7月 21 2022
ヌーソロジー研究所の野望
現在の私たちの空間認識の歪みによる主な症状BIG3
1.宇宙は物質でできているという思い込み
2.私とはこの肉体であるという思い込み
3.死ねばすべてが消え去るという思い込み
これらは間違いなく一過性の症状。治療が必要。
これらの症状の発生源は私たちが客観空間を先行させていることにある。主観はそこでは単なる従属物になってしまっている。しかし、「意識のハードプロブレム」からもわかるように、客観空間から主観空間に行くことはできない。言い換えるなら、物質から意識が生まれることは原理的にありえないということ。だから本当は、主観から客観の構成へと向かう道筋が正常。フッサールの現象学がそれに挑んだのだけど、未だ道半ば。
現象学の残念なところは、客観空間のイメージを引きずったまま主観について考えてしまったこと。キネステーゼ(運動感覚)なんかはその代表例。そのために、物の超越論的構成に入ることができなかった。物の生成が込みでないと、客観空間の先構成的な場に入ることはできない。
何が問題だったのか——要は主観空間に4次元(持続空間)の要素を見て取れなかったこと。これに尽きると思う。
4次元の位置から還元を行えば、私たちは物質とともに現出してくる客観空間の先構成的な場へと出ることができる。というのも、物質の根底的な場自体が4次元で成り立っているから。
この4次元空間を通した還元によって初めて、外なる客観世界は、内なる主観世界から生成された場所となり、見るものと見られるものの分離のない、本来の正常な世界へと戻ることができる。
「主観空間に4次元の要素を見る」とは、主観空間をモニターとして見るということだよ。主体を3次元から出さないとダメ。
この4次元的な現象学的還元のルートを補完してくれているのが、量子力学に見られるミクロ世界の空間構造。全部つながっているんだね。また、そのように考えるのがヌーソロジー。
今から、ヌーソロジー研究所発の研究動画では、この方向を通して見た世界の様相に関する論説がガンガン登場してくると思うよ。最初はフィクションのように聞こえるかもしれないけど、その風景がどんどん鮮明になってくれば、もはや誰も疑えないという状況になってくるかもしれないね。10年後ぐらいにはそうしたいなぁ。
8月 3 2022
開き出すヒトツカタツミの世界
粒子の”運動”量という言い方に昔から違和感がある。粒子は運動なんかしていない。時空先行の認識が粒子に運動イメージを与えている。ヌースでは粒子の運動量を対象認識(垂子)の持続量として考える。持続がまず振動数ωとして時間換算され、さらに空間換算され、波数kとして表現されているイメージだ。
垂子は空間を巻き込み、垂質は時間を巻き込んでいる。この巻き込みを繰り広げへと変換する操作が波動関数の空間微分だったり、時間微分だったりする。空間で微分すれば運動量、時間で微分すればエネルギーが時空認識に合わせた形で巻き込み(持続)の中から一定の量概念で取り出せるというわけだ。
垂質の大円は波動関数の重ね合わせΣcnΦnとして表現され(cnは展開係数)、そこでどの垂子を選ぶかがcnの絶対値の二乗として存在確率で表される。垂子はΦnを意味し、今度はその絶対値の二乗が粒子の存在確率として表される。垂質→垂子→点球。持続から観察への次元降下が二段階の確率階層の意味だ。
このように、量子力学は私たちの持続の構造を時空上で量的に記述しようとするために複雑な数学で表現されるが、その本質は極めて単純な次元のレイヤー構造から成り立っている。それをカタチとして端的に表現しているのがヘキサチューブルだと思って欲しい。
4月からサロンで砂子さんの量子力学教室も始まった。今までエキスパートで話してきた観察子構造のカタチがよりハッキリとみんなの意識の中に浮上してくるんじゃなかろうか。旋回的知性(ヌース)の解禁だね。
※下写真は【NOOSOLOGYのためのBlenderCG講座】 DEMO PVより借用
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: ヘキサチューブル, 量子力学