5月 22 2020
「今」に降り立つ天使たち
「天使の顔は過去を向いている」と言ったのはベンヤミンだったか、それともクレーだったか。楽園(奥行き)から吹いてくる風はいつも逆風で時を未来へと運んでいく。この風のせいで天使は「今」に降り立つことができない。それゆえ歴史はその都度この「今」を破壊し、そこに瓦礫の山を積み上げてきた。今やその風は、あのユダヤの過越しの風のような勢いで吹いてきている。
「今」に降り立つためには、物の中(内包=持続)と物の外(外延=時空)を自由に行き来できるような空間認識が必要だ。それが4次元認識というものでもある。4次元認識が生まれてくることによって初めて見るものと見られるものが一つになる世界観が生まれ、またそこには、自己と他者が真に結びつくことのできる世界も見えてくる。
4次元は観測者を含めないと思考できない。逆に言うなら、観測者が3次元の中に入り込んでくると、そこは4次元になる。そして、この4次元は〈見る〉方向と〈見られる〉方向の二方向に分かれ、それぞれ持続と時間という二種類の4次元感覚を意識に与え、前者は内包、後者は外延という位置関係に分配されている。
「現在と共存する過去」というわたしたちの意識的現実はこのようにして、身体の前(見る)と後ろ(見られる)という空間把握と同時に生み出されているものなのだ。今の私たちがいかに「見られる」側への一方的なバイアスの中で世界を構成しているかが分かるだろう。
ヌーソロジーが素粒子について執拗に語り続けるのも、この「失われた前」を取り戻すためだ。それが「消された存在」の正体でもあり、またそれは「生きている死」の世界のことでもある。
表象の世界に飽きた人には、是非、この4次元世界への侵入をオススメする。このルートを通して内包から外延へと意識が赴くことができるなら、宇宙はまるごと反転し、物質的自然はまったく新しい姿へと自らを変貌させてくることだろう。
明かしえぬ共同体。無為の共同体・・・。呼び名は色々とあるだろう。その中ですべては共に存在し、一つの歌を歌っているのだ。
5月 29 2020
対化の方向性が変わるとはどういうことか
自分とは何か? ということについて能動的に考えるときは、脳や、DNAや、そういったチマチマとした表象から考えずに、時間全体、空間全体に自分の身を溶かし込んだ場所からスタートすることが大事です。人間は時間や空間の中に生きる存在ではなく、時間と空間として生きる存在だから。そのくらいダイナミックに思考を展開する。それがヌースです。
ヌーソロジーの思考にとっては、時空は次元的には最もミクロな世界です。そして、そこから立ち上がっていくのが内的に広がっていく観察子空間。そして、その方向性が本当のマクロ宇宙。OCOT情報にいう「対化の方向性が変わる」とは、この本当のマクロ宇宙に意識の方向性が向くことを言います。
僕らは現在、時空を受動的にしか経験できていませんが、「対化が方向性を変える」と能動的な時空というもののが意識に経験されるようになってきます。それによって、自然が精神の産物だということがある程度は理解、イメージできるようになってきます。ハイデガー風に言うなら、”内側から泉のように湧き出でる自然(フィシス)”に同調できるようになってくるわけです。
そのスタートラインは何と言っても「奥行き」への感応です。まずは、この「奥行き」というものが対象の一番ミクロの部分と繋がっているとイメージするといいと思います。ヌースでよく言っている「私たちは物の中にいる」とはそういう意味です。
自分が物の外部にいて、「そこからものを見ているのだ」とする従来の対象意識は、他者に見られている空間側で意識がシステム化されていることにより生まれています(ヌースでは「付帯質の外面」という)。でも、見ている空間にいる自分側は、奥行きとともに本当は物の中にいます。そういう感覚が芽生えてくるのがトランスフォーマーの初期的な感覚です。
偶数系観察子が先手か、奇数系観察子が先手かというのはそのような両者の意識の方向性の違いとして把握されてくると考えて下さい。「対化が方向性を変える」とは、奇数系観察子が先手を取るように働き始めることを意味しています。ヌースの文脈では、存在におけるその方向展開はもう始まっています。
そこから奇数系観察子が何を行っていくかというと、人間の経験的な意識の在り方をその裏側で条件づけている裏側の自分(ヌースでは「人間の反対」と言います)の意識、つまり無意識(魂のようなものと考えてよい)を空間の中に露わにさせてきます。それがヌースが”顕在化”と呼んでいる出来事です。
“顕在化”が露わにさせていく空間のルートは、素粒子のシステムが持っている空間のカタチに対応しており、それをリアルなものとして反-現実化(人間の現実とは方向が逆だということ)させていくための思考装置が先日来ご紹介している「ヘキサチューブル」だと考えるといいでしょう。
ヘキサチューブルは、マクロ宇宙へと意識が歩みを進めていくために、文字通り、その回廊(チューブル)を開いていくことになってくると思います。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 14 • Tags: OCOT情報, ハイデガー, ヘキサチューブル, 奥行き, 素粒子