12月 4 2008
時間と別れるための50の方法(56)
●凝縮化について
前回からのつづき――
『人神/アドバンストエディション』にも書きましたが、このプラトン座標が持った幾何学的構成はおそらく物理学が「テンソル」と呼んでいるものと深く関係しているかもしれません。その大まかな予想を簡単にまとめて挙げておきます。
1、次元観察子ψ1………0階のテンソル、すなわちスカラー。
2、次元観察子ψ3………1階のテンソル、すなわちベクトル。
3、次元観察子ψ5………1/2階のテンソル、すなわちスピノール。
4、次元観察子ψ7………スピノールのテンソル積、すなわち、スカラー+ベクトル。
4番目に挙げた「スピノールのテンソル積」というのは、イメージで言えば、スピノールがグルグルとx、y、zの3軸で回転して生まれてくる球空間に対応してきますが、「プラトン座標」の規則で示したように、この球空間自体もやはりx軸、y軸の2軸回転で作り出すことが可能ですから、残るz軸方向の回転はψ7~ψ8の球空間よりもさらに上位の球空間の半径の形成へ向かう方向を作り出してくることが予想されます。次元観察子でいうと、この方向性は次元観察子ψ9~ψ10に方向性を持つところに対応すると考えると辻褄があってきます。というのも、物理学ではこの方向性は核子の電気的性質を決定する荷電スピンの方向、つまり電荷がプラス(陽子)かゼロ(中性子)かを決めている方向性とされているからです。ヌーソロジーでいう人間の意識における思形(外在意識)と感性(内在意識)の発露です(下図1のケイブコンパス表示を参照のこと)。ユークリッド次元で言えば、これは5次元の軸が立ち上がる方向となります。
ここでの陽子・中性子の荷電スピンが何を意味しているかと言うと、次元観察子ψ3~ψ*3が電場のマイナスとプラスに対応していましたから、プラトン座標のシステムは第四階層の次元観察子ψ7~ψ8の球空間の形成にまで至ったところで他者側の第一階層の次元観察子ψ*1~ψ*2の球空間に3次元球面として重なり合い、アイソスピンが新たな方向を持つところで、続く次元観察子ψ*3~ψ*4の球空間へと方向を向けていくような交差を作り出しているということになります。
次元観察子ψ7とψ8にまで至ると、今度は反対側のψ*1〜ψ*2に入り込む——
球精神次元=ψ7〜ψ8の点球次元=ψ*1とψ*2へのこのような入り込みをヌーソロジーでは「凝縮化」と呼び、特に、このとき次元観察子ψ7の球空間の第三軸が表相に対して果たしている役割のことを「表相の等化(ひょうそうのとうか)」と呼びます。
「表相の等化」とは「表相における対化の等化」を簡略化した言い方です。これは次元観察子でいえば、ψ1とψ*1が互いに等化されることを意味しています。つまり、ψ7とψ8という相互反転関係にある3次元球面が互いに重なり合うことによって、内部=外部*、外部=内部*という捻れが相殺され、内部=内部*、外部=外部*という新たな関係性を形作ってしまうのです。これは自他における空間の相互反転性が無化されてしまうことと同意です。
ψ7におけるψ1とψ*1の等化によって、ψ8側はその反映としてψ2とψ*2の同一化を送り出してきますが、球精神が無意識化している人間の内面の意識にとっては、自他の間に存在する3次元球面としての空間の捻れは全く見えておらず、モノの表面はただノッペラとした2次元の球面のようにしか捉えることができません。自他が持った4次元の相互反転性がそこでは中和され(スピノールのテンソル積が持ったスカラーの本質的意味)、そこに反映としての付帯質が生み落とされてしまうわけです。言うまでもなく、この反映が人間が持った「モノ」概念になります。
コ : 付帯質とは物質のことと考えてよいですか。
オ : はい、中和を持った無為質(むいしつ=それ自体では何もできないもの)のことです。物質という言い方が一番妥当でしょう。
「表相の等化」とは「世界に対する観察の軸が〈前-後〉方向から〈左-右〉方向に遷移すること」と言っていいかもしれません。この左右は誰かの前-後に当たる方向ではなく、すべての人間にとっての左右という意味です。ここで、自己の表相と他者の表相の関係を[+1、-1]のような関係で捉え、それらを等化することができる客観という名の超越的な視座に意識が出るということです(下図2参照)。
実際に確かめてみればすぐに分ることですが、観察軸が〈左-右〉軸に移り、超越者的視点が意識に出現した時点で、本来、自他の対面的空間を支配していた前-後軸のキアスムは姿を隠し、奥行きは幅と何ら変わらない方向になってしまいます。モノの厚みが実際には目に見えないにもかかわらず視覚的に想像されてくるのも、この「表相の等化」によるものだと考えるといいでしょう。実存の所在としての奥行きがそこでは排除され、延長世界という外在空間の概念が作り出されてくるのです。僕らは、普段、4次元や5次元を謎めいた異次元の世界のように思い描いていますが、ヌーソロジーでは、このように4次元は身体における前-後方向、5次元とは身体における左-右方向を加えた「身体平面」というように、極めて身近な空間として浮かび上がってくることになります。
