3月 10 2009
ヒトの精神構造としての太陽系(1)
さて、現在の時点でヌーソロジーが太陽系についてどのようなイメージを持っているか追記しておこう。
OCOT情報によれば、太陽系は「ヒト」と呼ばれるところの高次元意識体の精神構造が人間の意識するマクロ空間に投影されたものだという。ヒトの精神構造とは人間の意識の交替化を等化作用と見なす精神の構成である。簡単にいえば、此岸と彼岸の変換対称性を保存するための精神の構成場だということだ。もちろん、ここでいう此岸とは超越論的主観性としての自己、彼岸とはその主観が決して触れることのできない絶対的外部としての他者のことを意味している。自己を「一なるもの」としての個とすれば、他者は「多なるもの」としての種でもあると言えるが、太陽系という存在者は交渉不可能と考えられているこの二つの意識領域をかたや内惑星系、かたや外惑星系という形で互いに補完し合いながら意識の交通空間を作り出しているということらしい。
内惑星系(地球~火星)は人間の個的基体の意識発達を促す精神構造として働いており、外惑星系(木星~惑星X)の方は人間全体、すなわち種的基体の意識発達(歴史的無意識の発達)を促す精神構造となっているようだ。その意味でいえば、ヒトの精神(Ω7=木星)とは、個的意識を種的意識へと変換している力だと言える。このことから太陽系における内惑星系と外惑星系は「個」と「種」の意味において相似関係にあると見てよい。「自」と「他」の関係に沿ってそのまま反転関係にあるわけだ。
まずは太陽系の諸惑星と観察子の対応を挙げておく。
■太陽系と大系観察子の対応関係
1、大系観察子Ω1(顕在化におけるψ7)………地球
2、大系観察子Ω2(顕在化におけるψ8)………月
3、大系観察子Ω3(顕在化におけるψ9)………水星
4、大系観察子Ω4(顕在化におけるψ10)……金星
5、大系観察子Ω5(顕在化におけるψ11)……太陽
6、大系観察子Ω6(顕在化におけるψ12)……火星
反覚醒領域 ……アステロイドベルト
7、大系観察子Ω7(顕在化におけるψ*7)……木星
8、大系観察子Ω8(顕在化におけるψ*8)……土星
9、大系観察子Ω9(顕在化におけるψ*9)……天王星
10、大系観察子Ω10(顕在化におけるψ*10)…海王星
11、大系観察子Ω11(顕在化におけるψ*11)……冥王星
12、大系観察子Ω12(顕在化におけるψ*12)……惑星X
反覚醒領域 ……カイパーベルト
大系観察子Ω6(火星)とΩ7(木星)の間に存在しているアステロイドベルト(小惑星帯)は、個体意識が種的意識に進化していく際に、奇数系観察子と偶数系観察子が転倒した流れが作る意識次元の射影として出現しているようだ。つまり、Ω7~Ω8において、ヒトの精神であるΩ7が先手として働くか、その付帯質であるΩ8が先手に働くかの違いである。
Ω7が先手とした意識の流れはそのまま外惑星領域へと向かい、Ω8側が先手に回った意識は中和によって顕在化が見えないために再びΩ1へと送り還されるというシステムだ。この送り還された意識次元というのは人間そのもの意識次元を意味するので、アステロイドベルトとは結局のところ、反動的生成を持った人間の意識次元の太陽系における射影ということになる。いつも言ってる「カタチのない精神」としての有機体の場のことである。この精神の「カタチのなさ」が小惑星というバラバラな、いかにも力が飛散させられたような状態と関係しているのかもしれない。
ここで人間の個体の無意識を調整する内惑星の働きをケイプコンパスに照らし合わせてざっと俯瞰してみることにしよう。例によってヌーソロジー特有の難解な言い回しが出てくるが、ここではケイブコンパスにおける意識の進展性(矢印で表している流れ)にだけ注意を払ってもらえばよい。
■1、大系観察子Ω1~Ω2………地球と月(元止揚の対化)
●地球=Ω1………人間の元止揚の顕在化
人間の純粋知覚が構成されている領域で、その起源は観察精神と呼ばれる精神構造におけるすべてを等化した精神にある。光=現象そのものと言ってもいいだろう。これは神智学的にいえばエーテル界と考えられる。エーテル界はシュタイナーによれば射影空間的性質を持っているという。実際、人間の外面の空間(知覚正面)の在り方は射影空間となっている。ただ、ここで留意しなければならないのは、顕在化においては地球はψ7=Ω1だが、潜在化(人間の意識の覚醒が起こる前)においては地球は人間の内面側で働きを持っており、エーテル界ではなく物質界として働いている。つまり、人間の意識では人間の外面が無意識化しているということだ。
