10月 22 2008
時間と別れるための50の方法(46)
●メビウスの帯とスピノール………(2)
前回からのつづき——まず、リボンを用意し、その両端ををリング状につなげます。リボンの中央上に任意の1点Sをとり、その外面側と内面側をそれぞれ点s、点s*とします。ここで外面側であるs点と内面側であるs*点を左の親指と人差し指で軽くつまみます。この「つまみ」は、点Sがこのリボンの内面と外面の両面にある点sと点s*による挟み込みによって与えられているということを意味します。ここで、リングに沿って二本の指を点Oを中心に回転するように滑らしていきます。180度滑らしていくと、スタート地点の反対側にまできますが、そこで二本の指を見ると、相変わらず外面側に親指、内面側に人差し指が添えられているのが分ります(下図1)。まぁ、当たり前の話ですが、これが通常の3次元空間での回転の性質です。
次にスピノール空間の場合を考えてみます。スピノールの回転する空間ではスタート地点と回転中心Oを挟んだ反対側の位置では外面と内面の関係が互いに捻れ、S(+∞、-∞)がS*(-∞、+∞)となっていました。3次元空間では無限遠点と云えども4次元空間上ではただの点にすぎませんから、+∞、−∞二つの無限遠点をそれぞれs、s*と置いてみましょう。すると4次元空間においては、点S(s、s*)を指し示しているスピールが半回転する間に、このリング自体がちょうど180度の捻れを作り、点S*(s、s*)を指しているということになります。そして、元の位置に戻ってくるまでにもう180度の捻れを作っており、早い話が、スピノールが回転によって次々と指し示して行く円環の位置はスピノールが一回転する間に360度の捻れを持っているわけですです。このことからスピノールの一回転が描く軌跡は二回捻りを入れたメビウスの帯と同じ形をしているということになります(下図2)。
前回の図2で示したように、通常のメビウスの帯の場合は一回しか捩じれていないので、一回転回ってきたときに、表裏の関係が入れ替わりますが、二回捻れでは、半回転でそれが達成されるわけです。ということは、通常のメビウスの帯を2回巡ってくることと二回捻ったメビウスの帯を一回巡ることは、全く同じ意味合いを持っていることが分かります。つまり、1回捻れのメビウスの帯状の720度回転が2回捻れのメビウスの帯状の360度回転に対応しているわけです。通常の空間の回転角度をθとすれば、スピノールの空間の回転はθ/2でθを実現させます。
このような描像を持つことによってスピノールが張られた球空間の形がそれなりに輪郭を持ってきます。つまり、このスピノールが活動している球空間においては、このような円環構造が下図3のようにx、y、zの3方向すべてにおいて成り立っているわけです。はてはて、これは一体どんな形なのでしょう。
ここまでスピノールの回転の描像について見てきました。ヌーソロジーで見れば、4次元空間上でS(+∞、-∞)とS*(-∞、+∞)として対峙し合うのはψ5とψ6、つまり自己と他者の位置です。ここで『人神/アドバンストエディション』にも登場した「背中合わせの自己と他者」という関係を思い出してみて下さい。それらは同じ無限遠点±∞で背中同士でくっつき合っていました。つまり同じ位置にいるのです。ただ、自他では互いに向いてる方向が逆なので、前後方向が相互に逆になっています。つまり、点SとS*は同じ位置とも言ってよいのですが、冒頭に挙げた親指と人差し指の鋏み込みのように、一点を表裏の2点で指定しているために、その表裏の方向性の在り方によって二通りの組み合わせが出てきてしまうのです。このことは、図2に示したスピノールの回転が作り出す円環における二つの極点SとS*の位置も実は互いに重なり合って繋がっているということを意味しています(図ではそうは見えませんが繋がっていると考えて下さい)。つまり、回転中心O点からS点までを結んでできるスピノールはそのまま反対の極のS*点につながり、S*点からまた中心のO点に戻ってくるような円構造を持っているということです。このスピノールの回転が作る円の内部と外部をもし反転させて見ることができれば、二つのスピノールが一点を挟み込むようにして指定している様子が伺えることでしょう。
ということは、結局のところ、スピノールが張られている空間のかたちは3次元球面S^3の形状そのものということになります。物理学ではスピノールが張られる球空間での3次元回転は複素2次元回転群SU(2)として表されるのですが、実際、このSU(2)の形は3次元球面S^3と同じものとされています。
