8月 20 2008
時間と別れるための50の方法(28)
●次元観察子の全体像(1)
人間の意識を流動させている空間構造はこのψ3~ψ4、ψ*3~ψ*4という双対性をベースにして次のステップであるψ5~ψ6、ψ*5~ψ*6の次元へとその歩みを進めるのですが、細かい話が続いているので、このへんで視点を少しズームアウトさせて次元観察子の全体像について少し解説しておこうと思います。
次元観察子とは『人神/アドバンストエディション』にも書いたように、人間の意識のウラで蠢いている無意識の機構を空間構造として表現したものです。次元観察子の全体性はψ1~ψ2、ψ3~ψ4、ψ5~ψ6、ψ7~ψ8、ψ9~ψ10、ψ11~ψ12、ψ13~ψ14というように、全部で7組の対化から構成されています(もちろん、すべての対化が双対性を持ちますが、煩雑になるので「*」側は省略します)。
『シリウス革命』で紹介したように、ヌース理論にはこの次元観察子よりもさらに上位の観察子となる「大系観察子」という概念も登場してきますが、これは人間の意識ではなく、「ヒト」と呼ばれるもう一つ上位の知性体の意識を支えている空間構造体を形成している観察子です。人間の意識構造はミクロでは素粒子世界、マクロでは地球-月間の各回転運動に反映されていますが、ヒトの意識構造は太陽系における諸惑星の自転・公転周期や、全原子の周期律を支配しており、さらには、DNA、細胞といった生命世界の生成力にも関係を持っています。
物質として具体的な反映を行なっているという意味で、大系観察子のビジョンの詮索は親近感も涌いてきて、大変、面白いものなのですが、その反面、その大本となっている次元観察子の概念がしっかりと把握されていないと、ただただ超越的な概念の遊戯に陥りがちで、実質的な意識変容に結びついてはきません。
僕自身、『シリウス革命』を執筆している頃は大系観察子が作り出すめくるめく万華鏡のような世界に魅了されて、その探索に躍起となっていましたが、生身の概念が欠如した単なる幾何学パズルのような俯瞰作業が先行してしまうのは危険なことだという反省がありました。俯瞰はシステムを理解する上では確かに重要なものですが、ときには潜行もしないと、俯瞰に取り憑かれた意識というものはまるで天守閣から下界を見下ろす戦国大名のように支配欲に駆られてしまうものです。これでは今までの人間の理性と大差ないものになってしまいます。あくまでも「事」を先行させ、「理」は後追いさせる。こうした身振りがヌース的思考には必要不可欠です。そうした経緯から、僕自身の現在は、次元観察子の細部を自身の感覚の中に培っていく訓練を進めているところです。ヌース理論自体も、当面は、これら次元観察子群が持つ様々な概念形成の働きを人間の意識に明確化させることに主眼を置いて展開していくことになると思います。
というところで、まずは、次元観察子ψ1~ψ14が持つ階層性と、それぞれの階層が持つ名称、働きの内容を大雑把に一覧させておきます。
ψ1~ψ2 点球………モノのベースとなる場の創造を行なう
ψ3~ψ4 垂子………主体と客体という対化のベースとなる場の創造を行なう
ψ5~ψ6 垂質………自己と他者という対化のベースとなる場の創造を行なう
ψ7~ψ8 元止揚……集合的主体と集合的客体(客観)の対化のベースとなる場の創造を行なう
ψ9~ψ10 調整質……外在意識と内在意識という対化のベースとなる場の創造を行なう
ψ11~ψ12 中性質……外在意識と内在意識の等化を行なっていく場の創造を行なう
ψ13~ψ14 変換質………顕在化を行ない、新たなる元止揚空間となる場の創造を行なう
ヌース理論ではこれらψ1~ψ14の各次元観察子の構造性を詳しく見て行くために「ケイブコンパス」という円盤儀をモデルとして使用するのですが、ここではあくまでも次元構造の大ざっぱなイメージをつかんでもらうために、ケイブコンパスではなく単純な円環図式でこれらの観察子の関係性を説明しておくことにします。
