3月 9 2015
コラボ講演会&物部交野が原ツアー
2/27土曜日は六甲カタカムナの土居先生とのジョイント講演、日曜日は石上神宮〜磐船神社〜星田妙見宮を巡るヌーソロジー巡礼バスツアー(^^)。参加していただいた皆さん、ならびに主催の関西ヌーソロジー研究会の皆さん、どうもありがとうございました。個人的にも、とても感慨深いイベントになりました。
帰りの中でもバスの中で参加者の皆さんに話したのですが、2013年からヌーソロジーの活動を再会して、なぜかヌーソロジー自体の流れが半ば強制的に日本へと向けられていくのを強く感じています(笑)。正直言って、それ以前は、僕自身、日本について特別な思い入れなどなかったのですが、ヌーソロジーの全体像の輪郭が浮き上がってくればくるほど、なぜか、問い立てが超古代の日本に集約されてきているのを感じています。
今回招かれた関西のイベントでも、カタカムナとのジョイントに始まって、石神神宮では弥生祭に参列させていただき、このツアーの代表として玉串を奉納させていただきました。また、星田妙見宮では、最初は参拝後にバスの中で七夕伝説や北極星の話をヌーソロジーの観点から披露する予定だったのですが、何と宮司さんの特別のはからいで拝殿内部での講話会というかたちに。七夕伝説の日本発祥の聖処にて、ヴェガ(織女)とアルタイル(牽牛)、そして北極星についての話をさせていただきました。
何を話したかは内緒です(笑)。知りたい人は5月から始まるヌースレクチャー2015IN大阪のシリーズにきて下さいね。
何はともあれ、この2日間の体験は大変、有意義なものでした。カタカムナ→物部神道→ニギハヤヒ→星辰信仰という括りの中で、改めてヌーソロジーというものの立ち位置を確認することができたような気がしています。関西ヌーソロジー研究会の川瀬さん、廣瀬さん、そして観音企画の影山さん、鈴木さんには心から感謝いたします。
3月 13 2015
今日から、君がカタカムナだ!!(笑)
今日もカタカムナ関連で少しだけ。
アマとカムのムカヒというやつだけど、アマを「幅」に、カムを「奥行き」にダイレクトに当てはめていいと思うよ。ヌーソロジーでいう人間の内面と外面の対向性ってやつだね。これらはアカ(現象性)とアオ(潜象性)の関係でもあるね。つまり、NOSとNOOSってこと。NOSは赤色、NOOSは青色。よくできてる(^^)
現象の把握はアカとアオの混合から成っている。これをカタカムナは「アヤ」って呼んでいるようだ。「アヤしい=怪しい」のアヤ。「あやとり=綾取り」のアヤでもある。要は、混ざり合ってよく分からなくなっている状態のこと。これはベルクソンが言ってた「延長と持続の混雑」と同じこと。アカとアオの区別を認識に上げることが、いわゆるベルクソン=ドゥルーズのいう「差異」。
たとえば、目の前に3次元座標の空間を「イメージ」してみよう。この時点で、すでに幅と奥行きはヨコ回転したり、タテ回転したりして互換重合し、混じり合っている。ただ、人間の意識にはカム=奥行きの方は潜在化してしまって、アマ=幅が作り出す3次元空間だけが想像的な対象として浮上してくる。カムのほうは。このときミチ(持続)として働いているんだね。
「考える=カムカヘルとカムカエル」とはくだらないダジャレのようでもあるけど、とても本質をついている。人間に思考を強制させているもの、つまり、考えたくなくても考えざるを得なくさせているものとは、まさに、この潜象化している「カム」の力によるものだ。このカムこそが「思考サレルベキモノ(ドゥルーズ)」なんだね。
カタカムナに拠れば、アマは膨張性、カムは収縮性として働く。アマがカムに方向を持つことは「アマナ」と呼ばれ、「アマナ」はそのまま原子核の意となる。このへんは直球ストレートでほんとに気持ちがいい。幅として生まれでた現象性はカムのミチを通じて物質の根源へと回収されているってことなの。もちろん、この流動は人間の意識においては無意識化されているんだけどね。
OCOT情報は「カタカムナ文明とは前次元の覚醒期の知識です」と言っていた。楢崎さんはなぜそれが滅びたのは分からないと書いていたけど、それもまた「アマとカムの交替性によるもの」というのがOCOTの言い分。つまり、意識の在り方というもの自体もマワリテメグルものだということ。
まもなく、時代空間はアマウツシ(幅支配の世界)からカムウツシ(奥行き支配の世界)へと交替化を起こしていくよ。そうすれば、新しいカタカムナ文明が立ち起こってくることになる。ヌーソロジーの作業もまたその一つの息吹のように強く感じている。
カタカムナを学んでいる人は、是非、現代物理学やドゥルーズ哲学をゆっくりでいいので並行して学んでいくといいと思う。そして、それを知識として所有するのではなく、カム(奥行き=持続)を通してそれと一体化していく思念を育てて行くこと。そうすることによって明確なカタチ(構造性)と意志(新しい主体性)が生まれ、OCOT情報のいう「力(ちから)」が生まれてくる。ヌーソロジーが目指すのもそうしたカムナガラノミチそのものとしての身体性の獲得なんだね。だから——
今日から、君がカタカムナだ!!
なんか、カタカムナの宣伝マンになった感じ(笑)
By kohsen • 01_ヌーソロジー, カタカムナ関連, ドゥルーズ関連 • 0 • Tags: OCOT情報, カタカムナ, ベルクソン, 奥行き