1月 20 2020
汝、「いる」ものとしての自分を忘れるなかれ
「あるもの」の背後には「いるもの」が働いていて、「いるもの」の背後には「なるもの」が働いていて、そして、「なるもの」のさらなる背後で、「あらしめるもの」と「いらしめるもの」が働いている。このルートを空間の中に見出していくこと。まだ僕らは「あるもの」の中でしか世界を見ていない。
「あるもの」の中でしか世界を見ない―とは、外の世界のことと考えていい。外の世界は「いるもの」が存在しなければ、写真のような瞬間の世界にすぎない。一秒前は「いるもの」の記憶の中にあるのであって、「ある」ところにあるんじゃない。まずはそれに気づくこと。「ある世界」など存在しない。
「ある世界」とは、「あらしめるもの」が、世界をあたかも「ある」かのように見せかけているだけの世界だ。この「あらしめるもの」の正体が「構造としての他者」だと考えるといい。
他者-構造に意識が絡めとられると、存在は物の見事に裏返される。それが今の人間全般の意識の在り方だ。
他者-構造は「我の視線をなぞって世界を見よ」と号令をかけ、それに聴き従った自己たちは、架空の広がりを意識に作り出してしまった。幅支配の世界はそうやって、自然史の中に訪れてきたのだ。
それでも、私たちの中には幅支配に抗おうとする衝動が、それこそ、自然史の未来のためにセットされている。それが「いる」という感覚だと考えよう―今、私は、ここに、います―
「いる」ものには「なる」ものたちの声が微かに聞こえている。そしてその声に聴き従うことが生の充実だと確信している。
汝、「いる」ものとしての自分を忘れるなかれ。
「なる」ものの世界への扉は開きつつあるのだから。
今週1月25日(土)のNOOS LECTURE 2019 vol.5 in Fukuokaは映画「2001年宇宙の旅」がテーマですが、この「ある・いる・なる」の三位一体の話を絡めながら、色々な話をしようと思っています。福岡近辺の方で、ヌーソロジーに興味のある方は是非、おいでください。
https://noos-academeia.shop/event_lec2019_vol5_fukuoka/
下画像はhttps://tenki.jp/suppl/y_kogen/2019/06/02/29132.htmlよりお借りしました。
1月 22 2020
日本語の精神の中に生きるあなたに
下の川瀬さんの動画は「日本語は付帯質を前に持つ」というOCOT情報の内容と関係しています。
日本語の基本は感性言語だということです。
西洋の言語にしても、古代は感性言語だったのだろうと思いますが、現在は思形言語に変形している。
感性言語を執拗に死守しているのが日本語だと言えるのでしょう。
感性にはヌーソロジーがいう意識進化の方向性が眠っています。
感性言語は元止揚の顕在化(持続空間の顕在化)に方向を持っているということです。「物を開く」ということの意味ですね。
「ものを開く」とは持続空間の中に自他の結びを作り出していくということ。
ですから、日本人の言語意識は「結び」の能力を未だ秘めていると言っていいのではないかと思います。
https://www.facebook.com/groups/490662677781733/permalink/1398359633678695/
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: OCOT情報, 付帯質