12月 9 2016
バイスペイシアル感覚
以前の物理学月間で公開した波動関数とヒルベルト空間の関係図をこっちにも載せておくね。数式とか記号が添えてあって、ちょっと難しく見えるかもしれないけど、表現していることはすごく単純な内容です。
みんな素粒子と聞くとすごい難しいものだという先入観があるよね。まずはその先入観を取ろう。ヌーソロジーの空間認識では素粒子は全く難しいものじゃない。いつも言ってるように、人間が宇宙を幅認識でしか見れなくなっているもんだから、奥行き側の空間が「素粒子」という呼び名で複雑に数式化されてしまっているだけなんだよね。奥行きで空間を見始めれば、ほんとにシンプルなものに見えてくる。ここに載せている図は、奥行きの空間で見ると一体素粒子はどのように見えるのか、というイメージ図だと思うといいよ。
この図が意味するところからいうと、素粒子は対象(物体)を構成する大本の粒子というよりも、むしろ、人間に対象の認識を可能にさせている持続空間(奥行き空間)のことと言ったほうがいい。その構造が幅支配の意識空間の中で無限小世界の中に観察されているという仕組みになっているんだね。
要は、奥行き支配の意識空間から見ると、素粒子というのは僕らの知覚野の空間と同じものということなんだよね。知覚空間は移動によって対象を取り囲むことができ、いかにも物質の外部にあるように見えているよね。でも、それは幅でしか空間を認識していないから。本当は知覚空間は知覚されている物質の内部に入り込んでいて、物質の根底に位置してるの。
奥行きの空間は、幅の空間の中ではミクロに入り込む。目の前には物体の外部と内部の空間が二つ重なり合っている―この空間の二重感覚のことを最近、僕自身は「バイスペイシアル(bi-spacial)」感覚と呼んでいる。気に入ってるぜい(笑)
こうした空間感覚が生まれてくるとね、量子力学が謎としていた様々な問題についても簡単に回答できるようになる。たとえば「フレーム問題」と言われているヤツ。
みんなもよく聞くと思うけど、量子力学においては観測を行うことによって、量子系の状態が基底ベクトルで記述される状態のひとつに遷移し、そこでの状態関数の崩壊によって粒子が観測されるという仕組みがあるのね。でも、どうして観測が量子系をある一つの基底ベクトルへと遷移させるのかその理由が全く分からないんだよね。これをフレーム問題と呼んでる。
この問題が観測行為の自己言及(見ることを見る)にあるのではないかと考える学者さんたちもいるんだけど、その自己言及の仕組み自体がよく分からないわけだね。
この図から観測者の局所的位置に対する観測行為自体が状態ベクトルの遷移を引き起こし、その観察行為自体がその観測に応じた基底ベクトルを選んでいるということが分かるんじゃなかろうか。
量子系を構成しているヒルベルト空間というのは、結局のところ、自分の周りの空間が反転してミクロの中に見えている空間だと思うといいと思うよ。今までも何度も言ってきた「観点の球面化が起こっている空間」のこと。その中心は非局所(どこでもここ、いつでもいま)になっている。講演の中ではこの球体を「記憶のたま」と呼んだ。これはほとんど自己の魂のようなものだね。
ここからは物理をかじってる人向けの話だけど、この「記憶のたま」の回転の方はシュレデインガー方程式の時間発展のU(1)回転を表現している。観測者の周囲側に開いた空間の方は無数の固有関数Φnを時間に沿って振動させている電磁場。こちらもU(1)回転を持つけど、このU(1)はシュレディンガー場のU(1)に対しては反転しているのが分かる。
この構造を自己と他者を考慮して、双対の複素ヒルベルト空間で表現したものがヌースコンストラクション(下図)。
このカタチが見えてきて、はじめて僕たちは古神道でいうムスビ(産霊)の何かが分かってくると思うよ。OCOT情報はこのカタチを霊魂とは呼ばず「覚醒球」と呼ぶんだけどね。こういうところがクールでいい(笑)。
12月 12 2016
もののケのしおり作「嘘の鏡」について