さて、さて、スピノールが回転している球空間の構造の方はかなりはっきりしてきたのではないかと思います。問題はこの構造が一体何を意味しているのかということです。僕らが何気に暮らしているこの空間の極微領域には現実としてこのような球空間が存在していることを物理学は実証しています。自然は一体なぜ、時空の根底にこのような超ミクロの3次元球面の構造をセットしたのでしょうか。この空間が一体どのような意味を持つ空間なのか、これからヌーソロジーの思考方法で探っていくことにしましょう。ここから、いよいよヌーソロジーが描く異次元世界への旅へと本格的に入っていくことになります。それはトランスフォーマー型ゲシュタルトによる新しい世界観の幕開けとも言っていいものになるでしょう。あっと驚く空間風景が展開してきますよ。お楽しみに。
11月 4 2008
BETWEEN TIDES(ビットウィーン・タイズ)
マヤ暦関連の書籍を数冊出している高橋徹氏との対談の企画が決定した。主催者の意向でなるべく少人数でやりたいということで、小田急線の狛江駅のそばにある泉の森会館という小さなホールが会場に選ばれた。日時は12月20日の土曜日、午後6時半から9時半まで。3時間の長丁場だ。高橋氏とお会いするのは実に5年ぶりぐらいだろうか。きっとスリリングなイベントになるに違いない。今から楽しみでならない。
イベントの詳細を知りたい方はこちらのページへ→http://www.point0.jp/symmetry/exhibition.html
高橋氏との初めての邂逅は確か1992年だった。そのときの様子は『2013 : 人類が神を見る日』に詳しく書いたが、当時の僕にとってこの邂逅は実に鮮烈な体験だった。ニューサイエンス系の知識一辺倒だったその頃の僕に、ブラバツキーやシュタイナー、さらにはグルジェフなど、20世紀思想の地下水脈とも呼べる世界の存在を教えてくれたのが彼だったからだ。
当時、高橋氏の研究はマヤ暦(ツォルキン)を中心としたものだったが、マヤ暦が巷でブームとなるにつれ、本人自身、マヤ関連の動きからは身を引いていったようだ。その当時,いつも「マヤ暦のメッセンジャーとしての高橋徹という肩書きは持ちたくない」と話していたっけ。彼のオリジナル研究は太陽系の各惑星周期と人間の無意識構造の発展に潜む関係性を調べることにあった。占星学に言うように、人間の無意識構造と太陽系構造の関係をまずは自明のものとし、さらにそこに、公転や会合などの惑星周期と歴史的無意識の進展関係を時間的な比率の観点に立って構造的に明らかにしようとする野心的研究だ。彼の研究が現在どこまで進んでいるのかは僕は詳しく知らないが、当時でさえかなり精緻な理論構築に驚かされたものだ。今はおそらく常人の想像力が及ばないところにまで進んでいることだろう。
あれから20年近くの月日が流れたが、彼の思考空間にヌーソロジーの入射角からアクセスできるかどうかはまだ不明だ。素粒子空間と太陽系空間の連結のルートがまだよく見えてこないからだ。ヌーソロジーの思考が太陽系空間に出て行くためには、身体空間の射程をまずは明確に捉える必要があると考えている。身体と大地は単なる物質的なエネルギー循環だけではなく、意識的にも分ち難く結びついており、その大地が一つの球体として出現している場所が太陽系空間なのである。実存的地球とでも言えばいいのだろうか、人類全体が意識している身体空間の在り処を僕らは深く掘り下げて思考する必要がある。回転が精神の象徴であるならば、太陽系とは人類全体の身体空間の奥にさらなる深みを持つ惑星的身体が具備している精神の表現の場として出現してくるはずである。
その意味から言えば、現在の科学的な太陽系観は矮小極まりないものに堕している。コペルニクスの地動説以降、科学の目は常に世界視線となって地上を俯瞰するものとなってしまった。この世界視線が持った眼差しは、普遍視線(地上での人間が持つ等身大の視線)の中に育まれた人間の内在野での生活をことごとく隠蔽し、ごく表層的にしか事象を捉えることができていない。物質は常にその外皮に置いて分析され、物質の内的生活など存在しないと言わんばかりに、ただただ物理化学的知識のもとに記号の帝国を作り上げているだけだ。この記号の多様性は確かに饒舌だが、いかんせん概念がない。機械的な思考だけがまるでスケートリンクの上を滑る石ころのように単純な軌跡を描いて反復しているだけだ。そんなつるっ禿のような空間に太陽系を浮かべて分析したところで、太陽系はその深み方向にある本質を決して露にすることはないだろう。
内在野に存在するn次元多様体として太陽系を捉えること。精神に内在する差異の連動系として諸惑星の回転を捉えること。これは身体空間の延長に地球空間や月空間を感じ取り、そこに生まれてくる身体的意義を通して、諸惑星の調和的運動を思考していくことに他ならない。満月や新月とは何なのか。白道とは黄道とは?そして、太陽はなぜ核融合の場となっているのか——etc。
こうした問題まで語り合えるかどうかは分らないが、空間を思考することと時間を思考することの対称性が垣間見える場所が作れれば、まさに「BETWEEN TIDES」というタイトルにふさわしいイベントになるだろう。ぶっ飛ばしまっせ!!
By kohsen • 01_ヌーソロジー, 02_イベント・レクチャー • 1 • Tags: マヤ暦, 人類が神を見る日, 素粒子