9月 5 2006
光のマルクト
人間の肉体はおそらく存在の中心の物象化である。もちろん、これは人間の肉体の周囲に宇宙が広がっているからなどといった、単なる「生ける空間」のイメージで言ってるわけじゃない。たとえ無限次元を考慮したとしても人間の肉体が生成されている位置は宇宙の中心である。だから、肉体の起源を探ることは「神」を探ることに等しい。
人間の肉体はヌースでは「重心」と呼ばれる。重心とは文字通り、重力中心の重心である。鉄の球体が目の前にあるとするならば、普通、重心はその球体の中心に位置しているとされる。つまり、均質素材でできた球体状のモノであれば、そのモノの内部の中心点に重心は位置している。はて、そんな場所がどうして肉体と関係があるのか。
4次元が見えてくると、自分を中心とした宇宙の広がりは、そのまま、自分の目の前にある球体の内部にすっぽりと収まっているように見えてくる。つまり、あっちにあるモノも、こっちにあるモノも、そっちにあるモノも、4次元の通路を通してその中に入っり、その内壁を覗けば、天球面と同じものに見えるという意味だ。これは華厳経の説いたパールネットワークに似ているが、凸と凹が逆になっているところがちよっと違う。万物は宝珠なり。その内懐は万象を孕み候らへば、その万象の中の各々も、また万象を孕みて候。つまり、4次元の視線の中では無限の映り込みが続く。これは空海が大日経で示した即身のイメージにも近い。
こうした無限の映り込みの認識が生まれてくると、僕らはすぐ途方にくれてしまうが、それは映し出される像の方に意識を奪われているからだ。像ばかりを追っかけていると、同じ世界が悪夢のように何度も現れるだけで、像の世界から決して出ることはできない。像ではなくその鏡のシステムの方に注意を向けることが重要だ。そこにはオートポイエーシス的なシステムが巧みに組み込まれている。即身の鏡であれ、それが鏡であるからには、そこには他者がいる。二つのものが即身となること。二つのものが即身を映し合うこと。これが創造秩序のキーなのだ。素粒子から人間の肉体まで、物質はこのデュアル・オートポイエーシスのシステムに則って生成されていく。それが見えなければ、同じ世界が巡ってくる。世界はそういう掟でできている。
そのシステムを象徴的に表したものが、実はヘクサグラムだ。ヘクサグラムを普通に平面上の2次元図形と見てはいけない。それは4次元の生成トンネルの風景だ。そして、それは今、君の目の前にある。だからこそ、君は目の前に素粒子から身体まで成長してきた生命の樹木を物質として目撃することができているのだ。光はヘクサグラムが同型反復する無限の螺旋回廊を内包しているのだ。その回廊を一歩一歩昇って行くことは、精神が世界を微分していくことに等しい。数学の世界では4次元だけが無限の微分構造を持つと言われている。進化側から見れば肉体とはそのヘクサグラム・トンネルのパースペクティブにおける消失点のような存在なのだ。行けども行けども決してたどり着くことのない存在の中心。有りて在るもの。本有常在の無限存在。その回廊にもおそらくプラトー(平原)のような場所があるのだろう。そこで精神はかりそめの肉体の中でしばしの休息を取り、8日目の日の出を待つ。そこから、次なる肉体の生成に向けて、再び歩み始めるのだ。
今の科学的世界観では人間の肉体は物質進化の最終段階で生まれてきたものと解釈されている。そして、これから先、別の形態進化をして、別の生き物になっていくとかなんとか。中には機械と合体してメタ・ヒューマンなるものが生まれるなんていう人たちもいる。その方向性の「差異」の選択ももちろんアリだ。しかし、僕はそんな考え方には賛同しない。それはアリでもきっと逆さまだ。肉体は始まりも終わりもない宇宙の象徴、つまり久遠元初の力の影である。それに気づくことこそがほんとうの「差異」である。運命の車輪は再び巡ってくる。そこて生まれる始まりとしての肉体。それは旧時代の肉のマルクトからは解放されている。だから光のマルクトと呼ぼう。地球上のあちこちに建立される60億本の十字架。この光のマルクトこそが新しい時代の「人間」と呼ばれなくてはならない。
12月 27 2006
始源のメルカバー
最近、3冊のヌース本を読んだというIさんという方からメールを頂いた。その中で「光の箱舟」で紹介した3種のプラトン立体(正四面体・正六面体・正8面体)と核子(陽子・中性子)の関係に関する質問があったので、かなりヌース理論の内部に入り込んだ記述になるが、この場を借りて現時点でのパースペクティブを書き記しておこうと思う。番号順に下図(1)〜(8)をご覧になりながら読んでいただきたい。
(1)正八面体は相互に反転関係にある3次元空間R^3の重畳を意味します。その意味で√1エッジは3次元の座標軸を象徴するものになります。この相互の反転性がスピン±1、相殺がスピン0粒子の元となります。主に力の粒子と見なされているものの本質だと考えています。
(2)SO(3)によって、R^3の対化の等化と中和が生まれます。4次元方向の軸が立つという意味です。等化側がψ5(電子のスピン軸)で、中和側がψ6(局所時空=ニュートリノのスピン軸)を作ります。この様子は回転する正四面体を貫く√3エッジ軸の2つの方向性に対応します。青側が電子で赤側が局所時空です。つまり、√3エッジとは4次元の座標軸を象徴するものになります。