「凝縮化」についても、もう少し捕捉しておきます。凝縮化をイメージするのに最も分りやすいのは、下図3のように4段階にわたって対称性を拡張させてきたプラトン座標全体を4次元のルートを通して、点球次元へそのまま射影することです。
この射影によってψ7〜ψ8の球空間である相互反転した双対の3次元球面は3次元空間上の点(モノの次元)へそのまま映し込まれることになります。これは、本来、空間構造として存在させられている意識構造が3次元に物質として映し出されてくる仕組みそのものになっていると考えられます。陽子や中性子が人間の意識に粒子として描像されてしまうのも、この凝縮化がミクロ世界にダイレクトに作用しているからでしょう。この凝縮化を考慮して『人神/アドバンストエディション』で僕は次のように書きました。
このψ1~ψ2の領域の本質は、実は、ここで説明したほど単純なものではないのだが、今の段階ではこのくらいの説明で終わらせておいた方が無難だ。この点については、この小論の最後に再度、触れようと思う。(『人神/アドバンストエディション』p.355)
本の方では残念ながらページ数が限定されていたために、このψ1~ψ2=点球の領域の本質についての詳しい説明ができなかったのですが、つまり、観察子を見出していくための最初のスタートとなるψ1~ψ2の球空間を皆さんがイメージしたときには、すでにその上位でψ7~ψ8が働いているということなのです。このときψ7がψ1~ψ2の球空間の輪郭を縁取る力として現れ、周囲の空間がψ8となって現れます。意識における客観的球体という描像力です。このように、凝縮化の仕組みが見えてくると、僕らが普段慣れ親しんでいる3次元立体の形の基本とも言える球体の概念とは、主体の集合が寄り集まって生まれている人間の上位に存在している超個的な主体として見えてくることになります。この超個的主体というのが「ヒト」のことです。
コ : あなたがたがカタチと呼ぶものとは何なのですか?
オ : カタチとは見ているもののことです。人間の意識はカタチを見る方向に入ってしまっています。(シリウスファイル)
皆さんも、今一度、目の前にリンゴでも置いてψ1~ψ2の球空間をイメージしてみるといいと思います。普通、それは球体と呼ばれ、対象が持っている属性とされています。しかし、その球体のイメージを裏で支えているのは、今までお話してきたように、他者の視線を自己が取り込むことによって初めて可能になっている形だということが分ります。目には見えませんが、S^3=3次元球面がその球体にピッタリと重なり合って存在させられているわけですね。このことは、言い換えれば、人間がモノの存在を認識するときには、それを「確認させている真の主体」としての球精神が上位で作用しているということになります。このことを物理学の言葉で言えば――時空のウラはSU(2)対称性がその本質として働いている――という言い方になるのでしょう。R・ペンローズの「ツイスター空間」や「スピンネットワーク」などもこの構造と深く関係しているのではないかと思われます。
以上、ヌーソロジーのこれからの展開の醍醐味を満喫していく上でも、この「凝縮化」が意味する内容をしっかりと頭に入れておいていただければと思います。いずれ、この「凝縮化」の仕組みは、上位の次元観察子ψ9~ψ14のみならず、大系観察子Ω1~Ω14のすべての観察子のシステムを貫いて、表相次元に素粒子から原子、分子に至る多様な襞の重なりを提供してくることになってきます。もちろん、そのときの原子や分子はもう付帯質としての物質ではありません。僕らの意識の遥か上空で活動している高次元知性体たちの精神活動と呼んでいいものになってくるでしょう。シリウスやオリオンに居住する聖霊たちのことです。お楽しみに。——つづく
2月 4 2009
コーラ、存在の子宮
●交信記録19940216
窒素の次元と陽子の次元の違いは何ですか。
付帯質の内面にあるものと、付帯質の外面にあるものとの違いです。
中性子の次元と酸素の次元の違いもその関係と同じなのですか。
はい。
宇宙空間と大気圏の関係もそれと同じと考えてよいですか。
はい、その通りです。方向が逆だということですね。
原子番号13番のアルミニウムから20番のカルシウムとは付帯質の変換を観察していく力ということになるのですか。
そうです。見つけ出すものを人間の内面に生み出していく力です。
見つけ出すものとは何ですか?
