2月 17 2007
複素3次元空間
人間を構成する2つの性格を持つ軸、シケイとカンセイ。。。。これを5次元と安易に書いてしまったが、それはあくまでもユークリッド次元で見るとそのように解釈できるということであって、正確には多少のズレがあるかもしれない。というのは、ユークリッド次元は次元を見て行くための最も簡略化された一つのモノさしにすぎず、次元を見るために他の物差しがあっても別に構わないからだ。実際のところ、ヌース的文脈ではユークリッド次元を用いるよりも、複素平面を複素1次元と見なす複素空間の方がはるかに分かりやすいものになる。5次元世界は複素空間でいうと複素3次元世界になる(通常の数学では複素3次元は虚実2次元が3つあるので6次元と考える)。そのあらましを書いておこう。
ヌース理論では奥行きを虚軸と見るということは以前、丁寧に説明したと思う。この考え方を用いると対象を挟んで対峙する自己と他者は二枚の複素平面で下図の上のように表される。自他互いの前後が交差するところに二本の虚軸が現れるが、この二本の虚軸が作り出すプラスとマイナスのキアスムは、複素共役部分が3次元の実次元に変換され、共役できない部分の方が4次元として働くと考える。このときに注意してほしいのは、この配置は観念の配置であって、日常の3次元的な空間における物的配置ではないということだ。分かりやすくいうと、この複素2次元座標は、3次元空間上で回転させようが、並進させようが何も変わらないということである。僕が世界中をどう動こうが、目の前に2次元の知覚正面(2本の実軸)があるし、奥行き(虚軸)もある。そして、おそらく反対側には某かの他者が見ている奥行き(虚軸)があるだろう。ここに挙げている図はそういう意味合いの図であるということだ。要は複素空間というのは3次元空間上で表される世界ではないということなのだ。それをここでは「観念の配置」と言ってみた(もっともこの複素2次元空間上の回転群SU(2)によって、人間の内面世界の方は、ローレンツ群という時空座標の変換群へと回されるのだが)。
さて、この二枚の複素平面の配置に、前々回、前回と話した左右からの視線の介入によって生まれるパパとママの空間世界を付け加えるとどうなるだろう。その視線は当然、前後方向であったところを実軸として見て、その視線自身は奥行きが見えないのであるから、さらにもう一枚複素平面を加えた次元構成として解釈できることが分かる。こうしてψ9〜10の思形と感性は総計3枚の複素平面の重なりによって表されることになる(下図下)。無意識構造というものが3次元の空間に複素空間として多重に重畳させられているといつも言ってる意味が、ここでの内容で少しはお分かりいただけるのではないかと思う。なんだ簡単じゃん。あっと言う間に、複素3次元空間のできあがり、というわけだ(ヌース理論は実はどんどんシンプルになっていっているのです。ほんとよ)。
どうだろう。まだSU(3)行列(複素3次元空間上での回転群)との対応など細かいチェックができていないので、絶対の確信はないが、実際に僕らの意識で起きている認識の視線の描像に、ぴったりとあてはまっているのではないだろうか。
新しく付け加えられたこの三枚目の複素平面において、奥行き方向に対して横切っている実軸の方は、自他という二人の観測者と対象とを分離させている線分として意識において見えているものである。この実軸はモノの手前側と背後側として、モノが存在する3次元空間に重なっているように見えるが、ここでは全く別物と考える必要がある。なぜなら、モノの3次元世界には観測者は存在していないからだ。あくまでも観測者(知覚)は最初は前後軸における虚的な4次元として関わってきており、その4次元を実次元的な線(幅が感じられるという意味)として見なすのが左右からの視線としての複素3次元における虚軸の方である(こちらは今度は奥行き方向なので見えない)。ちなみに、この三枚目の複素平面における実軸は前回僕が連呼していたママとボクの眼差しであることは言うまでもない。つまり、「感性」のことである。
顕在化する第三の複素平面における実軸と虚軸。。。これが存在の十字架としてのカンセイとシケイである。この十字架をグルグル回してSU(3)(複素3次元回転群)を作れば、おそらくそれはcave compass上の思形と感性のグルグルと同じものになっているのではないかと思う。この回転の意味についてはまた別のところで触れると思うが、意識においては極めて重要な働きである。
思形と感性は、大気圏のみならず、、金星と水星、天王星と海王星、そして、電場と磁場、DNAスパイラル、強い相互作用などと深い関係を持っている。。。。ヌース理論では、これら思形と感性のことを意識の調整を行うための力という意味で「調整質」と呼ぶ——調整質というといかにも機械的だが、何のことはないロゴス的なもの(思考)とパトス的なもの(感情)のことである。
ピラミッドにおける錐としての4本の稜線とは何なのですか?