まず下図1を見て下さい。次元観察子の構造を極力シンプルに示すとこのような相互に対抗し合う二つの力の流れになります。青い矢印で示された力の流れが「定質の総体」という精神の力の全体性で、赤い矢印で示された力の流れが「性質の総体」という付帯質が持った力の全体性です。人間の意識を流動させている無意識構造の方は奇数系の観察子(青色)を先手にして、ψ1~ψ2、ψ3~ψ4、ψ5~ψ6………というように、各段階における対化の等化を行い、精神構造を発展させていきますが、人間の意識においては、この先手と後手の関係が転倒して、偶数系の観察子が先手となってψ2~ψ1、ψ4~ψ3、ψ6~ψ5………というように、動かされていきます。このように偶数系観察子が先手を取って形作られている意識のことを「人間の内面の意識」と言います。一方、その反対物として奇数系観察子を先手に持って流動している意識を「人間の外面の意識」と言います。人間の外面の意識はフロイト-ラカン主義者たちが無意識と呼んでだものに対応すると考えられます。
「偶数系の観察子が先手を取る」とはどういうことかと言うと、例えば、今までお話してきたψ3~ψ4レベルの対化を例にとれば、本当はψ3としての知覚正面という世界そのものが先にあって、そのあとに時間や自我の形成が行なわれてくるにもかかわらず、反映側であるψ4(こちらが鏡像世界だったことを思い出して下さい)の方をまず持って存在している実在的な世界だと考え、その結果、ψ3(知覚正面)をψ4(顔面側=肉眼)が知覚している単なる表象としての世界としてしか見なさなくなってしまう、といったようなことです。一言で言えば、主従が逆転しているわけですね。霊主体従ではなく、体主霊従になってしまっているわけです。
偶数系の観察子が先手を打つ意識においては、結果的に時空や物質といった客観世界の方がより本質的な場所と見なされ、現在の自然科学全般における人間観のように、知覚の場そのもので生の営みを行なっている現実の人間存在の方はそれらの付属物と見なされてしまうことになります。——つづく
8月 28 2008
時間と別れるための50の方法(31)
「生命の樹」とヌース理論の関係性(2)
ということで、さっそく生命の樹を構成している10個のセフィロトにヌース理論の観察子の番号を割り振ってみます。『人神/アドバンスト・エディション』の脚注欄にも示したように、現時点での解釈では、セフィロトは次元観察子というよりもΩという記号で表される大系観察子という一回り大きな観察子に対応しているようです。もちろん、次元観察子と大系観察子はψ7=Ω1というホログラフィックな入れ子関係を持っていますから、ψレベルでの対応も可能ですが、セフィロトの樹自体がカバリストたちが考えているように太陽系と対応しているのであれば、その全体性はヌース的には大系観察子への対応が最も妥当になります。
下図1にも示したように、ヌース理論では下位のセフィロトから1〜13までの番号を振っていきます(カバラは上位から)。ヌース的な意味を添えて示しておくと(顕在化として)、
Ω1(ψ7)マルクト(物質/人間の外面)
Ω2(ψ8)イエソド(人間の精神/人間の内面)
Ω3(ψ9)ホド(人間の内面の意識/人間の思形)
Ω4(ψ10)ネツァク(人間の外面の意識/人間の感性)
Ω5(ψ11)ティファレト(人間の内面と外面の意識の等化/人間の個体意思・自己の本質)
Ω6(ψ12)ゲブラー(人間の内面と外面の意識の中和/無意識的欲望の備給元)
Ω7(ψ13)ケセド(人間の無意識構造の顕在化/ヒトの内面)
Ω8(ψ14)ダート(人間の無意識構造の相殺/ヒトの外面)
Ω9 コクマー(真実の人間の内面の意識)
Ω10 ビナー(真実の人間の外面の意識)
Ω11 ケテル(△)(真実の人間の内面と外面の意識の等化/人間の個体意思・自己の本質を作る元)
Ω12 ケテル(▽)(真実の人間の内面と外面の意識の中和/無意識的欲望の備給元の元)
