2月 13 2017
空間をフィールド化(量子場化)させていくこと
一昨年あたりから温めてきている奥行きを通した空間認識のメソッドだけど、日増しに力が強まっている感覚があるなぁ。
僕たちは幅認識を通してすべての観念を組織化しているから、宇宙を存在者の集合としてしか見て取れない。これを変えていかなくちゃいけないね。
奥行き認識を通して世界に対する新しい観念の連合を作り出していくためには、どうしても素粒子の知識が必須となる。というのも、奥行きの組織化の基礎が素粒子として見えているものにあるから。実は、量子力学自体がそのことを知らせるために出現してきた学問なんだよね。
ただ問題は、幅認識に支配された現行の物理学では素粒子が時空(幅認識)に従属したものとして描像されているから必要以上に複雑に記述されてしまっている。つまり、幅と奥行きの転倒が量子力学を極めて難解なものにさせているんだね。
だから、多くの人たちに量子の本質を知らせていくためには、現在の物理学における量子の表現形式を何とか本来あるべきシンプルな形へと変えていくことが必要なんだ。量子は対象ではなく、見る者側が持った意識の構造体だから、まずはそうした認識の転換が必要とされるってこと。
一方に幅認識に即した対象知というものがあって、もう一方に奥行き認識に即した生成知というものがある。この両者が足並みを揃えることによって、僕らは世界に対する「認識の完全化」を作り上げていくことができるんだ。
認識の完全化というのは「見られるものと見るものの一致」ということだよ。自分の意識構造が見られるものの中に見えてくるということであり、またそれが見ている自分自身でもある、という世界が見えてくるということだね。
その世界が見えてくると、物質が存在している場所と物質が生成していく場所を繋いでいる空間の間に捻じれのループがあることが分かってくる。そして、そのループの運動が幾重にも積み重ねられていってる世界が一つのパースペクティブのようにして開いてくる。その運動に同化して世界を感じ取る思考を構成し、それに見合った空間感情を抱いていくこと。これが人間の変形をもたらしていくんだ。仏教にいう「即身」の宇宙ってやつかな。
即身の空間は死の空間と言い換えてもいいと思うよ。
分かりやすく言うとね、実は奥行き自体が死の場所になっているということ。それに対して幅の方は生の場所を形作っている。そう考えると、仏教のいう「生死不二」という言葉の意味がクリアに理解できてくるんじゃないかな。つまり、「奥行き認識を組織化する」というのは死の身体を作り上げていくということなんだね。
それが達成されてくれば、実は生きているのは「死」のことだってことが分かってくる。死の本質は純粋持続であり、また、それが生命なんだ。
とにかく、最初の取り組みは奥行きに自身の持続を感じ取り、空間の質を変えていくことだね。そこがトランスフォーマーの入り口。
3月 21 2017
幅意識と奥行き意識の構想の歴史
テレポーテーションとか、タイムトラベルとかを物質空間でイメージしている人が多いけど、哲学がなさすぎだと思うな。そういったものはすべて持続意識の中でイメージされるべきものであって、外部の延長世界の中で起き得るものじゃない。科学的世界観に最も欠如しているのはこの持続概念なんだよね。
その意味で言えば、ベルクソンとアインシュタインの決裂が20世紀を決定付けたと言っても過言じゃないかもね。アインシュタインにはベルクソンの言ってることが理解できなかった。物理学者は今こそ持続概念を取り込んで量子世界を見直すとき。それさえ始まれば世界は大きく変わっていくと思う。
ただ、ここはかなり厄介なところでもある。科学が持続世界を実体として受け入れることは、人間の霊性を認めることと同じ意味を持つからね。科学が解き明かした物質構造(空間構造)は全く正当なものだとは思うけど、こと物質概念に依拠した世界観は霊性を認めてしまうと木っ端微塵に解体されちゃう。現在の知的権威のプライドがそれを許すはずもない。結局のところは、知的階級の人間性の問題ってことになるのだろうか。
持続空間の存在が最も端的に表現されているのが、前後、左右、上下という身体を中心にした方向の区別だね。これを物理空間のx,y,z軸とごっちゃにしてしまうから、みんな空間の本性が分からなくなる。x,y,z軸というのは見られているもののの空間。前後、左右、上下軸というのは見ているものの空間。後者は不変なんだよね。どこに赴こうが前後は前後だし、左右は左右。身体空間は動いていない。そして、その空間に持続が働いている(反転してるけど)。
多くの人が他者視点に自分の視点を持っていかれているから、当の身体までもx,y,z軸で見てしまう。身体空間の本質は素粒子の空間。そこに気づこうよ。「身体には魂が宿っている」というスピおきまりのクリシェも、「身体は前(奥行き)を通して持続空間に接合している」といったような概念に変えていかないといけないね。
身体空間が目覚めて自然を見出すと、世界にアウラが立ち込めてくるとでもいうのかな、自然はより高次の霊性の塊のように見えてくる。生きていく上で最も重要なのは、この方向感覚なんだ。世界はあるがままで霊界だってこと。
世界を物質と見るのと、霊界と見るのとでは方向が正反対なのが分かるよね。まぁ、これは幅意識と奥行き意識の抗争と言い換えてもいいけどね。人間の歴史も実はこの抗争のもとで発展してきたんだ。もちろん、今までは絶えず幅意識の優勢のもとにね。
でもね、これからは形勢逆転が始まるって話なの。奥行き認識の圧倒的な優勢のもとに幅認識を従属物として使いこなしていくこと。そしたら、世界は垂直性に向かって上昇を始めるって。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 3 • Tags: アインシュタイン, ベルクソン, 奥行き