1月 25 2007
差異と反復………10
複素平面における実軸と虚軸が作る4方向にそれぞれ3次元球面モドキをかませたわけだが、このことの具体的な意味を説明していこう。
まずは虚軸に自他それぞれの外面としての3次元空間をかました意味だが、理由は極めて単純なものだ。知覚が生まれている奥行き方向は「見えない(虚)」からである。これは虚軸の数学的定義とも実はぴったりと合っている。
今、左右方向に数直線を想定してみよう。数直線全体に「-1」を掛けると、左右のプラスマイナスの符号が反転することが分かる。これは数直線を180度回転させたということに他ならない。ここで「-1」を「i×i」と考えてみよう。すると必然的に数直線にiを掛けるという操作は、90度の回転になることが分かる。「i」を二度掛ければ当然、180度となって「-1」を掛けた状態と同じになる。これらのことを目の前でイメージしてみればいいのだ。90度回転して「虚(見えない)」となるような直線は奥行き方向しかないことはすぐに分かる。知覚が介入してくる方向を虚軸の方向と考えるのがいかに心理的に自然か皆にも感じ取れるのではないだろうか(下図参照)。
まぁ、ここではそういった理由から、「わたし」がモノの周囲を回ったときにできるモノの背景方向にある奥行きが作る3次元空間が常に「モノの背景方向」になる、という意味で一本の虚軸(- i )に代表させているわけだ。これは自己が一つの対象をその周囲全体から認識しているときの背景空間の全体の意味を持つことになる。この空間は次元観察子で言えばψ3であり、無限遠としてのψ3の位置そのものは僕らがマイナスの点電荷と呼んでいるもののことである。一方の(+ i )側の虚軸は、自己から見た他者にとってのモノの背景空間への方向となる(こちらはプラスの電荷の本質)。
自分の意識の働きの中を探してみれば分かると思うが、僕らは他者が見ている空間を想像する能力を持っているはずだ。例えば、モノを挟んで他者と対峙し合ったとき、他者に何が見えているのかおおよそイメージできるだろう。それは、おそらく、「わたし」が見ているモノの裏側と「わたし」の顔と、「わたし」の背後の風景である。今度はその状況のまま、モノを中心に自他ともに180度の対峙関係で回ってみるといい。そのとき他者側の知覚に形作られているモノの背景としての3次元空間がψ*3の意味となる。僕らがこうした空間の有様をイメージできる(他者側の知覚が実際に見えるということではない)ということは、意識構造にはそのカタチが存在しているということでもある。早い話、わたしに見える3次元、あなたに見える3次元空間、そして、また、わたしに見える3次元空間………というように、ここでも意識が空間構造として反復しているのである。ヌース理論ではこの意識の往来を電場の+と−の間の振動の本質的意味と見なす。この反復は複素平面で言えばsin振動(縦軸振動)に当たるものである。ここでの差異は何かと言えば、それはおそらく2つの対峙する客体位置の反復ということになるのだろう。これは3次元空間そのものでもあるのだが、それについても説明しておこう。
客体空間としての内面の反復の方の描像は簡単だと思う。単に、通常の3次元空間のイメージを作り、それが縮んできて、0点で交差し、反転して無限遠まで膨張し、また、そこで反転して、0*点にまで縮んできて………というようなイメージを作ればいい。それが3次元の振動であるということは容易に分かるはずだ。こちらの振動が実軸上の振動(cos振動)に対応している。ただ、問題は、何度も言ってるように、等化を先手に持った意識側にはこの中和側の振動は見えるが、中和側を先手に持ったものには見えない、という点である。人間の顕在意識は中和側だから見えない。ψ4においてはψ1(モノの外部)とψ2(モノの内部)の差異が見えなかったことを思い出そう。これは、モノの内部に空間が同一化させられているということでもあった。この結果、内面側では、ψ4とψ*4も同一化してしまうことになる。つまり、2つの主体からは客体空間側は同一の3次元空間に見えてしまうということだ。より正確に言うと、ψ4-ψ*4は無限小と無限大での2つの空間の連結(これによってS^3を作る)が見えず、単なるR^3としてしか見ることができないということである。このことは、僕らの認識に即して言えば、主体は自他として2つあるのに、客体は1つにしか見えない、ということを意味している。一つのパイを巡る自他における所有闘争の萌芽がすでにここで生まれているわけだ。そう言えば、OCOTはこう言ってたっけ。
磁場とは人間です(シリウスファイル)
このことは実は物理現象上にも明確に現れている。それは電場にプラスマイナスの電荷があるのに対し、磁場にはNやSといった磁荷(モノポール)が存在しないということだ。だから、ヌース理論は次のように予言する。
人間の空間認識に反転認識が生まれればモノポールが発見される。もしくは、モノポールが発見されたときは、人間の空間認識に反転認識が生まれたものと解釈できる。
