3月 1 2023
表象化の意識の終わり
【落合陽一のシンギュラリティ論】シンギュラリティは2025年に来る/ディフュージョンモデルの衝撃/知的ホワイトカラーが没落する/最新版デジタルネイチャー/音楽と論文が数秒でできる
「人間の最終構成」がよく分かる動画。ディフュージョンモデルはText-to-Imageのみならず、すでに3D生成にも応用され始めていて恐ろしい速度で進化している。いずれは3D-to-3Dから意味生成に進むはず。観察子の構成をコンピュータが代理している感じ。さて、どうする人間。
今、起こっていることを落合氏の図を使ってヌーソロジー的に説明すると、こういうこと。この図で示した「顕在化」の方向を補完していかないと、人間の意識は虚無へと回収されてしまうよ、ということ。デジタルネイチャーの反映物を作り出していかないといけないってことだね。
デジタルネイチャーとフィシスの決定的な違いは、前者には質量の生成ができないということ。内包性がないのよ。すべてが表層的で中身がない。表象化におけるデータの寄せ集めだから致し方ない。最終構成以降の人間の思考の役割は、質量生成に入ること。表象の生成はもうデジタルに任せておけばいい。
3月 3 2023
本来的人間(シュタイナー風に)
私たちは物質を外からではなく内から見ているという感覚を養っていかないといけません。主客一致の認識はそのようにしてやってきます。奥行きを4次元として理解できれば、空間はそのように変態を起こし、外であったところが内でもあるという感覚が生まれてきます。
物質とは、こうした4次元の内部と外部を巡って多重な層を形成しながら活動する精神が3次元に落とす影のようなものです。この精神は私たちには時間として感取されていて、この精神は内部においては持続(アイオーン)、外部においては時間(クロノス)として働いています。
存在者の世界は言うまでもなくクロノスを拠点とし、一方で存在の世界はアイオーンを拠点としていて、それこそハイデガーの言うように外襞と内襞のような関係で蠢いています。現存在たる人間とは、これら外襞と内襞が接触するところに起こっている外と内の媒介をとりもつ現象体です。
こうした三つ組みが4次元の位相を通して見えてきたときに、ハイデガーいうところの”世界-内-存在”としての人間(自己)の姿が明瞭に前景化してくることでしょう。存在を通して初めて自己というものが見え、そのことによって、他者というものの居処もまた見えてくるということなのです。
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まずは「此処」がやってる。
「此処」がやってくると、私がやってくる。
私がやってくると貴方がやってくる。
私と貴方がやってきて、初めて、世界がやってくる。
本来的人間とは、そのような世界に住む人間のことです。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: シュタイナー, ハイデガー