●月=Ω2………人間の元止揚の反映の顕在化
観察精神が対化として方向を持ったためにその相殺として生じている中和の位置を意味する。一言でいえば人間の肉体の生成次元と言っていいだろう。知覚という機能に対する胎児の形態形成場のことである。地球がエーテル界ならば、月は物質界に対応すると思われる。ただし、潜在化においては月と地球の働きは転倒しており、月は人間の外面側(エーテル界側)で働きを持っていると考えられる。
■2、大系観察子Ω3~Ω4………水星と金星(元止揚の対化の交差の方向性)
●水星=Ω3(ψ9)………人間の思形の顕在化
元止揚の対化が交差を行っていく次元の顕在化を意味する。水星は反対側の人間の精神=ψ*7に方向を持つことによって、人間の内面を交差する力を持ち、人間の内面の観察を形作る働きを持つ。いわゆる外在世界の観察次元である。人間の意識では外在の観察は言語として行われている。その意味で水星は言語認識の力であると考えられる。人間の内面には知覚は存在していないので言語によって観察されている事物はすべて知覚をコピーした妄映なであり、それゆえにこの次元は「人間の思形」と呼ばれる。思形とは文字通り「形を思う」働きのことである。この次元は神智学的にいえば低次メンタル界の働きと考えられる。
●金星=Ω4(ψ10)………人間の感性の顕在化
金星は反対側の付帯質が人間の精神に方向を持つことによって、人間の外面を交差し、人間の外面の意識を形作る働きを持つ。いわゆる知覚世界を感受し、感情を形作る意識の働きである。金星は精神=ψ7の方向を持っているために意識の分断化が弱い。「人間の感性」と呼ばれる。平たくいえば「人間のこころ」のことだ。神智学的にいえばアストラル界の働き。
■3、大系観察子Ω5~Ω6………太陽と火星(人間の精神の対化における等化とその中和への方向性)
●太陽=Ω5(ψ11)………人間の定質の顕在化
人間の思形と感性を等化する力の領域。前半部と後半部で二つの異なった働きを持っている。前半部は水星の方向性を反対側の精神の顕在化へと変え、人間の精神の対化の等化を行う。人間の精神の対化の等化とはψ7とψ*7を同一化させるという意味である。この同一化によって人間の精神の力は人間の内面(外在世界側)に働きを持ち、感性から切り離された理性の力によって抽象思考能力等が生じてくる。後半部は、理性が人間の外面への方向を持つ部分だ。ここにおいて理性はこころを等化する働きを持ち、個体意思=自我の確立がここで行われてくる。
●火星=Ω6(ψ12)………人間の性質の顕在化
太陽の付帯質としての働きを持つ場を意味する。太陽と同じく働きが前半部と後半部で二つの違う働きを持っている。前半部は人間の外面である知覚の場を意識から切断させる作用を持っている(人間の内面*が介入してくるということ)。これは主体自身を単なる物質的肉体として認識させる作用のことである。この作用によって火星は金星的(知覚的)なものとの対立を作ることになる。知覚が外されているという意味で火星を♂(男性原理)とすれば、金星は♀(女性原理)と言える。知覚の忘却によって個体意識の肉体への密閉化を促す。後半部は、密閉された状態のまま、他者の場との同一化を弁証法的に強要される部分である。結果、一つになりたいという欲望が闘争を生み出すことになる。
長くなったので、外惑星領域については次回にまわそう。
1月 18 2013
エーテル空間を感覚化する方法
最近、facebookで「神秘学遊戯団」というサイトを主催しているKAZEさんから『エーテル空間』(G・アダムス著)という書籍を教えてもらった。KAZEさんとはNifty時代以来の邂逅で、当時、シュタイナー会議室を開いていた方だ。
読んでみて驚いた。というのも、『エーテル空間』というのは僕自身が「反転した時空」として長年考えてきたものと同じ場所のことを言っていたからだ。これ一冊でいろいろと示唆されることはあったが、同時にこの書籍のマズいところもいろいろと見えた。第一の難点はG・アダムスがエーテル空間を射影幾何学で説明しようとしているところ。第二点は前回も書いた純粋持続の視点が弱いために、エーテル空間を具体的に描写できないこと。この二つだ。
射影幾何学の何が悪いかというと、確かに射影空間というのはユークリッド空間の起源となるものなのだけど、概念自体がユークリッド空間の概念から派生しているために「同一性」の縛りから抜け出れない。その束縛が説明にも見事に襲いかかっていてG・アダムスの差異化への思考を妨害しているように感じる。
