2月 12 2020
「ヌーソロジー理解のための物理数学教室」を終えて
意識物理学研究所の佐藤氏主催の「ヌーソロジー理解のための物理数学教室」に月1回、講師として参加させてもらったが、先日6ケ月にわたる第1期を終了した。受講メンバーの皆さん、お疲れさまでした。
6回のシリーズを終えて、改めて感じたことなのだけど、量子力学は早く新時代の霊学として見なされるようにならなければいけない。
量子力学というと、未だに、それは物質に関する学問であり、物質を作っている素粒子という小さなつぶつぶの世界の物理法則等について、事細かに調べている学問のことではないか、というイメージが一般にはある。おそらく、物理学者の中にもそういうふうに理解している人も多いかもしれない。
しかし、そういうイメージで量子を理解することは100%間違っている。それは「世界が物質でできている」という人間の世界認識のスコープの網にすくい取られた素粒子イメージであって、その網は恐ろしいほどに穴だらけで、そこには素粒子の実在性は何一つひっかかってはいない。量子は、もともと”外から観測される存在などではない”のだ。
宗教や哲学をやってる人は、量子力学と言えども、「所詮、物理学」などと言って馬鹿にする人が多い。しかし、奥行き(持続)を通して量子空間がイメージされてくると、これこそが霊的認識と呼ぶものでは?という感覚が凄まじい強度で上がってくる。構造の詳細が描像の中で一致すればするほどその強度は増し、非物体的なものでできた精神のオルガネラとして存在している自分を強く感じてくる。
世界は物質ではなく、こうした非物体的な何ものかで出来上がっている。そのような認識が具体的に素粒子レベルから立ち上がってくる時に、初めて世界全体が従来とはまったく違ったものに見えてくるようになる。自然界はもちろんのこと、他者も、社会も、歴史も、人類も、そして、それらに対峙して生きる「自己」という存在自体も。。
「物質世界は幻想」という人たちは多数いるが、多々言われている従来の精神世界も同じ程度に幻想だと考えた方がいい。両者は「世界が物質でできている」とする意識形態の表と裏のようなものだ。この二つの幻想を卒業するためには、空間を正しく見ていくための高次元知覚が絶対に必要となってくるだろう。量子力学が浮かび上がらせてきた物質の根底世界の構造は、今後、確実にその高次知覚誕生のトリガーとなっていくはずだ。
9月 25 2020
ヌースが「奥行き」に至るまでの長い道のり
今度の日曜日のヌースビギナーズラック#6。素粒子の話がテーマなので、『光の箱舟』の共著者である砂子岳彦氏をゲストに呼ぶ予定でしたが、機材の能力不足でSkypeの音量調整が難しいということが分かり、断念しました。誠に申し訳ないデス。
佐藤氏亡き後、専門家でヌーソロジーと同じ方向で素粒子の世界を見ているのは砂子氏だけなので、その考え方を皆さんにも紹介したかった。本当に残念。まぁ、いずれ生出演で呼ぼうと思っていますが。
もともと、「素粒子とは人間の意識構造である」と伝えてきたのはOCOTで、その理解こそがこれからの人間を大きく変えていくと言っていたので、ヌーソロジーにとっては、素粒子物理の基盤となる量子力学の構造は意識の見取り図も同然のものなんだよね。
ところが、この見取り図自体が非常に難解なもので、正規の教育を受けてない人はまず歯が立たない。複素数の行列で表現される数式もさることながら、交換関係とか、演算子とか、考え方が根底から違っていて、一体何をやってるのか概念的にさえつかめないんだよね。
ミクロの世界は僕らの生活している3次元世界とは存在の形式がまるっきり違うってこと。もっと言うと、人間の表象能力の外部にあると言ってもいい。だから、それは量子物理学とは呼ぶものの、もはや物理的対象の世界ではない、とも言えるわけだね。
で、問題はミクロの空間がなんでそんなヘンテコなことになっているのか、ということ。その理解がなければ、量子力学の数学的理解はできたとしても、量子とは何かについては永久に分からない。
僕の場合は、量子力学より先に、OCOTたちの世界観を仕込まれた。それは意識構造を鉱物の結晶のようなカタチとして見てる世界観なんだよね。何で意識の構造が結晶のようなカタチになるかと言うと、そこは時間が流れていない世界だから。本来、カタチは時間のない世界の産物だと言うのがOCOTの弁。
この辺がとてもプラトンっぽいよね。イデアというやつだ。で、垂子やら、垂質やら、精神球やら、聞いたこともない言葉を通したやりとりが始まった。最初はほんとに何一つとして分からなかった。多分、初めてヌーソロジーに出会した人の分からなさより、その百倍くらいはあろうかという分からなさ(笑)
僕の90年代の人生は、ほとんどこの分からなさとの格闘で費やされたと言っても過言じゃないね。寝ても覚めても、自分の内側に入り、無意識のカタチを探し求めて彷徨った。5年ほどしてようやく、カタチのイメージ生まれ始め、そこから今度は物理学の本とのにらめっこが始める(笑)
そして、これがまたサッパリ分からない(笑)。結局、最初は分からないものを分からないものと照合させながら、そこに共通の分かる「何か」はないかという、自分自身が触媒になった感覚で、OCOT情報と量子本とのにらめっこの反復が続いたわけだ。まぁ、これは今でも続いてるけどね。
もちろん、まだすべてが分かったわけじゃないんだけど、内的なカタチの思考から始めたのは正解だったと思う。というのも、数式で表現されている量子が最初から内的なものとして感じられたから。普通は、量子を外的なものとイメージしている人がほとんどだろうから。
で、問題はミクロ世界がどのようなシステムによって人間の内とつながっているのかということ。量子を記述する複素数の形式にそのヒントは隠されているということはすぐに分かったんだけど、その謎が解けるのにも結構、時間がかかった。
この辺りの思考はゼロ年代に入って、ドゥルーズとか、ベルクソンとかメルロ=ポンティとか、哲学系の本を読んだのが良かった。最終的にその接続のイメージは「奥行き・持続・収縮・無限小」というターム群でクリアに浮き上がってきたんだね。
こうやって、物の外部と内部は人間自身を通して「奥行き」で繋がっているという反転の理路が完成したわけ。今ではもう確信に変わってます。
ただ、この確信が主観的確信じゃショーモないので、ミクロの物理法則の事実性と合致させるために、亡き佐藤氏や砂子氏、そしてφさんといった面々と検証作業を続けているわけですね。
By kohsen • 01_ヌーソロジー, 02_イベント・レクチャー • 0 • Tags: OCOT情報, イデア, ドゥルーズ, プラトン, ベルクソン, メルロ=ポンティ, 光の箱舟, 奥行き, 素粒子, 量子力学