………………。
そこが真実の人間の次元と考えてよいのですか。
そうです。真実の人間の牽性(ケンセイ)が作り出す要請(ヨウセイ)によって、ヒトの外面性が生み出している力ということになります。
■解説1
窒素の次元と陽子の次元の違いは何ですか。
付帯質の内面にあるものと、付帯質の外面にあるものとの違いです。
中性子の次元と酸素の次元の違いもその関係と同じなのですか。
はい。
宇宙空間と大気圏の関係もそれと同じと考えてよいですか。
はい、その通りです。方向が逆だということですね。
ヌーソロジーにとって素粒子の世界とは哲学者たちが「場所」と呼んでいるものにかなり近い。曖昧で漠としたイメージではあるが、意識の中には確かに場所とも称したくなるような何らかの領域の区別がある。たとえば「わたし」について考えてみよう。「わたし」とは単なる生理的身体(肉体)のことを指すわけではない。だから、わたしという場所は、単に時空的な位置を指すものではないだろう。「あなた」についてはどうだ?あなたにしてもたぶん同じだ。あなたとはあなたの肉体のことをいうのではないし、あなたにはあなたがあなたであるためのあなただけの場所というものがある。その場所があなたを規定しているのだ。では、「わたしたち」や「あなたがた」についてはどうだろう?何か集団で議論をやっているとき、これも漠とした感覚ではあるが、賛成派と反対派の意識がまるで一つの一つの塊のようにして、それぞれ場所のようなものを持っているような気がするときがある。とすれば、外在世界という空間性もそれら意識における多くの場所の中の一つにすぎないのではないかという感覚が芽生えてくる。そうなると当然、今度は、時間の場所、歴史の場所、国家の場所なんてものがあってもおかしくはない。哲学者が場所と呼んでいるものとは、こうした存在論的な差異を形作っている場所のことと考えればいい。
こうしたどことも言えない「場所」という概念のルーツは、おそらくプラトンが『ティマイオス』で語った「コーラ(chora)」という概念に起源があるのだろう。プラトンにとって世界の本質はイデア界にある。その意味で、人間世界に現れた自然現象は洞窟の壁に映る影のようなものでそこには本質はない。つまり、自然界そのすべての営みが影=似像とされるわけだ。だから、思考にしろ、感情にしろ、自然界の似像を媒介にして営まれている表象や言語による人間の意識活動全般もまた本質に触れていないという意味で似像といってよいものだ。イデアを父なるものとすれば、自然界や人間の意識の生産物はすべて子なるものと呼んでいいのだろう。
さて、プラトンはこのイデアとその似像という二者関係の間に、第三項ともいうべき「コーラ(chora)」という概念を置いている。プラトンによれば、コーラは以下のような特徴を持つとされる。
1、生成物を入れる容器
2、無時間性
3、叡智的なものでも感性的なものでもない
4、火、地、風、水の四元素が存在するところ
5、五つの正多面体(プラトン立体)と関係を持つ
6、モノを占めている空間のことである(アリストテレス)
多くの研究者によれば、イデア=父、人間=子とするならば、このコーラは母に対応するものとされているのだが、ただ、その具体的な説明となると、どうも難解で、あのデリダさえも「われわれはまだ、受け取ること、この受容体が持つ〈受け取ること〉というのが何を言っているのかを、考えてはいない」と言っている。
意識に生み出されている様々な表象や言語、それらをバラバラに飛散させることなく、カテゴリー化させ、グループ化させて秩序立てると同時に、また解体し、接合させ、流動、循環、反復を繰り返し行なっていくような、生きた意識の原器の蠕動がある。その原器こそがコーラと呼んでいいものだろう。
さて、このコーラだが、ニュアンスから見ると、これはOCOT情報がいうところの「潜在化した元止揚」というものに極めて近い。僕が常々、人間の無意識構造と呼んでいるもののことだ。潜在化した元止揚は文字通り、人間の意識の生産物とは絶対的に隔絶された差異を持った何ものかであり、それは、生産されるものではなく、元から、そこにあり続けているものでもある。と言って、それはイデア(物質を創造した神の観念)とは少し異なる。なぜなら、潜在化した元止揚とは、あくまでも、人間の知性と感性の調整を行ないながら、最終的には個体を完成へと導いていく構造体であって、その間は、決してその正体を表さない、それこそ、神秘のヴェールに包まれた処女の裸体ごときものだからである。創造的知性としてのnoosが人間の意識に発現し、その元止揚を発見したときには、人間の意識はもう人間の意識と呼べる次元には存在しておらず、発見された元止揚そのものも、それは「顕在化した元止揚」として、「潜在化していた元止揚」とは別なものに変わってしまう。この発見された元止揚そのものがヌーソロジーがイデアと考えるものだ。つまり、この論理でいけば、発見されることもなく「潜在化した状態としての元止揚」は決して知性には現れることのない、まさにプラトンがコーラと呼んだものにふさわしい存在となる。