Ω13 ケテルの全体性(真実の人間の内面と外面の意識の等化)
それぞれの大系観察子の働きの意味についてはいずれまた別のところで詳しく説明を行なっていくとして、ここでは現在ヌース理論が生命の樹のどの部分に当たる作業を行なっているのかそのポイントを少しお話しておきます。
図1にも示しましたが、ルーリアカバラではこの生命の樹の全体性を、ケテル、ダート、ティファレト、イエソドという各セフィロトを中心にした4つの円で区切り、アツィルト、ベリアー、イェッツェラー、アッシャーという4つの世界を設けます。前回紹介した「シェビーラース・ハ=ケリーム(器の破壊)」とは、この四つの世界のうちのイェツェラー界が粉砕されてしまうことを言います。図からも分るように、イェツェラー界が破壊されてしまうということは、ベリアーにおけるダート、ケセド、ゲブラー、ティファレトも機能しなくなりますし、アッシャー界におけるティフアレト、ネツァク、ホド、イエソドまでもが被害を被り、唯一遺されるのはケテル、コクマー、ビナーの上位の三つと、最も下位に属するマルクトだけになってしまいます。
ルーリアの「シェビーラース・ハ=ケリーム(器の破壊)」によれば、10個のセフィロトのうち7個が破壊され3つが遺るというストーリー立てになっているのですが、ヌース理論の観察子構造で見ていくと、このようにダートを含めた11個(一般的にカバラではダートはセフィロトとしては数えられません)のうちのイェッエラーを構成する7個が破壊され、4個が遺されると考えた方がどうも自然に感じられます。このとき遺される4つのセフィロトとは、確認すればすぐに分るように、ケテル、ビナー、コクマーの上位三つと、最も下位のマルクトです。マルクトが遺される理由はおそらく「ツィムツーム(神の自己収縮)」にあるのでしょう。「ツィムツーム(神の自己収縮)」とは前回も少し説明したように、神が創造した被造物の場所のことです。
マルクトはカバラでは物質世界に当たり、ケテルに座する神にとってその花嫁とも呼ばれる存在とされています。ケテルへと達した一者がこの生命の樹の全体性をツィムツームによってホログラフィックにマルクトに射影する………ヌース理論がいつも言っているように、精神構造の全体性が物質構造としてこの時空世界に映し出されてくるというこうした仕組みを、ルーリアはツィムツームと呼んだのではないかと想像されるわけです。とすれば、最も上位のケテルと最も下位のマルクトは、ちょうどトランプゲームの「七並べ」で13から1に繋がるように、互いに結合し合っていることになります。ケテルの玉座に存在する神は一者であるがゆえに「万有の無」と言ってよいものでしょう。そして、マルクトはその「万有の無」が射影されているという意味において、万有が外された「無」の世界となります。ただし、そこにはアダムが一者へと達する過程で獲得した神の属性たるセフィラーが破壊された破片として蠢いています。それが物質です。ルーリアはこうした砕けた破片をケリーム(殻/魔術的カバリストたちがクリフォトと呼ぶもの)と呼んで、汚れた悪の世界が生まれた原因だと考えました。
こうしたルーリアの思想が16世紀という近代の始まりに出現してきたというのは、何とも興味深いことです。皆さんもご存知のように近代以降、人間はその理性的側面を肥大化させていき、科学万能の物質主義的な世界観を絶対とする価値観を育て上げてきました。こうした意識の在り方は,生命の樹で言えば、意識がすべてマルクトの内部で閉じ込められていることと同じ意味を持っていることが分ります。マルクトの内部世界は仏教が言うようにマーヤの世界であり、そこに世界を生成させている本質力は何もない、ということになります。カバラの世界観においては単なる物質からは生命など生まれようがないのです。 ——つづく
By kohsen • 時間と別れるための50の方法 • 0 • Tags: カバラ, 人類が神を見る日, 内面と外面, 大系観察子, 生命の樹