10月 20 2022
10月 20 2022
ヌーソロジーが使用している4次元の位置を幾何学の力を使って思考する方法です。
1.3次元球体に外接する正六面体を作る。
2.この正六面体の頂点を3次元の外部の無限遠点と考える。
3.この無限遠点の位置を4次元の観察者の位置と見なす。
4.このとき、正四面体の中心角を作る4本の線は4次元座標軸の等角写像となる。
5.青線を不動の奥行きと見れば、3次元を認識している「わたし」の位置が現れる。
6.4次元の手前方向は時間、奥行き方向は持続。
7.奥行き側は光子のスピンとしてミクロ世界に縮んで入り込んでいる。
半田広宣 |
10月 24 2022
暗がりを照らし出す光を!
物を対象化しない意識。そこにフィシスとしての意識活動がある。生成とはそういうものだろう。この意識に同調していくためには、光がどのようにして生まれているのかを知る必要がある。というのも、光とは、物を対象化するために存在が送り出しているものだからだ。その意味で、人間は今もなお光の中で溺れている。
分かりやすく言うなら、光は「間」を欠いているものだということ。「間」は物の内部という解釈でいい。物理学的にはスピン1/2を知らない旋回性と呼んでいいただろう。その意味で、光には自己と他者を真につなぐことはできない。あえて比喩的に言うなら、”露わで、明晰なもの”には、人と人を結びつける力はないということだ。
論理的であること。科学的であること。理性的であること。それらはすべて光のロゴスの眷属であり、こうした明るさが一方的に世界を引っ張って行けば行くほど、人の心は暗くなり、人と人との距離はどんどん離れ、存在の詩は聞き取れなくなっていく。今という時代はそういう時代のように見える。
明るさが悪いと言っているのではない。暗がりを知れ、ということだ。現れている世界の裏には、それらすべての母胎となる暗がりがある。この暗がりを知らなければ、明るみの意味も分からない。この暗がりを照らす光になって初めて、光は自身の完全性を取り戻す。本来の存在の光とはそういうもの。
となれば、唱えるべき言葉はただ一つ。
光の中の光を逃れて、光の外の光あれ!!
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0