ステンレスシャフトの魂

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今日は昼から町工場に出かけた。NCジェネレーター用のコイルシャフトの試作が出来上がったのだ。オールステンレス製のすぐれ者。へへ。こんな部品は世界中どこ探したってないだろう。試作品はシングルコイルだが、本番にはツインコイルで臨む。果たしてシャフトがコイルの通り道を邪魔しないか。それを確かめるための試作だ。今夜からさっそくテスト開始。

それにしても、試作品の出来上がりが予想以上にシャープでカッコよかった。このまま現代アートのインスタレーションとして展覧会に出品しても十分に通用しそうなオーラをあたり一面に出している。あたりまえだ。こやつは、そんじょそこらの造形とはわけが違うのだ。ヌースのロジックをたっぷりと含み込んだ、イデアジューシーな設計なのだ。美の臨在感がそこらじゅうにみなぎるのは当たり前というもの。わたしはこの構造について一週間でも語れる。その語りを押し出している観念のエネルギーがこの形態の中にはすべて詰まっている。それがこの造形をただの金属棒とは違うものにしているのだ。………って、そう思ってるのは自分だけ(笑)。しかし、この自己陶酔のナルシズムこそがアーティストの絶対必要条件。

しかし、ステンレスの質感ちゅうのは何とクールなことか。これにして正解やったな。。。というのも、実は、素材を決定する段階ですったもんだがあったのだ。シャフトを何で作るか——最初、候補に上がっていたのは、鉄、アルミ、銅、ステンレスの4種類の素材であった。これらはヌース理論では次のような働きを持っている。

鉄——付帯質の力の本質/人間の情動力の核となっている
アルミ——顕在化した力の変換作用/位置の変換の力
銅——位置の等化の観察力/電子の上次元作用のカタチ。
ステンレス——鉄とアルミの等化の範疇?/OCOT情報ナシ

最初は軽量さとM・デュシャンを意識してオール・アルミで行こうかとも考えた。しかし、先日、ここを訪れたS氏の一言が妙にひっかかりステンレスに決めたのだった。彼はこんなことを言った。

「半田さん、資本主義の精神は二つの金属に支配されていると思います。プレモダンは鉄。モダンはアルミです。どうですか?」
「Sさん、それオモロイ。前期資本主義は26で、後期資本主義は13というわけだ。(26番は鉄原子の元素番号、13番はアルミニウム原子の元素番号)」

13番のアルミニウムについては、デュシャンが大ガラスという代表作の中で、3次元と4次元の境界にあたる膜の部分の素材として使用していた。だから、わたしもNCジェネレーターの材質はアルミ中心で行こうと考えていた。しかし、S氏のこの一言で考えを改めた。ここには動物的なもの、つまり、情動の海の力が必要なのだ。鉄とは情動の海と言ったのは確かニーチェだったか。アルミにとけ込む鉄。モノにとけ込む情動。情動に入り込むモノ。。資本主義はまさにその反復力によって歩んできた。すでにこの反復力にも翳りが見え始めている。最終構成の金属。。。このステンレス製のシャフトにはそういった思いが込められている。