12月 13 2022
外に夢を見る時代の終焉
ヌーソロジーがいう空間構造とは持続空間の構造のことだ。だから、それは時間の構造ということでもある。時間の構造はそのまま自己存在の構造となっている。時間は持続と瞬間の連続的継起からなり、それぞれが内在と外在の感覚を意識に与えている。生命もまたこの構造変動の流れにほかならない。
いずれにしろ、自己を時間や空間の内部に立ち現れた”生物学的対象”として見たり、それら対象世界に立ち現れた表象の効果がもたらす心理現象として見ている限り、自己は永遠に謎のままだ。自己の由来はそんなところにはない。
時間も空間も持続の中に生じている。この持続こそが自己の本性である。物質の基礎となっている陽子と中性子とは持続が時間と空間を生み出す構造そのものが、その時間と空間の中に反映されたものだ。その意味では時空は核子から生じるその内部性であり、反対に時空から見れば核子は時空の内部性となる。
物質と精神とは、そのような内部性と外部性の捩れを無限に反復させている”大いなる内”が繰り出す持続の多重な流れが二極化して表層の意識に現れたものにすぎない。私たちが他者と自己と呼ぶものの本性は、こうした外と内の二極性がその極限にまで焦点化したものである。他者=物質。自己=精神。
他者=物質。自己=精神。ついでに言えば、この関係もまた捩れている。そして、そこに”妙”がある。真無限のようなものだろう。
この二つの極が生み出す大いなる内における無窮の運動。両者の間には双方から呼びかけの声が響いている。その内部でどれほどの語らいが繰り返されているのだろう。この声を聴き取る能力のありなしが、”今”を生きる人間の人生の中で試されている。
いずれにせよ、外に夢を持つ時代はもう終わったように感じるね。人間の最終構成とはそのような意味にも取れそう。意識の反転は、現実というものの反転をも意味するということなのだろうね。内に向かうということの意味を真剣に思考する時代の到来・・・。
そうなれば、自然に外は消えていく。
12月 15 2022
「ヌーソロジーの空間認識論はどのように物理学と関係し得るか 4」研究動画シリーズ#24(船木)
船木研究員による研究動画です。今回の船木研究員の動画はヌーソロジーと量子力学の対応の準備について、俯瞰的に概括する内容になっています。様々な数式が登場してきますが、これらの具体的な解説は各論に入ったときにまた出てくることでしょう。量子力学に関する大事なポイントがまとめて語られていますので、是非、ご覧になられてみてください。
船木氏も今回の動画で触れられていますが、量子物理と古典物理との一つの大きな違いは、運動量やエネルギーといった物理量が演算子で表現されるところにあります。ヌーソロジーでは、演算子は持続世界の力を延長世界の力のあり方の表現へと翻訳するための媒介役のようなものと考えます。
円(複素数)の中で活動している持続の力を、直線(実数)を指標とする物理的な力の量へと翻訳しているということです。大雑把に言えば、巻尺のように円から直線を引っ張り出している、そんなイメージですね。空間の巻尺なら運動量。時間の巻尺ならエネルギー。どちらも、持続の延長的展開です。
でも、今の物理学のように直線世界に展開された力ばかりを見ているだけでは、本質である円的世界に入っていくことはできません。円的世界の方を持続に止まって(永遠の相のもとに)直接覗けるような認識を作って行こうじゃないか、と呼びかけているのがヌーソロジーだと思ってください。
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船木氏の研究動画ではヌーソロジーの空間認識の概要の説明から入る。
この説明は「現在、人間は物の内部にいる」——という言い内容で始まるんだが、こののっけの部分で、「What?」となる人がほとんどかもしれない。「馬鹿言うな、オレはちゃんと物の外部にいるじゃないか」って。
でもそれって、ホントかね?
世界があるということと、自分がいるということが、もし君の中でゴッチャになっているとしたら、君はまだ物の中に閉じ込められている——そう思わないといけない。物の中に閉じ込められているわけだから、ちゃんと物が見えていないってことだよ・・・。
ヌーソロジーではそういう世界のことを「潜在化の次元」って呼んでる。潜在化とはまだ世界が眠ってることを意味してる。「いやいや、世界って目の前にあるっしょ。眠ってなんかいないっスヨ」と言いたくなる気持ちも分かるけど、君自身が世界となった世界はまだ現れていない。そういうことを言ってる。
ここで言ってる「物」の外部とは、単に空間的な位置のイメージで言ってるわけじゃない。見えている物と物を見ている君自身との次元の違いのことを言っている。この次元の違いが分からなきゃ、君はまだ物の外部には出れてないってことだよ。この次元の違いが哲学でいう存在論的差異ってヤツに当たる。
本当の外部とは「いる」が「ある」に結びついている世界のこと。今のように「ある」と「いる」の違いがよく分からなくなっているような世界は、「ある」から出れていないんだよ。ほとんどの人の人生が苦しみに満ちたものになってしまうのも、この「ある」に皆んなが縛り付けられているからだと思うよ。
By kohsen • 01_ヌーソロジー, 03_動画 • 0 • Tags: 量子力学