意識における思形と感性の等化を意味します。ピラミッドとは真実の意識の中心を作るための反応炉のようなものです。太陽に侵入するためのカタチ。(シリウスファイル)
こうして、目覚めたnoos(旋回する知性)は、思形と感性を等化した次の次元、つまり第四の視線に映し出される世界、複素4次元空間を捕獲するために、その視座を地球外空間へと昇らせることになる。歴史的な無意識発達の観点から言えば、いよいよ、コペルニクスが登場し、地動説の時代が始まるというわけだ。
おぉ〜、エンターテインメントっぽくなってきたなあ。。つづきの内容は新著にくわ〜しく書きますよん。
3月 10 2007
地球の自転と北極星
さて、いずれにせよ、1日、つまり地球の1自転とは何かが問題なのだ。単なる土塊の回転にまで堕落してしまったこの地球の自転という回転運動に、何とか精神の力能を見て取ることはできないものだろうか。日々繰り返される昼と夜の反復に、精神の息づかいを感じ取ることはできないものだろうか。
OCOT情報によれば、宇宙に現れているすべての回転運動は精神活動の射影である。ヌース理論では、等化とは精神の働きとして一貫して定義されているものだ。だから、ヘリオセントリックな視座にしろ、ジオセントリックな視座にしろ、マクロコスモスに見られる諸惑星ならびに諸天体の回転運動の秩序は、精神に内在している内蔵秩序の機構がそのまま反映されたものとして解釈される必要がある。しかし、現在僕らが所持している物質的知性の在り方は、すべての回転を4次元時空という外延世界の同一性の中で思い描いてしまっている。一体何がそうさせてしまったのか——それは近代がもたらした地動説的な視座によるところが大きい。この視座は、認識主体である人間が存在させられている場所は地球表面であり、その場所が持つ有機的なネットワークの中において人間という生き物が成り立っているという事実を忘れさせてしまった。おそらく、地球表面と人間は分離できない一体性で結ばれている。地球という環境が人間を作ったのではなく、もともと、地球と人間とは同じものなのだ。
人間の対象認識という意識的行為自体を空間の構造に内在されたものとして見た場合、地球表面を覆う空間は5次元の球面S^5となっているのではないかという話は以前、このブログにも書いた。身体にとっての前後と左右という方向が作る地球の閉曲面のことだ。左右が思形=ψ9、前後が感性=ψ10である。この考え方でいくと、この地球表面から放射状に広がる空間の方向性は、思形と感性の関係を十字架状の対化として観察できる位置を持っていることになる。僕が以前「トツカノツルギ」と呼んだものだ。天から大地深く突き刺されているこの剣が定質=ψ11である。
定質の方向性をR^1(+)として見ると、定質が存在する空間は、S^5×R^1(+)として、R^6=6次元空間として考える必要がある。つまり、大雑把に言えば、地球を原点とした宇宙空間のタテ、ヨコ、高さは1、2、3次元ではなく、4、5、6次元的な構成を持っているということなのだ。そして、この4〜6次元は同時に、地上に立つ人間の身体における前後、左右、上下と同じ次元を有する空間となることは言うまでもない。天から頭頂、そして、頭頂から地球中心に向かって鉛直に降ろされている定質の力線。これは大地に人間が直立していることの意義でもあることだろう。この力線に人間の個体、すなわち自我を決定づける軸が存在していると考えるのはそれほど突飛な発想でもない。
ここで、地球の自転とは何か、という話に戻ろう。ここでは詳しく説明はしないが、おそらく、地球の自転とはこの6次元空間に散種されている無数の個体性の軸を一本の軸に束ねるために設置された精神の現れではないかと考えられる。もしそうであれば、このような精神はヌースが観察精神と呼ぶものに一致する。ユークリッド次元でいうと、それは7次元方向に直立する線として存在している。つまり、地球の自転軸には6次元球面S^6が形作るすべての方向が7次元方向の線分として集約されているのではないか、ということである。この方向は観察子でいうと次元観察子ψ13に相当する。
ψ13が地球の自転の本源力を意味しているのであれば、おそらく、このψ13は北極星と関係を持っている。北極星が僕ら人間の歴史的進化のすべてを管理しているということである。その意味では、北極星の別称である「天帝」や「妙見」は確かに観察精神のニックネームにふさわしくはある。
北極星とは何ですか。
対化の内面性(顕在化)をもたらすための力です。(シリウスファイル)
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 5 • Tags: ユークリッド, 地球の自転