ヌース的文脈で言えば、モノポールの出現は「進化への顕在化の対化」が生み出された、ということを意味するわけだ。これは、いつも言っている宇宙卵の卵割のことである。このNOOSの発振による反転の顕在化は人間が所持しているモノ概念を木っ端みじんに解体していくことになるだろう(ヌースでは「形質の崩壊」といいます)。いよいよ、脱-表象化の空間領域(モノのイメージが一切存在しない世界)へと人間の意識が上昇を開始するということだ。ヌースの頑張りも多少は関係するだろうが、いずれにしろ、それはあと10年もかからないのではないかと思っている。2013年にくればまさにビンゴ!!なのだが。。おっと、話が横道にそれている。悪いクセだ。話を電磁場の構造に戻そう。。。つづく。
1月 27 2007
差異と反復………11
前回説明した磁場と電場のイメージは本質部分を分かり易く簡略化したものだ。電場も磁場も時間とともに変動しているわけであるから、正確には、4次元時空との関係等も持ち込んで説明しなければ納得のいく説明とはならないだろう。そのためにはマクスウェル方程式や電磁場の量子化のプロセスなど物理学的な詳細との照合が必要となるが、このへんは僕の物理数学的理解が浅いためまだはっきりとウラは取れていない。より具体的な検討は以前、ヌース会議室の方でφさんのアドバイスなども受けながら行ったことがあるので、詳しい議論に興味のある方はそちらを参照してほしい。
※ヌース会議室/【4171】マクスウェル方程式と星型八面体→
http://noos.ne.jp/forum3/c-board.cgi?cmd=one;no=4171;id=noosヌース的に最も重要な問題となるのは、この複素平面上の振動として表される電磁場が見方によってはどうして光子という粒に見えてしまうのか、というその理由である。ヌース理論は科学理論ではない。精神=物質、物質=精神という世界観のもと、物質と精神の間の差異と反復を見出すための理論であり、またその思考的実践でもある。だから、精神構造の中に見出されて行く種々の差異の在り方がそのまま物質世界の反復性として見えてくる必要がある(電子のスピンであったり、イオン交換であったり、DNAの転写であったり、黒点周期であったり、昼と夜の繰り返しであったり、寝-起きであったり、セックスのピストン運動に至るまで)。またそれが「観察子」という概念が意味するところのものでもある。観察子概念はいずれかのヘルメスの箴言「上にあるが如く下にかくあり」というかたちで、高次元多様体と物質世界の二而不二の関係を無数発見して行くことになると思う。そのためには、高次元のカタチを単なる抽象概念として思考してもあまり意味がない。そもそも概念(conception)とはconceiveする(孕む)ことの意から来ているものだ。conceiveというからには、それは女性的なものでなければならない。つまり、知覚的、感覚的、身体的である、という意味だ。その意味でも、思考が物質を孕むためには、物質の第一起源とも言えるこの光子のカタチを僕らの感覚の中で思い描くことのできる想像力が絶対不可欠となる。光子が持った波動性と粒子性というこのアンビバレントな表象を僕らの実際の感覚に即したイメージで矛盾なく結びつけることが果たして可能なのか。そのイメージ作りに関して、ここで少し触れてみたい。
まずは知覚の話に戻ろう。知覚正面が射影空間であるということは、僕らが実際に触れているリアルには3次元的なマクロもミクロも存在しない、ということを意味している。それは空間知覚の発達途上にあるとされる幼児期の子供たちがモノの大きさや距離というものをうまく理解できないことからも言えることだ。マクロとミクロという尺度概念によって象られた空間認識はあくまでも人間の内面の意識の形成によって培われてくる概念の産物であり、発達心理学的に言えば、人間の内面の意識は外面意識の発達の後に出現してくるものなのである。これは数学的に言えば、射影空間の方がユークリッド空間よりも本源的な空間であるということと全く同じ意味を持っている。つまり、最初に射影空間ありき、なのである。射影空間がなければユークリッド空間も生まれてはこない。そして、この射影空間が僕らが奥行きと呼ぶ方向の中に存在するものであることはすでに説明した通りだ。
ここで、前回の話の中で奥行き方向を虚軸に対応させたことを思い出して欲しい。そして、そこで説明した「- i 軸」の見えの様子を再現してみよう。「- i 軸」の方は奥行きの中でも、目に見えているモノの中心点と背景正面の方に延びているであろうと思われる直線に対応させた。さて、この直線は実際の知覚にはどう見えているだろうか。今まで何度も言ってきたことだが、それはどうあがいても点にしか見えないのが分かる。つまり、無限遠方と無限小はそこでは同じものとなっている、ということだ。実際にそう見えるということは、それが「リアル」なものの見方であるということだ。そこで、そのリアル状態をキープしたまま注意深くモノの周囲を回ってみるといい。すると、人間の内面認識で3次元空間の無限の広がりの先に見えていた天球面もまた、すべて、モノの中心点と同一視されていることがそれとなく感覚に上がってくることだろう。つまり2次元射影空間を構成している光学中心(射影線のすべてが一点で交差するところ)と天球面は知覚においては全く一致してしまうということである。今までも何度か言ってきたことだが、このことが極めて重大な意味を持っていることに僕らは気づく必要がある。つづく。
By kohsen • 差異と反復 • 4 • Tags: DNA, ユークリッド, 差異と反復, 無限遠