持続の視点が弱いというのは、エーテル空間がそのまま持続の空間であると言い切っていないところだ。エーテル空間は物質空間のように対象的に見る空間ではない。自分自身の意識を実体として感じとる空間だ。G・アダムスにはその視点からの説明があまりない。その点で読む人は何とも宙ぶらりんのサスペンス状態に陥ってしまうのではないか。
さて、ここからは完全にヌーソロジーからの持論になるが、シュタイナーのいう「エーテル空間」の構造は射影空間というよりも、3次元球面というカタチを基本にして考えた方が発展性を持たせることができるのではないかと思う(あとあと複素空間へとつなぐできる)。3次元球面は数学的には4次元空間上の球面で、球面と言ってもその形は3次元空間と同じだ。ただ違うのは無限遠が一点でくっついているということ。分かりやすく言うと、3次元のどの方向をとっても円になっているということだ。このカタチは通常の幾何学的な対象としてイメージしようとしてもまず不可能なので止めた方がいい。
3次元球面というカタチを理解するためには、3次元空間における無限遠点とは何かをまず理解しなければならない。無限遠と聞くと普通は「ずぅーと遠くの無限の彼方」をイメージしてしまうが、実はそんな方向には無限遠は存在していない。何しろ”無限”に遠いのだから、ずぅーと進んでも無限遠に行き着くはずはない。もっと言ってしまえば3次元空間の中には無限遠点は存在しないのだ。
だから、この無限遠点は3次元空間の中の「点」とは絶対的な差異がある。つまり、質が違うものなのだ。僕らが対象的に思考する幾何学はすべて「対象的」という意味で同質だ。だから、無限遠点を考えるときは対象的ではない「点」を考えなくちゃならない。そんな点なんてあるのか?と思うかもしれないが、それが空間に一つだけある。つまり、「観点」だ。「観点」とは世界を見ている自分がいる「点」ということだ。
周りに広がる無限の空間の中で「観点」だけが異質なのはすぐに直観できるのではないかと思う。何しろ、その観点があってこそ、世界が開いているのだから。その意味で観点は物質的な3次元空間には決して落とすことはできない。これを平気で落としているのが科学的世界観だと思えばよい。科学は無限遠ってどこだ?と聞くと、「それは物理学的には〈特異点〉に当たる」とか何だか難しい言葉を使って偉そうに言うのだけど、それは空間の妙を何も理解していないからだと思っていい。
観点とは無限遠点であり、僕らはそこから世界を覗き込んでいる。仮定として、こう考えてみよう。
さて、自分のいる場所を「無限遠」だと仮定すると、宇宙のはるか彼方には自分の後頭部があることになる。ここで、観点を自転させてみよう。つまりは、グルッと身体を回転させてみるのだ。そうすると無限遠の先にある後頭部としての観点も一緒についてくるのが分かる。変な喩えだが天球面とは自分の後頭部がビローンと開いたようなところなのだ。
物質空間では奥行きの回転は自分を中心としてイメージされているので、奥行きはその回転における半径のようにイメージされてしまう。しかし、エーテル空間では天球面上には自分の後頭部があるのだから、この回転は半径の回転ではなくて直径の回転のように感じてくる。これが非常に大事なところ。さて、このときの回転の中心点とはどこだろう?図を書いてその正体を確かめてみることにしよう(下図参照)。
ありゃりゃ。見事に反転してるわ。物質空間では自分の位置を0点と考えていたので、無限遠は外に広がるような感覚で捉えられていたのだけど、自分自身が無限遠点だということが分かると、かつての0点がこの無限遠点∞に移動するのだから、かつての無限遠は逆に0点に移動することになる。内と外の関係が見事にひっくり返って、エーテル空間が目の前に出現してくるのが分かるはずだ。そして、ここにおいて3次元球面も完成してるのが分かる。つまり、3次元球面をイメージするためには物質空間における点(観点)を球面へと開かない限り無理だということだ。
では、ここで出現してくるエーテル空間の中心点(無限遠点)というのは何なのだろう。。。
ということで、今日のヌースのゴタクはここまで。詮索好きの人はゆっくり考えてね。
By kohsen • 01_ヌーソロジー, シュタイナー関連 • 1 • Tags: エーテル, ユークリッド, 無限遠, 神秘学