OCOT情報によれば、潜在化した元止揚とは人間という方向を進化の方向へと変換している場だと言う。また、それだからこそ人間には意識が持てているのだという。神話的に言えば、これは迷宮に入り込んだテセウスに巻き付けられたアリアドネの糸だ。人間自体はすべてが中和された場に、観察精神の付帯質=肉体として生み出されており、それが投げ込まれているところは時空という光なき漆黒の領域である。OCOTによれば、この闇の領域に人間の意識を突っ込ませているの力が重力であり、この重力は質量と結託して物質という幻想を時空の中に凝結させている。その意味で言えば、重力とは父の力そのものであり、父によって子は水〈3次元性〉の中に沈められ、洗礼を受けているということになる。この方向を水上へと変換しているのが、潜在化した元止揚と呼ぶもので、それは物理的に言えば、重力に抗う素粒子群が持つ力に相当している。10年前の『人神』から一貫して言い続けているように、重力と素粒子の力は方向性が全く逆なのだ。
ヌーソロジーでは重力が働いている領域は人間の内面の意識領域と呼び、素粒子が働いている領域は人間の外面の意識領域と呼ぶ。これら両者を合わせたものが「付帯質の外面」の次元となる領域である。付帯質の外面においては人間の意識の変換性は働いているものの、それはあくまでも潜在化しているがゆえに、明確に知性の対象となることはない。いわゆるこれがコーラ=潜在化した元止揚だ。しかし、時が巡ってくると、知性はその方向性をその潜在性へと向け始める。永遠の処女はその股間を開き、ロゴス(種子)を迎え入れ、母なるものへと変身を果たすのだ。この母としての領域がOCOTが付帯質の内面と呼んでいるもののことだ。いわゆる元止揚が顕在化してくる領域のことだ。コーラとして存在させられていた素粒子構造は、この劇的な変身によって、原子番号1番から14番までの元素へとその姿を変えていく。ここが顕在化した元止揚が働きを持つ領域、すなわち、シリウス(ヒト)という場になる。
1、付帯質(フタイシツ)の外面、内面という表現の由来
付帯質とは外在として僕らがモノと呼んでいるもののことです。僕らは普段、自分自身をモノの外部に措定して、そこからモノを見ていると考ています。つまり、現在の僕らの常識では、人間はモノを外からしか観察できない宿命を持っているわけです。このときにいうモノの外というのが付帯質の外面の意味だと思って下さい。付帯質の外面においては内在世界というものは、さっきも言ったように、非常に曖昧な場所としてしか感受できません。こういう場所の曖昧さをOCOTは「人間の意識が持った不確実な方向性」と言っています。つまり、人間の意識は内在の場所を空間のかたちとして示せないわけです。こうした状態が、先にお話しした潜在的な元止揚が活動している状態です。
付帯質の外面がモノの外部だったわけですから、付帯質の内面とは、当然、モノの内部ということになります。つまり、人間が自分はモノの外部にいるのではなくて、モノの内部に存在しているのだ——と考えるようになったときの意識の場所の総称です。主体がこのモノの内部に位置を持つためには、人間の外面の意識(潜在化した元止揚)を覚醒させる必要があります。その第一歩がいつも言っているように、知覚正面自体を人間の主体そのものだと考えることに当たります(位置の交換)。
2、付帯質(フタイシツ)の内面へと移動する方法
知覚正面は『時間と別れるための50の方法』で何度も説明してきたように3次元空間の中に含まれるものではありません。それは正の4次元方向(4次元空間)にあるものです。知覚正面にある奥行きを遠い世界として考えると、そこにはまず時間が入り込んできます。つまり、遠くのものは過去と同意となり、奥行きは時間という負の4次元を重ね合わせてくるわけです。しかし、知覚正面そのものに映し出されている像そのものはベッタンコであり、そこには奥行きは存在していません。いかに遠くの世界であれ、知覚正面ではココにあるわけですから、このココは過去から現在に至るまでの時間をすべて含んだココになっていると考えられます。ヌーソロジーの考え方は、そうしたココこそが主体の位置ではないのか、と言っているわけです。その意味でこのココは時間を持ちません。4次元の長さが限りなくゼロに近いところまで縮められているということです。ですから、何かモノを見た場合、知覚正面上での視線は3次元的な感覚で言えば、すでにモノの中に入り込んだただ方向だけを持った極小の線のようなものになってしまいます(スピノール)。これが付帯質の外面から付帯質の内面へと移動する方法だと考えて下さい。4次元の人間は自在にモノの中と外を出入りできるのです。
写真はウォーターハウス「アリアドネ」(http://blog.goo.ne.jp/chimaltovより借用)
By kohsen • 04_シリウスファイル解説 • 0 • Tags: コーラ, プラトン, プラトン立体, ロゴス, 人類が神を見る日, 付帯質, 位置の交換, 内面と外面, 素粒子