構成されている空間でもあるので、かつての内在/外在という区別は、自然に消え去っていく。要は「外」という超越を抹消させて世界イメージを作っていくことができるということ。
これは、スピノザ的な「すべてが内在」となった倫理的な世界の土台が浮上してくるということでもある。
反転した世界認識に最初に訪れてくる世界感覚だ。次世代が育て上げていくべき世界感情とも言ってもいいだろう。
SU(2)は持続空間が時間と空間上に事物を表現していくに当たっての自己-他者間の絆のようなものだ。倫理的なもののトポスと言い換えてもいい。この相互扶助的な持続の活動は数学的には複素共役として表現され、そこでの虚軸の結合の在り方の違いが時間と空間となって出現してくる。(下図2)
時間と空間、そして、そこに立ち現れる物質。すべては愛の賜物であるということになってくるわけだが、この愛は無意識の愛であって、自我が語る現行の愛ではないので、このあたりは混同なきよう。
8月 10 2018
哲学が生き残るためには、時代に合った表現を見つけ出さないといけない
今、哲学界のロックスターとして脚光を浴びているドイツの若手哲学者マルクス・ガブリエル。『なぜ世界は存在しないのか』という最近の著書もかなり売れてるそうだ。先日来日したらしく、そのドキュメンタリーをNHKのBSでやっていた。
前半部、いきなりストーンズの『brown sugar』がかかり、ストーンズフリークとしての僕はもうご機嫌(^^)。映像は、いつものNHKテイストではあるのだけど、結構、細かいところまで気を使っていて、ヌーソロジーの問題意識に訴えかけるところも多く、最後まで一気に見入ってしまった。
ガブリエルの『なぜ世界は存在しないのか』という近著、発売時期に一読したのだけど、僕的にはさほどのインパクトはなかった。ガブリエルは英米哲学と大陸哲学の統合を射程にして、ヨーロッパとアメリカの間をまたにかけて精力的に動いているらしい。
英米で主流なのは分析哲学や論理哲学、一方、ヨーロツパで主流なのはカント、ヘーゲル由来のドイツ観念論哲学(フランスの現代思想も入るのかな?)。ガブリエルはこの両者を何とか合体させれないものかと考えていて、彼自身の思考スタイルもそれに倣ってかなりハイブリッド臭を漂わせている。ただ、全体的な印象としては、論理哲学的な理路への偏りが感じられ、結論づけだけを大陸哲学よりに寄せてきてるといった感じ。結局、「意味の場の存在論」などといった、さほど新鮮にも思えない考え方でまとめている。(僕自身、しっかり理解できているわけでもないけど。。)
ガブリエルの哲学にはあまりピンと来なかったが、生身の彼が放つ波動というか空気感には大いに好感が持てた。普段はヤワな人のいいインテリ青年のような雰囲気なんだけど、議論が始まるととたんに目が変わる。ここがヤバくていい(笑)。
番組の途中、ロボット工学者の石黒氏と議論するシーンがあるんだけど、このときのガブリエルの目はかなり怖い。明らかに、石黒氏陣営を倒すべき仇敵と見なしているのがひしひしと伝わってくる。石黒氏も石黒氏で、初めっから哲学者の言葉なんて聞く耳は持ってないので、あえて反論もせず、苦虫を潰したような、それこそ自分が作ったアンドロイドと同じような顔になって沈黙を保ったままでいる。このシークエンス、現在の哲学と科学との関係が象徴されているようで、とても楽しめた。
途中、ハッとさせられたのが「民主主義はその前提として倫理が必要」という主旨の発言。この言葉がなぜかとても響いた。つまり、倫理感がある程度浸透している社会でないと民主主義は機能しないってこと。今の日本なんか、欲得でしか民主主義が動いていないから、私欲目的の金権主義しか実現することはなく、つまるところ、民主主義はその前提の段階ですでに崩壊している。
ただ、民主主義に倫理が必要とガブリエルはさらりと言ってのけるけど、いざ「倫理って何よ?」って聞かれると、答えるのはとても難しい。倫理の起源とは何か。また、倫理は一体何によって根拠づけることが可能なのか?途中に出てくる「人間の尊厳」という言葉にしても同じこと。
―ここは近代合理主義を支えてきたカント哲学にとってのアキレス腱のようなものなので、西洋哲学のその後の歩みもまた、この根拠づけに躍起になってきたわけだけど、決定打は未だ放たれていない。ハイデガーとかドゥルーズが目指したのも、その根拠づけと言っていい。
そして、ヌーソロジーもまた同じ。要はスピノザの「神」をどのようにして、現代に蘇らせるかってことなんだけどね。
BS1スペシャル「欲望の時代の哲学~マルクス・ガブリエル 日本を行く~」
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: スピノザ, ドゥルーズ, ハイデガー