9月 12 2014
男と女の痕跡、あるいは汝と我の痕跡をめぐって
奥行きというのはラカンの理論でいうなら「失われた対象」のようなものだ。奥行きに幅が入り込んでいる限り、僕たちはモノ(自体)には直接触れることができず、言葉(シニフィアン)によってそれをつかもうともがく以外にない。そうやって、果てのないシニフィアン連鎖が繰り返される。
シニフィアン連鎖——「シニフィアンは、他のシニフィアンに対して主体を代理表象する」——ラカンの有名なテーゼ。シニフィアン(言葉)は必ずしもシニフェ(意味)を表象してるわけじゃない。それは言葉を少しでも話してみれば分かる。言葉を話せばそこには必ず「わたし」という意識が立ち上がっているのが分かる。
言葉は「わたし」を代理表象しているのだ。だから、言葉ではわたしをつかむことなどできない。それでも、言葉はもがき続ける。
そうした言葉がつかもうとしているものこそが「失われた対象」、つまり「奥行き」ではないかと感じている。
その感覚からすると、奥行きにはさまった幅はシニフィアン(言葉)と頑なに結合しているように見える。おそらく、言葉がにじませている意味(シニフェ)とは、真の奥行きに送り返されゆく言葉が垣間みる主体の痕跡、残像のようなものだろう。
こうして、「言葉」と「意味」という二つの痕跡を巡って、グルグルと周回を続けているのが人間の意識というものだと思う。OCOT情報はこのメカニズムをクールにひとことで「調整」と呼ぶ。実にふざけたヤツだ(笑)
人間の過剰なおしゃべりが終焉を迎える時期が近づいている——ヤツはそれを伝えにきたのだと思う。
12月 17 2014
ヌースレクチャー#3のためのドゥルーズ哲学の予備知識——その2
2.ドゥルーズとドゥルーズ=ガタリってどう違うの?
たぶん、最初にドゥルーズに触れる人が混乱するのは、ドゥルーズとドゥルーズ=ガタリという二つのタイプのドゥルーズじゃないかなぁ。
ドゥルーズのフルネームはジル・ドゥルーズ。一方、ドゥルーズ=ガタリというのはジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリのデュオ名。ドゥルーズ=ガタリというのは言ってみれば、レノン=マッカトニーのようなものと考えるといいかな。1960年代まで、ドゥルーズは哲学史家として活動し、その集大成として『差異と反復』を著して、ドゥルーズ哲学の母胎を作り上げたのだけど、70年代に入ってからは、このガタリという人物と共同執筆を開始するのね。その一発目が『アンチオイディプス』という著作で、これが思想界にセンセーションを巻き起こしたんだね。それで一躍、ドゥルーズ=ガタリの方が有名になっちゃった、という経緯がある。
ドゥルーズ=ガタリの思想には、当然、ガタリのサウンドが入ってきてるから、ソリストとしてのドゥルーズとは大きな違いがあると僕なんかは感じてます。ガタリという人は哲学者ではなく、本職は精神分析医で、それもかなり過激な社会活動家だったのね。もともとはラカンの弟子だったんたけど、ラカンのブルジョア的な精神分析を嫌って論敵と見なすようになっちゃう。ラカンとの対立軸は明確で、ラカンが「無意識は一つの言語活動として構造化 されている」と考えたのに対して、ガタリは「無意識は言語のように構造化されてなどいない」 と考えてた。ここがラカンを忌々しく思っていたドゥルーズとピッタリ波長が合ったところだったんじゃないかな。ガタリにとっては、精神病は社会や経済システムが引き起こす病であり、精神病の治療もまた社会全体を変えていくところからしか始まらない。だから、当然、政治的なものへとコミットメントしていく。
でも、こうしたガタリにドゥルーズがなぜあれほど入れ込んだのかは、ちょっと謎。『差異と反復』までのドゥルーズにはおよそ政治的な臭いはなかったから。当時の時代状況を考えると、フランスでは学生の大規模なストライキに労働者たちも参加して五月革命というのが起こった。こうした政治的動乱を目の当たりにして、自分の哲学の方向性を少し考え直すところがあったのかもしれない。ドゥルーズがガタリと出会ったのはこの五月革命のすぐ後だったんだよね。それでガタリのビチビチした思考線に触発され、そこに自分自身の思想をミックスして、政治的なものの中へと入っていく大いなる実験を試みたのかもしれない。
それで、何でもいいから、今考えていることを書いて、自分のところに送れってドゥルーズはガタリに言うんだね。そして、送られてきたガタリの走り書きのような論稿をそれまで培ってきた自分の重厚な哲学的知識で、一気にフォローUPして、一冊の書物に仕上げていく。ガタリの一匹狼的で半ば狂人とも思えるようなワイルドな強度たっぷりの思考線に、ドゥルーズの成熟した哲学的思考がピッタリと寄り添って並走していくわけだ。こりゃすげぇーに決まってる。それで『アンチオイディプス』という本が世に送り出されることになる。そして、当時の思想界に一大センセーションを巻き起こす。
だから、当然、ドゥルーズ=ガタリの著作の方は、それまでのドゥルーズ単独の著作に比べて政治的色彩が強いものになっている。実際、読んでみると分かるけど、ガタリの言葉のセンスというのが、センス抜群というか、かなりスタイリッシュでね。「原始土地機械」だとか、「脱コード化」だとか、「スキゾ分析」とか、「リゾーム」だとか、「アレンジメント」とか、とにかく、シャープでキレキレなわけ。実際、文体も既存の堅苦しい哲学のスタイルをブチ壊して、極めてアバンギャルドでPOPなものだった。まさに、思想界のサージェントペパーズといった感じ。これは若い連中はヤラれちゃうでしょ。当然のごとく、このスキゾスタイルが単に哲学分野に限らず、アーティストたちなんかにも熱狂的に受け入れられていくんだね。それが浅田彰氏の紹介によって80年代に日本にもはいってくる。
で、問題のドゥルーズとドゥルーズ=ガタリの違いだけど、個人的には”別物”と考えた方がいいと思ってる。ドゥルーズは晩年は、ガタリとの協働作業を終えて、再び、静謐な観念の哲学者へと戻っちゃう。あくまでも、非人間的なもの(同一性に依拠しない脱-表象化の思考体)を目指す哲学に戻るってことだけど。ドゥルーズ=ガタリに見られるドゥルーズは政治化したドゥルーズであり、社会にコミットメントしたドゥルーズと言っていいんじゃないかな。どちらも、もちろん大事なんだけど、個人的には非人間的なものを思考によって追求していくドゥルーズの方がドゥルーズの本来、という感じがするし、哲学本来の哲学という意味でも、一層、魅力的です。ヌーソロジーと噛み合うのも、もちろん、この非人間的なものを目指すドゥルーズの方です。
(走り書きも同然なので、細かい突っ込みはナシね)
By kohsen • 01_ヌーソロジー, ドゥルーズ関連 • 0 • Tags: アンチ・オイディプス, ガタリ, ドゥルーズ, ラカン