9月 30 2014
NOOS LECTURE 2014 IN 東京 第一回「黄金の霊性と日本民族」
先日、21日の日曜日、東京、渋谷にてヌースレクチャー2014シリーズをスタートさせました。今回はレクチャー2日前にカゼを引いて、前日には高熱を出し、ホテルでノックダウン。フラフラの状態でレクチャー当日を迎えるハメに。
開始から20〜30分ぐらいまでは、よく覚えていません(笑)。今回の話は日本神話とヌーソロジーの擦り合わせが中心。舌を噛みそうな名前の神さまもたくさん出てくる。時折、頭がホワイトアウト状態になっていたので、ちゃんと神さまの名前を言えていたのだろうか。マジで記憶がないのデス(笑)
2コマ目ぐらいから、徐々にエネルギーが流入してきた感じ。いつものことではあるのだけど、どんなに体調が悪くてもレクチャーをやっているうちに自然に調子が戻ってくる。今回も3コマ目辺りからは、熱も引き、頭もかなりクリアな状態に戻った。というわけで、無事4時間の長丁場を乗り切ることができました。
それにしても、ビックリしたのは、ヌースレクチャーに参加するようなスピリチュアルに関心を持つ人でも、「古事記」を読んだことがある人は全体の三割ぐらいしかいなかったということ。これが一般の人だったら確実に一割を切るはず。。日本人が日本の神話を知らないというこの日本の現状。。実に寂しい話だ。これも現代の学校教育とやらの影響なのだろうか。文科省の役人もまた、「神話なんてものは稚拙な古代人の頭が作り出した迷信の寄せ集め」ぐらいにしか思っていないのだろう。
「神話を知らない人には生命のアイデンテイティはない」と敢えて言っておく。レクチャーでも話したのだけど、神話は神様が宇宙をどのようにして作ったのか、という物語だ。宇宙は時間の外部で作られる。だから、神話は時間の外部で起きた、もしくは起こっている出来事の世界の話だ。時間の外なのだから、それは、遠い昔の話ではなく、わたしたちの今・現在においても進行中の物語でもある。わたしたちの今の中にはスサノオもいるし、アマテラスも、ツキヨミも共に生きている。彼らがいるからわたしは生命の名のもとに人間足りえている。その意味で言えば、神話は「わたし」自身の物語でもある。
神話世界へダイレクトに自分を接続させよう。象徴に込められた意味など分からなくたっていい。とにかく、自分の体の中に流れている血流に聞かせるのだ。心臓の鼓動でもいい。そうすれば、その奥に潜んでいる霊性がうごめき出す。それだけで、人生は大きく質的転換を起こす。神話は大事だよ。
レクチャーの流れはだいたいこんな感じ。
1.古事記の世界——ヌーソロジーの日本神話解釈
2.古代ユダヤ人と日本——神教的精神と多神教的精神
3. 黄金の霊性———原初精神としての日本語の精神
4. 十種神宝とNC——ヤマタノオロチからヤタノカガミへ
参加者の皆さんも、十分に楽しんでくれたようだ。日本民族とヌーソロジーのただならぬあやかしの関係。これからもっともっとディープな話が出てくるかもしれないよ。お楽しみに^^
参加していただいた皆さん、並びにスタッフの皆さん、ありがとうございました。
5月 13 2019
ハバを斬って、カガミとしての自他を発見すること
ヌーソロジーでは、4次元時空と複素二次元空間の関係は古神道でいうヤマタノオロチとヤタノカガミとして象徴化されていると考える。
八岐(ヤマタ)と八咫(ヤタ)、それぞれが示す「8」は4次元時空の双方向性と複素二次元(4次元空間)のエルミート性(複素共役のような意味)と解釈するとしっくりくる。
要は、時空を退治して、自らの内から立ち上がってくる〈時-空〉を取り戻せってこと。
前にも紹介したけど、これはハイデガー哲学と同じことを言ってる。ハイデガー哲学と同じというより、古代ギリシアの自然観(フィシスの意味)と同じと言った方がいいかもしれないね。
世の東西を問わず、古代人たちは、「物を物自身の方から現れてくるとおりに、物自身のほうから見る感性」を持っていたということ。つまり、今の僕たちのように、主体と客体を分離させて世界を見てはいなかった。
ヤタノカガミの「カガミ」の語源は〈カカメ〉とも言われ、〈カカ〉とは蛇の意。つまり、蛇の目がカガミであり、このカガミに映る像側に囚われてしまうと世界はハバ(外延性)で覆われる。〈ハバ〉はいつも言ってるように大蛇(オロチ)の意。ヌーソロジーが、ヤマタノオロチを4次元時空と解釈するのもそこから来ている。
今までは、宇宙の成長のために、このオロチ側を育てる時代だったから世界もそれなりに回ってきたけど、これからはそうはいかない。
ハバ思考の支配がこのまま進んでいくと、世の中はますますヒドい状態になっていくと思うよ。皆が一人一人、スサノオになって、この自己(由来)を見失って暴走している時空を退治していかないとね。
そして、ヤツカノツルギを見つけ出し、物と一体化すること。そうすることによって、物そのものがヤタノカガミから生まれていることが分かってくる。
そういう形而上学的事件のことを国津神の復活と呼びたいところだね。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: スサノオ