(3)電子のスピンベクトルは図3のように√3/2の長さを持つスピン軸(ψ5)を中心に回転を行っています。
(4)このスピン軸は∞と1/∞を等化しているために、そのまま、正八面体に内接する球体の直径の位置まで縮みます。この直径は3次元座標軸の1/2の比になります。これが通常言われるスピン1/2に当たるものです。正八面体に内接する球体はモノ概念(点概念)に当たりますので、このスピン1/2が示す1/2とは「無限大が無限小に入り込むときの比率」を意味することになります。このプログでも何度も言ってきたように、外面から見ると天球面はモノ(点)の内壁と同一視される、ということの意味です。内部空間に入り込むということですね。
(5)(2)の双対を考えると図(5)のようになります。星形八面体の逆回転によって生まれる方向性です。双対で見るとψ5にψ*6が交差し、ψ6にψ*5が交差します。いわゆるツイスタースピノールです。
(6)ψ5とψ6を等化するために、ψ5はψ6をψ*5と見なして3次元球面上の回転SU(2)を作り出し、その対称性としてψ7=陽子が生まれます。このとき、3次元球面のフレームワークとなっているのが正六面体です。その意味でこの正六面体はψ7のカタチということができます。
(7)この正六面体は外面に生まれているものなので、そのまま、4次元方向に射影されて正八面体に内接する正六面体となり、モノ(点)概念を支えるフレームとなります。
(8)ψ5とψ6という対化において中和側は等化が見えません。それによって、ψ6とψ*6の対称性を形作る働きをし、同じく3次元球面上の回転を作り出しますが、等化(外面)が見えないので、そのまま、正六面体の外接球面として残ります。これが大局的時空(局所時空の綜合)です。等化側からは、これはそのままψ8の中性子に見えます。もちろん、フレームワークは正六面体です。
(9)以上のことから、次のようなことが言えそうです。
SU(2)として等方向に回転する3次元球面の中心点と球面の関係は陽子と中性子の関係と考えられる。そして、その半径が電子であり、これら陽子と中性子を等化するために電子は軌道運動しているのだろう。このことの認識としての意味は、ある客観的一点から広がる外在世界を認識している主体の意識そのもの、ということになります。単に「外の世界がある」と人間が思っていることのウラにはこのような空間構造が隠されている、ということです。このことは逆を言えば、このような構造を作り上げた思考が人間に「外の世界がある」と思わせていたということになります。そして、その建築物は時空上では水素原子として見えているということです(重水素には別の意味が持たされます)。電子のスピンも陽子・中性子のアイソスピンもともに±1/2ですが、これらが物質粒子を作ります。物質とは進化の方向を持った精神によって作られているということです。これらは人間の3次元認識におけるコミュニケーションの場、つまり、スピン±1や0の場(光子やウィークボゾン)を通じて力を媒介します。
陽子と中性子はヒトの精神と付帯質、すなわち、対化です。その等化が思形です。
ヒトとは人間の総体。
ヒトとは人間と全く反対の方向を持つもの。(シリウスファイル)
スピリチュアル系の人たちのためにオマケです。
●倫理的なものの到来
イデアの起源は双対の正四面体(わたしとあなた)にある。この形は互いに交差させることによってケプラーの星形八面体を構成する。この形はスピリチュアル世界ではマカバと呼ばれているが、マカバとはユダヤ神秘主義に登場する「メルカバー(神の戦車)」のことで、元来、物質世界(マルクト)に転落してきたアダムが生命の樹(セフィロト=生成空間)の中を帰還(上昇)するときに乗り込む乗り物とされている。ヌース理論でも事情はほとんど同じと考えてもらっていい。物質の生成運動が展開している場所は物理学も示している通り時空点の内部であるヌルスペースに存在する。意識における双対の正四面体の形成は4次元空間の顕在化を意味し、このカタチが見えたとき、知性は文字通りヌルスペース内の生成場へと侵入することができる。その意味で、ヌース理論では、プラトン立体の本質はヌル空間内部のイデア構造として見なされる。ヌルとはドイツ語で0(ゼロ)の意味を持つ。物理学では「光」の4元ベクトルが0であることから、このヌルは光の代名詞とされている。ヌース理論がヌルポッド(NCの4次元表示バージョン)と呼ぶものは、その意味で「0の容器」「光の容器」の意味がある。決して、ぬるま湯が入ったポットのことではないので注意が必要だ。おそらく、宇宙のすべては「汝」と「我」で作られている。アルケーから見ると、「汝」と「我」は根源語であると同時に、根源粒子としての双子の光子なのである。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 6 • Tags: ケプラー, ニュートリノ, プラトン立体, メルカバー, ユダヤ, 付帯質, 光の箱舟, 生命の樹