7月 15 2009
ビートルジュース
ビートルジュースと言ってもティム・バートンが監督したお化け映画の話ではない。オリオン座の赤い星、ベテルギウスについての話だ(ベテルギウス[Betelgeuse]は英語ではビートルジュースと発音する)。先月、ナショナルジオグラフィク誌にこのベテルギウスに起こっている異変についての記事が掲載されたらしい。曰く「この15年間でベテルギウスの大きさが15%ほど収縮している。原因は不明。」ベテルギウスは赤色超巨星と呼ばれるグループに入る巨大恒星である。大きさはちょうど木星軌道と同じぐらいの大きさあると言われていた。それが何とここ15年の間に金星軌道ぐらいの大きさまでに縮んでいるというのだ(15%ほどの縮小にしてはちょっと縮み過ぎ?)。何とも不気味なニュースである。
天体物理の世界では赤色超巨星は質量が太陽の8倍以上もあるような大恒星が辿る次の進化のプロセス段階と見なされている。こうした星は中心部の核融合が鉄まで達するとその反応を停止させ、最終的には超新星爆発を起こすと言われている。で、今回のベテルギウスの突然の収縮騒ぎだが、これはベテルギウス内部の核融合が脆弱化し、今まで核融合のエネルギーによって重力との平衡を保っていた状態が星内部で崩れ出し、重力収縮が始まっている可能性を示唆している。
それにしても15年で15%の縮小とはとても天文学的な数字とは思えない早さである。おまけに研究者の話では収縮速度は年々加速しているという。天体物理の理屈から言えば、その収縮が閾値を超えれば当然のことながらベテルギウスは超新星爆発を起こすことになるのだが、そのときの明るさは最大で満月並みだという。ベテルギウスまでの距離は地球から約600光年ほどしかない。果たして衝撃波等による地球への影響は大丈夫なのだろうか?——というところまでは、あくまでも科学的見地からのお話。
実はこのベテルギウスという星、ヌーソロジーの発祥と極めて深い関係がある。1985年、僕自身、最初の超常体験を経験し、いきなり「オリオンのNOMI」と名乗る意識体からの声が聞こえてきた。その声に導かれるまま、歴史探検やら霊界探検をやらされたのだ。これは神さまのお導きだと信じて疑わなかった哀れな若造は、結果、自分自身の無意識の闇の中に潜むシャドウにボコボコにやられ、見事、発狂。しばらく廃人同様の生活を送っていた。そこで見たこと、そこで聞いたこと、それらは他の日常生活での記憶よりも遥かに鮮明に残っている。ベテルギウスの収縮のニュースを読んだとき、その記憶がはっきりと文字列として甦った。
NOMIはベテルギウスのことを「テツ」と呼んでいた。そして、この「テツ」は現在の人間の霊的な淵源であると言っていた。分かり易く言えば、ベテルギウスという天体は人間存在全体を支えている霊力の反映物だということである。廃人同様の生活を送っていた僕は、当時、冬が到来するだびに、寒空の下、オリオン座の左上隅で赤く輝くこの「テツ」を見つめ続けていた。
OCOT情報には次のようにある。
ベテルギウスとは何ですか?
