11月 15 2017
2039年に確実化するものとは—
「元素とはカタチの総体」というOCOT情報があります。ここでいう「カタチ」とは「見られるもの」としての形象ではなく、「見るもの」の形象の意です。見るものとは、ヌーソロジーの文脈では持続空間(精神)のことなので、必然的に元素とは持続の構造という意味になります。
持続の構造は人間においては経験内容ではなく、経験の形式として働いています。いつも言っているように、これは「超越論的なもの」のことです。
ただし、人間にはまだこの超越論的なものは認識できていません。無意識として働いているわけですね。その意味で「人間はまだカタチをもっていない」とOCOT情報は言います。
カタチは持っていないが、無意識としては働いている。それが「潜在化」の意味であり、その潜在化が元素を生み出す前の素粒子の状態だと考えるといいと思います。素粒子は超越論的なものの潜在化、元素はその顕在化に当たるということです。
潜在化と顕在化の違いは、その意味で微視的には原子核と電子が結びついていない状態か、結びついた状態かということになります。宇宙論で言うなら、「宇宙の晴れ上がり」と呼ばれる状態を意味します。電子と原子核が結合して原子の生成が始まる、という意味です。
原子核と電子軌道の関係の基本イメージは球体(基底状態の水素原子は1s軌道に1個の電子で球対称)ですが、この本質は対象とそれを観察している人間との位置の関係にあります。原子核が電子を捕獲するということの本質は、意識が主客一致の認識を達成している状態を表現しています。
ここに最初のカタチが生まれているということですね。
人間が持っていた外延として開いていた宇宙認識から、自身の位置を無限遠点として認識し、一気に持続空間へと収縮し、内的に宇宙を認識し始める最初の位置、それが時空に表現されているものが水素原子と言っていいのかもしれません。
ですから、人間が素粒子構造を己自身の無意識構造として看破していくプロセス自体が、本当のところは、元素の生成を意味することになります。カタチの覚醒です。
シュタイナーの表現で言うなら、意識魂(電子)が霊界(原子核)と結びつくということです。
ヌーソロジーでは、こうした認識の境位に入ることを「次元観察子の顕在化」と呼んでいます。
ただし、この顕在化は何世代もかけて熟成させていくものです。いきなり顕在化を起こすということではありません。こうした概念が徐々に人々の間で共有され始め、空間に変形を与えていくということです。一部のスピリチュアルがイメージしているような劇的な変化ではないので、そのあたりは誤解なきよう。
この方向性は2039年に確実化する(「入神」)、とだけOCOT情報は伝えてきています。
12月 19 2017
内包空間への反転を決行しよう
「付帯質」には精神における受動性に生み出される「無」の力、といったような意味がある。見るものを精神とするなら、見られるところにこの付帯質は生まれる。二つの精神があるところには、この付帯質も必ず二つ生じる。「対化」はこのように「4」の関係を持って顕在化を起こす。
この四値的関係が数学的形式として表現されたものが複素円だと考えられる。精神の対化がi、−i。付帯質の対化が1、−1という関係で表現されている。
このシステムは、同時に空間にも根を張っている。空間を内包と外延に分離させているのも、この四値関係だ。内包/外延への分離は複素数の反転という関係で現れる。今回のシュタヌー本のP.462では、その仕組みを下図のように図示した。
この図の中心点はシュタイナーの言葉でいうならエーテル中心であり、非局所的一点である。図にも示しているように、複素円周自体は観測者の自転の軌跡を表している。つまり、自分が”自転”したとき、空間は前を内包へ、後ろを外延へと分割している。前が精神、後ろが付帯質だと考えるといい。
見られることによってしか、自己をアイデンティファイできない人間の自我は、複素円の外部にしか空間を感じ取るができない。それが「人間の内面」という概念であり、これは他者のそれと同一化することによって延長世界(時空)を作り出す。
この同一化によって、精神が働く外面側は認識からすっかり消失してしまっている。言うまでもなく、この消失した人間の外面側に人間の生命力としての純粋持続が息づいている。シュタイナーのいうエーテル空間だ。
ヌーソロジーは単にこの失われた知覚を取り戻せ、と言っているだけだ。付帯質(外延)で覆われた世界観では本質に何一つ触れることができない。はっきり言えば、すべてが虚構で塗り固められている。
内包空間への反転を決行しよう。外延にすっかり慣れっこになった僕たちの意識には、それは至難の技であることに違いないが、このまま外延への惰性で思考を続行することは、生命の力を減衰させるだけだ。
※下図の人体は意識の位置を比喩的に表しているものであって、物質的な肉体を意味しているわけではないので注意されたし。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: シュタイナー