4月 5 2019
ヌーソロジーは異空間の建築作業
ヌーソロジーが探索していく空間のイメージは正直、分かりにくい。それは否定しない。
まず、持続空間というものが分かりにくいし、持続空間の構造なんて、歴史上誰も語ったことはない。
いつも言ってるけど、ヌーソロジーは、今まで無意識の中に眠っていたイデアのかたちを認識に浮上させようという試み。
だから、理解するものというより、必然的に概念を練り上げていくものになる。
持続空間の構造というと、ちよっとよそよそしいが、これは「霊」のことだ。政治的に利用されてきた幾つかの宗教のせいで、霊の実態は大きく歪曲されているように思える。
ヌーソロジーが考える「霊」とは、西洋風にいうなら「イデア」そのものだ。イデアは物質の原型とも呼ばれている。だから、「霊」を通して物質が語られるようになって初めて「霊」は正しく理解される。
しかし、いかんせん、「霊」は異次元的な存在でもある。その異次元感覚をどのようにして人間の精神に呼び覚ますか―ヌーソロジーはその方法が量子論の中に隠されていると考え、その空間構造と人間の持続空間を接続させることを目論んでいるわけだ。
物質を語ることが、そのまま精神を語ることにもなる。霊的言語とはそのようなものである。
ここで、例のO氏夫妻が作ってくれた「キットカット実験」のビデオをもう一度、取り上げてみよう。今回のやつは、僕が「垂子」の次元も入れてください、とお願いして、撮影してくれたものだ。
この動画は手作り感満載だけど、ヌーソロジーがいう「点球」「垂子」「垂質」という三層の空間を見事に表現してくれている。
青い缶が点球の次元(Ψ1~2)。
黄色の球が垂子の次元(Ψ3~4)。
ほんとは、黄色の球が点球の周りを回ってるとよかったのだけど、そこまでは望めない^^。
そして、これらを取り囲んでいる空間の回転が垂質の次元(Ψ5~6)に対応している。
空間に潜む、こうした空間の三重性がヌーソロジーが解釈する「ヒルベルト空間」の描像になってる。ヒルベルト空間とは量子の基本的な数学的構造を決定づけている空間のことだ。
加えて、この映像自体を支えている不動の「前」が「球精神」次元(Ψ7~8)の直径を作っている。これは、垂質が1本の線分として集約されている空間だと考えるといい。ここに無数の垂質としての線分が交差してくるわけだ。
これら四つの空間階層がしっかりと認識できるようになることをヌーソロジーでは「元止揚覚醒」と言う。ここまで観察子構造が構成されてくると、宇宙が「外」にあるものではない、ということがはっきりと分かってくる。
ロジックはまだ見えないが、OCOT情報は、これらの回転(次元)の層の起源が
点球の中心=地球
点球の表面=月
垂子の相互反転関係=金星・水星
垂質の相互反転関係=太陽(自己)・火星(他者)というように、
プトレマイオスの周回円と関係を持つ、とも言ってる。
彼らにとっては太陽系もまた精神の構造体であり、こうしたヒルベルトの空間構成とも密接にリンクしているのだ。
ヌーソロジーが探索している空間認識が、いかに異質なものかが、このあたりの話だけでも少しは分かってもらえるのではないかと思う。
この異空間は、これから長い年月をかけて、より深いところに向かって開いていくものであり、「分かる」とか、「理解できる」などといったような類のものではないように感じている。つまり、ヌーソロジーは精神の中に築いていく一つの建築物のようなものなのだ。
と言って、もちろん、これは今までの物質の世界を否定するものじゃない。物質に対する考え方そのものを大きく変えるための宇宙が開始した補完作業のようなものなのだ。これからの時代は、その補完意識がきわめて重要なものになってくるのではないかと、個人的には考えている。
9月 25 2020
ヌースが「奥行き」に至るまでの長い道のり
今度の日曜日のヌースビギナーズラック#6。素粒子の話がテーマなので、『光の箱舟』の共著者である砂子岳彦氏をゲストに呼ぶ予定でしたが、機材の能力不足でSkypeの音量調整が難しいということが分かり、断念しました。誠に申し訳ないデス。