垂質の等化。
OCOTと交信している当時は「垂質」というシリウス言語の意味をはっきりとつかめていなかったので、当然のことながら、この返答に含まれた意味も分からずじまいだったが、今では朧げながらもある程度の解釈はできる。垂質とは人間の個体を規定する空間のカタチが持った力のことである。ヌーソロジーに詳しい方は次元観察子ψ5のことだと考えてくれればいい。その意味で「垂質の対化」とは自己を規定する空間と他者を規定する空間の関係にある。観察子で言えば、これはψ5とψ*5の関係だ。よって「垂質の等化」とはこれら両者を相等しいものへと持っていこうとする精神の作用を意味することになるのだが、このことは精神分析的に言えば、人間の無意識の欲望を推進させている本源力と解釈できないこともない。つまり、人間の自己における無意識は他者の居所をもとめ、発芽を求め土中を徘徊する植物の茎のように、真の他者との出会いを欲して常時、盲目的な前進を余儀なくさせられているということだ。それは精神分析的に言えば、「他者の欲望を欲望する」欲望として現れる。ヌーソロジーの文脈においては、歴史や経済が見せてきた文明の発展、発達とは、すべてその無意識的欲望の展開の履歴と言い換えてもいい。
他者という存在はヌーソロジーの観点からすれば、真実の自己のことである。人間の自己はこの真実の自己へと辿り着きたいとする本能のもとに、すべての意識作用を営んでいるというわけだ。OCOT情報にいう「垂質の等化」が持ったこのような意味合いは、ベテルギウスが人間存在全体を支えているというNOMIからの情報と極めて近いニュアンスを持っている。
また、次のようなOCOT情報もある。
鉄とは何ですか。
付帯質が持った力の本質。
いつの頃からだろうか。僕はNOMIが語っていた「テツ」とは「鉄」のことでもあると思い始めていた。原子番号26番の鉄はケイブコンパス上で追って行くと、まさに、垂質の等化を行っている精神そのものの位置に当たる。
鉄の減衰——人間という時代を築いてきた自我精神の力が弱まりつつあるのではないか——それがベテルギウスの収縮と何らかの関係を持っているのかもしれない。人間の無意識が真に他者の場所へと辿り着いたとき、すべての価値はニーチェが言うように転換を始めることだろう。否定的な精神の支配は終焉を迎え、肯定的な精神のみの、すべてにおいて「然り!!」と答える全肯定の精神のみの時代が到来することだろう。そのときベテルギウスは赤い星から青い星へと生まれ変わるかもしれない。
8月 4 2009
ヌースレクチャー2009 IN 福岡 スタート!!
一昨日は久々のレクチャー。福岡の場合は多くても20名ぐらいだろうとたかを括っていたのだが、なんと総勢約30名の大所帯となってしまった。場所はうちの会社の二階にあるヌースアカデメイアのアジト。さほど広い場所でもないので、全員は入り切るかどうか不安だったが、何とか椅子を用意して満員御礼、札止めとあいなった。参加していただいた方には心から謝意を表したい。特に県外から来ていただいた皆さん(長崎のTさんとOさんとNさん、熊本のUさん、広島のSサン、岡山のWさん、兵庫のMさん、京都のTさん、そして北海道のTさん)には何とお礼を言っていいものやら分からない。心より感謝です!!
福岡ヌースレクチャーの歴史は結構、古い。スタートは1993年。九州全域の気功愛好家を束ねた『福岡気功の会』という組織があって、そこで会長をしていたY氏がNOOSの宇宙論をいたく気に入ってくださり、会の会員さんから聴講希望者を募り、その方たちの支えで開催されたのが始まりだ。途中、1年間だけお休みをいただいたが、この講座は1993年から2003年まで約10年の間続いた。
今回、約5年ぶりのレクチャー開催となったわけだが、参加者の半数はそのときのメンバーの皆さんたちが集まってくれた。全員、気功の愛好者ということもあって僕よりも年上の年配の方が多いのだが、皆さん口を揃えて「再開を心待ちにしていた」とおっしゃってくれ、これまた頭が上がらない想いである。
さて、肝心のレクチャーの内容の方だが、今回は第一回目ということで、初心者の方も4〜5名いらっしゃったので、ヌーソロジーそのものの内容の中には深くは立ち入らなかった。いきなり、次元観察子がどうだの、ψ3がこうだのψ4がああだのやられたのでは、普通の人は脳みそが発火してしまう恐れがある。まずはウォーミングアップ程度の話に押さえておくのがいいと判断したのだ。そのせいもあったのかもしれない。レクチャー後の懇親会では会長のY氏からはちょっと物足りなかったという辛口のコメントも聞かれた。素直に反省材料に入れておこう。
