7月 21 2021
まずは、宇宙の中心を見つけよう
実数とは計れる世界、数量の世界と考えていいと思うよ。つまり、数量とは直線的に世界を見る思考の産物。量子力学にしても波動関数Ψを|Ψ|^2を取って確率で解釈してしまうと直線的世界で量子を見ていることと同じになる。それだと潜在的なものは姿を消してしまう。
ここで「潜在的なもの」と言ってるのは、ベルクソンに由来するドゥルーズ の言い回しだけど、これはいつも言ってる”存在(=持続)”に同じ。潜在的なものの形は必ず円で象徴される。つまり、始まりも終わりもないってこと。
円の世界から見れば、直線の世界とは円周上の一点に接する接線のようなもので、これは微分化された領域に過ぎない。つまり、時間と空間の世界は存在から見れば接点の中の世界に過ぎないわけだ。OCOT情報が人間が意識している時空がミクロすぎて見えないというのもうなずける。
ここで言う「潜在的なもの」とは精神(霊)のことと言い換えてもいい。そして、この精神は直線的世界(物理的世界)の中では必ず回転として現れる。電磁場を始め、電子の周回、惑星の周回、銀河の周回、すべての回転に類する回転は精神の時空での表現になっている。
だから、一日は精神のあらわれ。一月も精神のあらわれ。一年も精神のあらわれ。持続世界を構成する様々な次元が、時空上では時間的な周期となって表現されることになる。回転を欠いた時間(デジタル時計で計測されるような時間)は、その意味では、精神の死骸と考えた方がいいよ。
つまり、精神が死んでいるからエントロピーが増大して行くんだよ。
円には中心があるけど、直線には中心がないよね。人間は宇宙を直線的に見るようになってしまったために中心を見失ってしまったんだね。中心とは文字通り、中にある心のこと。人間が心と感じているものの方向に宇宙の中心がある。空間認識を反転させればそれが見つかるよ、というお話。
2月 14 2022
スピンとは「死」が幾何学化されたもの
ヌーソロジーに出てくる垂質(Ψ5~6)という概念は、物理学ではブロッホ球(下図)と呼ばれているものに対応しているのではないかと思う。時空が反転したものがそのまま持続空間になっているということだ。
ブロッホ球では、垂子の対化(Ψ3~4)は球-線変換によって虚軸と実軸へと変換されている。このブロッホ球は、その意味で、キットカット実験(下動画)で感覚化される球空間と同じものだと考えていい。
これは「前」が小さく縮んで物質粒子になっているというのと同じ意味だ。
何でこんなものが時空上のミクロに生成されているのかというと、それは私たちが見られる空間を拠点にして世界を認識しているからに他ならない。見られる空間においては、自分の肉体が自己中心化されてしまう。その意識の反動が、「見る空間」すなわち「奥行き」側を粒子としてもたらす。
実際、量子力学に登場する生成消滅演算子の仕組みにもこれと同じような構造が見られる。「奥行き」への覚醒が起これば、観測者はブロッホ球と同化し、粒子は消滅するということになる。
念のために、もう一度キットカット実験の動画を挙げておこう。キットカットを原点とした周囲の空間の回転に留意して、この映像を見て欲しい。
この回転でイメージされてくる球空間の球面を観察している位置がOCOTのいう「無限遠点」だと考えるといい。そこに自分自身の位置を置くと、私たちが経験している全空間は一本の線分の中に畳み込まれていることが分かる。不動の前のことだ。それがスピンの正体だと考えるといい。
このことが理解できれば、君も今日からスピナーズだ!(笑)
スピンとはおそらく幾何学化された「死」だ。こうした「死」が無数集まって。今度は球精神(Ψ7~8)と呼ばれるより高次の球空間を作っている。そして、それは「地球の位置」だとOCOT情報は言っている。
すべての人間の奥行きが一点で交差している位置・・・。確かにそうだわ。
とにかく僕にとってはヌースの空間思考は最高のSFなんだよね。ほんと、モノリスの中へと引き込まれていく感じ。OCOT情報の解読は恐ろしいほどに苦痛だったけど、一つ一つの壁を抜けたときに流れ込んでくる快感がまさにエクスタシーで、ここまで続けられてきたという感じ。
Ψ13~14のゴールを目指して頑張るぞい。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: OCOT情報, 量子力学