「もののケのしおり」のツイートを見ていて発見した素晴らしいアート作品。表現が何というか、強度あるよね(笑)。右上端に顔を出しているウサギさん?(ほんとうはヒツジさんらしい)がまた、最高にシュールな味を出してる。David Lynch顔負け(笑)。タイトルを「嘘の鏡」と勝手につけさせていただきました。ごめんなさい(下写真)。
この作品「嘘の鏡」が何を語っているか、今ひとつピンと来ない人のためにヌーソロジーの考え方から解説を入れておくね。
一言でいうと、鏡に映っている方が肉体としての自己と他者で、背中合わせになっている方が精神としての自己と他者だということ。幅支配の空間(見られた者同士)における自他と、奥行き支配の空間(見る者同士)における自他ってこと。
このことは20年前ぐらいから言い続けているのだけど、なかなか伝わらないんだよね(笑)。昔、描いた図がコレ(下図)。
シオリちゃんに比べるとムッチャ強度が落ちて才能のなさがバレバレだけど、実際〈見る-見られる〉の区別がついてくると、空間はこのように構成されていることが分かってくるんだよね。
いわゆるバイスペイシアル知覚で見たときの空間の状況ってこと。「奥行き」の方は縮んで、対象の中に入り物質粒子のスピンと呼ばれているものになっているんだよね。ヌーソロジーでは対象の中に入った空間の位置の方を「変換位置」と呼び、対象の外部に出された位置の方を「転換位置」って呼んでる。
僕らは普段、この転換位置の方しか意識できていないから、要は鏡像同士で世界を作ってるということなんだね。これがあらゆる諍いの元になってる。というのも、これだと主体は二人いるのに、客体は一つしかないようにしまうから。単純に争奪合戦が始まっちゃう。
他に「愛し合う」ということのイメージ一つとっても、この図の赤と赤がハグし合うというイメージだよね。そういう結合は互いに幻想を抱いたもの同士の結合でしかなく、能動的な主体性を元から欠いている。やがては非難の応酬が始まり、憎悪だけが残る。
この図は真の結合はback to backでなくちゃいけないってことを表現している。これは自己の中の見る側の存在が他者のそれと一体化する方向性を表している。その場所は僕らが対象と呼んでいるものの中にある。そういう世界に入ることを「物自体」の世界への侵入と考えていいと思うよ。創造空間のこと。
このback to backの結合感覚は自己と他者が自分の位置を無限遠点と見なし、空間を再構成する力能の発達とともに徐々に芽生えてくる。それがヌーソロジーでいうトランスフォーマーが行っていくことなんだけどね。この空間知覚をとりあえずは4次元知覚と呼んでいいかな。
で、この赤と青の二組の双子は、ここから互いの空間構成を追いかけ合うようにして7次元までの空間構成を見出していく。そこにおいて、今度は初めて自他の無意識同士を交換する領域に出れるというストーリーになってる。こうした空間構成がすべて見えるようになったとき、それは「ヒト(霊我のこと)」って呼ばれる。
このプロセスがいつも言ってるように「顕在化」というヤツで、これは素粒子の構造をすべて描像できるようになることを意味しているんだよね。
人間においては赤組(転換側)が先手になって、青組(変換側)が無意識として働いているので、この仕組みが今は全く見えなくさせられている。物理学もこうした空間構造はすでに明らかにしているんだけど、いかんせん転換先行の呪いにかかっているものだから、粒子のスピンを物理的対象としてしか考えず、物質の本質が見えていないんだ。
とりあえずは、前と後ろの空間を持続と延長にしっかりと区別して、「自分自身を双子化させていく」こと。すべてはそこからだと思うよ。間違っても、他者をストレートに双子だと勘違いしないよう。
自分が他人に対して何を言おうが、また何を言われようが、常にそれは赤-赤*の語らいにすぎないということ。まずは自分自身の中の赤と青を発見してアンドロギュノス化することが重要。
ほんとうの他者との出会いはそのあとだね。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: もののケのしおり, アンドロギュノス, バイスペイシアル, 奥行き, 素粒子, 顕在化