レクチャー前半は「2012問題」についての話をした。ヌーソロジーは「2012」ではなく「2013」を標榜しているので、「2012」との違いをはっきりさせるために、マヤ暦、ホピの予言、フォトンベルト、惑星ニビル(あっ、これ話すの忘れた)、Ωポイント、タイムウェーブ理論等、2012年問題と関連が深いと思われる事項について、簡単な解説を行った。
これら一連の2012年問題絡みのタームとヌーソロジーの何が違うかというと、ある意味ヌーソロジーは2012年問題には何ら関心を持っておらず、むしろそれ以降、世界のビジョンがどう変わっていくかということに関心を抱いているし、また、そのビジョンを詳しく描き出すことを目的にしているということだ。ここでいう世界のビジョンとは、ずばり、人間と宇宙の関係を人間がどう見ているかというそのビジョンのことなのだが、2013年以降、激変を被るのはこのビジョンだと個人的には予測しているので、今回は「歴史が自然を作ったのか、それとも、自然が歴史を作ったのか」という西田幾多郎の言葉をフィーチャーして、その激変の内容について少し話してみた。
歴史が自然を作る。これは言い換えれば、自然が時間の中で生み出され、進化、発展を遂げてきたという意味だ。約137億年前にビッグバンが起こり、宇宙は物質的進化とともに生成活動を今も尚継続させており、その中で地球が生まれ、人類も生まれた。そして現在のわれわれがここにいる。これらはすべては時間という大舞台の中で進行してきた物語であり、その意味では人間を含めた森羅万象は時間という歴史の中でその歩みを進めてきたと言える。常識的な見地に立てば、この物語におそらく異論はないだろう。
しかし、西田のような哲学者の魂はその逆を問う。すなわち、歴史(=時間)を作ったのは自然の方ではないのか、と。ここでいう自然とはもちろん単なる物質的な自然のことをいうのではない。古代ギリシア人がいうところのphysis(フィシス)、すなわち存在の根源そのもののことを言っている。歴史、すなわち時間というタイムテーブルに列挙された出来事の連なりなどといったものは、この存在としての自然にとってはごくローカルな出来事であり、時間もまた自然が作り出した創造物の一つにすぎないとすれば、ほんとうのところは自然が歴史を作ったのであって、歴史が自然を作ったとは決して言えなくなるというわけだ。より端的に言えば、現在の人間が持った歴史が先行する自然観は存在を忘却している(ハイデガー)ということである。
ヌーソロジーが予見する2013年以降の大激変とはズバリこの自然=フィシス=存在からの反撃によるものだと考えていい。これについても勘違いしないで欲しい。この反撃は自然破壊が人間に壊滅的打撃を与えるとか、空から小惑星が降ってくるとか、太陽からフレアーが降り注いでくるとか、UFOが大挙して降りてくるとか、そのような物質的自然が作り出す甘っちょろい、誰しもが想像できるような変化ではないのだ。存在が歴史に対して反旗を翻してくるのだから、それは僕らの想像を絶するものでなくてはならない。だから、ヌーソロジーはその想像を絶する世界を何とか描写する術はないものかあがいていると言っていい。
存在からの反撃とは言い換えれば「無時間」からの反撃と言ってもいいものなのだが、そういった意図をウラに持って、レクチャー後半はニーチェの永劫回帰やゾロアスター教の宇宙観とヌーソロジーの関連について、その要点を喋らせていただいた。残念ながら前半の「2012年問題」で時間を食ったために、後半の話をうまくまとめられなかったが、続きはまた次回ということで、参加者の皆さんにはご容赦を願いたい。
懇親会のときに、これからのレクチャーの開催要領について参加者の意見を聞いた。
1、毎月やってほしい。
2、土曜日がいい。
ということで、スタッフとも話し合い、なるべく善処していこうと考えています。
次回の開催についてはまた追ってお知らせします。
By kohsen • 02_イベント・レクチャー • 5 • Tags: ゾロアスター, ニーチェ, ハイデガー, ビッグバン, マヤ暦, 西田幾多郎