佐藤氏亡き後、専門家でヌーソロジーと同じ方向で素粒子の世界を見ているのは砂子氏だけなので、その考え方を皆さんにも紹介したかった。本当に残念。まぁ、いずれ生出演で呼ぼうと思っていますが。
もともと、「素粒子とは人間の意識構造である」と伝えてきたのはOCOTで、その理解こそがこれからの人間を大きく変えていくと言っていたので、ヌーソロジーにとっては、素粒子物理の基盤となる量子力学の構造は意識の見取り図も同然のものなんだよね。
ところが、この見取り図自体が非常に難解なもので、正規の教育を受けてない人はまず歯が立たない。複素数の行列で表現される数式もさることながら、交換関係とか、演算子とか、考え方が根底から違っていて、一体何をやってるのか概念的にさえつかめないんだよね。
ミクロの世界は僕らの生活している3次元世界とは存在の形式がまるっきり違うってこと。もっと言うと、人間の表象能力の外部にあると言ってもいい。だから、それは量子物理学とは呼ぶものの、もはや物理的対象の世界ではない、とも言えるわけだね。
で、問題はミクロの空間がなんでそんなヘンテコなことになっているのか、ということ。その理解がなければ、量子力学の数学的理解はできたとしても、量子とは何かについては永久に分からない。
僕の場合は、量子力学より先に、OCOTたちの世界観を仕込まれた。それは意識構造を鉱物の結晶のようなカタチとして見てる世界観なんだよね。何で意識の構造が結晶のようなカタチになるかと言うと、そこは時間が流れていない世界だから。本来、カタチは時間のない世界の産物だと言うのがOCOTの弁。
この辺がとてもプラトンっぽいよね。イデアというやつだ。で、垂子やら、垂質やら、精神球やら、聞いたこともない言葉を通したやりとりが始まった。最初はほんとに何一つとして分からなかった。多分、初めてヌーソロジーに出会した人の分からなさより、その百倍くらいはあろうかという分からなさ(笑)
僕の90年代の人生は、ほとんどこの分からなさとの格闘で費やされたと言っても過言じゃないね。寝ても覚めても、自分の内側に入り、無意識のカタチを探し求めて彷徨った。5年ほどしてようやく、カタチのイメージ生まれ始め、そこから今度は物理学の本とのにらめっこが始める(笑)
そして、これがまたサッパリ分からない(笑)。結局、最初は分からないものを分からないものと照合させながら、そこに共通の分かる「何か」はないかという、自分自身が触媒になった感覚で、OCOT情報と量子本とのにらめっこの反復が続いたわけだ。まぁ、これは今でも続いてるけどね。
もちろん、まだすべてが分かったわけじゃないんだけど、内的なカタチの思考から始めたのは正解だったと思う。というのも、数式で表現されている量子が最初から内的なものとして感じられたから。普通は、量子を外的なものとイメージしている人がほとんどだろうから。
で、問題はミクロ世界がどのようなシステムによって人間の内とつながっているのかということ。量子を記述する複素数の形式にそのヒントは隠されているということはすぐに分かったんだけど、その謎が解けるのにも結構、時間がかかった。
この辺りの思考はゼロ年代に入って、ドゥルーズとか、ベルクソンとかメルロ=ポンティとか、哲学系の本を読んだのが良かった。最終的にその接続のイメージは「奥行き・持続・収縮・無限小」というターム群でクリアに浮き上がってきたんだね。
こうやって、物の外部と内部は人間自身を通して「奥行き」で繋がっているという反転の理路が完成したわけ。今ではもう確信に変わってます。
ただ、この確信が主観的確信じゃショーモないので、ミクロの物理法則の事実性と合致させるために、亡き佐藤氏や砂子氏、そしてφさんといった面々と検証作業を続けているわけですね。
By kohsen • 01_ヌーソロジー, 02_イベント・レクチャー • 0 • Tags: OCOT情報, イデア, ドゥルーズ, プラトン, ベルクソン, メルロ=ポンティ, 光の箱舟, 奥行き, 素粒子, 量子力学